第一章 秋の章
03 任地へ
岸から岸まで最短は凡そ六十間ほど。両軍の間には濃い霧が漂っていた。その合間から、向こう岸に見える旗印は、“竹に二羽の飛び雀 ──” 何を隠そう、軍神と呼ばれる上杉謙信の旗だ。整然と並ぶ歩兵、馬一頭一頭の統率すら取れる騎馬隊から伸びた淡い浅葱色は、熱滾る武田軍とは打って変わり、まるで風を読むかの如く翻り、静かにその時を待っていた。
川中島での戦いは、何度目だろうか。幸村が信玄に仕えてから、幾度と無く続けられてきた一進一退の攻防は、敵大将に刃は届くこと無く千曲川と犀川に勝敗を預けている。
この地を度々訪れる兵らも、豪壮華麗な二つの川に挟まれる扇状の土地は、実にお館様に相応しく壮大に誂えられた舞台だと話していた。耳にした幸村も間違いないと硬く頷き、馬上から遠くを睨む信玄を見上げた。
今直ぐにでも一番槍の勇姿を信玄に見て貰いたいと、幸村はうずうずしているが、信玄は腕を組み押し黙ったままだ。一度唸ると、信玄は上流の方へ首を捻った。そちら側に配しているのは槍と弓矢の隊だ。この状況が随分長く続いている。何か気になることでもあるのかと、幸村は口を開いた。
「お館様、気掛かりでもございましょうか」
「幸村…」
「はっ」
「何か、聞こえなんだか…」
信玄がそう言うので、幸村も上流方向を見遣り、耳を澄ますも特に何も聞こえない。遠くで甲高い鳥の声が僅かに届くばかりだ。目を細めても視界に入る範囲に特に変わっていることはない。陽が高くなり、霧が少しずつ晴れてきている。対岸の上杉勢が気になりつつ、それを横目に今一度目上流へ目を凝らすが二本の川が絶えず流れ来るばかりだ。幸村は頭を傾けた。
「いえ…、特に某には、何も聞こえませぬ…」
信玄は幸村の答えに頷くと、ならばよいと言い、軍配を模した大斧を振り上げた。その拍子に風が生まれ、最後まで間に残っていた霧がみるみるうちに捌けていく。開けた視界信玄の神業に武田軍の士気は波打った。両軍の間にあるのは、今に踏めと言わんばかりの浅瀬と中洲の大舞台だ。
信玄は対岸一点を睨むと口角を上げた。向かいの謙信も剣を真っ直ぐに天へ突き上げ、号令を放っている。凛とした鋭い声が張り詰めた河原に響き幸村はそそけ立った。軍神のこだまを跳ね返すように信玄も兵らを鼓舞する。双方、縦横に整列した兵らが一歩、また一歩と歩みを進めた。この瞬間の緊迫感はどの戦であっても毎度武者震いを誘う。牛歩の如く近づく大所帯は、今日も今日とて鬨を上げるのは自分たちだと、草履を砂利に擦り付けた。
空高く鳶が舞い上がり、鳴き声が轟いた。それを合図に両軍は勇んだ。
「毘沙門天の加護ぞあらん!皆の者さあ、進みなさい!」
「いざ、謙信との決着をつける時じゃ!者共振るえ!」
赤と青の軍勢は水しぶきをあげ、我先にと川の中へ駆けて行く。揉み合いになりながら、白刃のぶつかり合いが始まった。武田軍から数騎が勢い良く突出した。その中に二槍を握る若武者、幸村の姿もあった。敵軍にずんと食い込んでいる。名乗りを上げた彼を敵将が放って置くはずもない。真田家と言えば、謙信が北信濃への侵攻、もとい越後からの南下を阻む家の一つだ。名のある相手の首を取り武勲を立てる事こそ本懐だと意気込み、槍を振るう幸村を、上杉の足軽数名と騎馬がわっと取り囲んだ。幸村は切っ先をつきつけられても動じること無く、石突きで一人二人と地に伏せた後、更に刀を振り上げた騎馬兵に矛を向け、川面に朱を注いだ。
「真田源次郎幸村、お館様には指一本触れはさせぬ!!我と思わん者、この幸村がお相手致そうぞっ!!」
伏せった仲間と幸村の勇猛さに、敵兵はためらいを見せ、攻撃は鈍くなる。幸村はそれを見計らい、入り乱れた兵の僅かな隙間を見つけ出すと一目散に上杉謙信を目指した。果敢で鬼気迫る気配を察した謙信は、落ち着いた余裕ある様子でゆっくり幸村へ振り向き、馬上で涼しい笑みを浮かべている。まるで手招くかのようだが、女性の様に美しい器量を持つも、信玄と互角に渡り合い単騎で楔を打ち込むくらいの手腕を持つ。
幸村は指一本一本に力を込めると、槍の柄で馬を叩き、咆吼を轟かせた。向かい受ける風に、じわりと汗が伝うのを感じ、謙信に飛び込んだ。
ところが、愛馬が前足を高々と上げ、あと少しで到達するかと思いきや、突然地を割るような轟音が轟き、真っ黒い濁流が荒波となって押し寄せたのだ。大木、巨岩、瓦礫とが泥水とともに溢れ出たのは、山に溜まっていた前日の豪雨、これは鉄砲水である。二つの川の合流地点である川中島は、流れ来る水量が倍になる。かさ増したうねりはあっと言う間に中洲と両軍の兵を飲み込んでしまった。
周りの兵も天変地異の状況に得物を握ったまま為す術もない。幸村もかろうじて顔を出し手近の流木にしがみついているが、流れが早く身動きが取れない。一番に心配なのは信玄だった。幸村はもがきながら、姿は見えぬも信頼する自身の忍に叫んだ。
「佐助えええっっ!!お館様を早くっ…本陣へお連れしろ!!!半刻待っても某が来ねば、隊を連れて上田に走れ!ゆけっ!!」
忍の佐助が幸村の心配をしているが「俺は何とかなる、流れたものを皆引き上げ、必ずやお館様の元へ戻る」そう大声で返答した。
遠くで馴染みある気配がさっと過ぎ去るのを確認し、それからも幸村たちはどんどん流されたのだ。幸いにも、下流が湾曲していたこともあり濁流は武田兵らを平瀬へと追いやった。水を吸い重くなった体を引きずりながら、幸村は必死に兵らへ声を掛け岸に上がらせた。
その後一行は命からがら山道を探し、ようやく里へと出た。命あることを喜び、先を急ごうと濡れ鼠のような互いの酷い有様を笑い合い進んでいたが、一難去ってまた一難とはよく言ったものである。
なんと間の悪いことか、田を挟んだあぜ道に満月の旗が見えたのである。何を隠そう、伊達政宗の軍だった。何故この信濃の地を通っているのか甚だ疑問だ。
普段であれば、幸村も勇んで好敵手の政宗へ勝負を挑みに行くところだが、今は将兵ともに満身創痍だ。出て行けば確実に負傷した者達も巻き込んでしまう。皆を連れて戻ると佐助に啖呵を切った手前、迂闊な行動は控えるべきだと己を諌めていた。
しかし、よくよく稲穂の間から覗けば、隊列には見慣れない甲冑姿の男が居た。緑色の繊細な細工の施された細身の甲冑 ── 幸村の隣に息をひそめていた将は「幸村様、あれは…、柴田勝家殿ではございませぬか?」と呟いた。
柴田勝家は今は亡き織田信長の家臣だった。聞く所によると、信長逝去後、魔王の妹お市との婚姻を約束されていたらしい。しかし、どういった経緯かお市は京極マリアに身を引きとられたと聞いている。京極マリアは浅井長政の姉だ。さすがに柴田勝家は、お市の元夫の姉にまでに頼み込み、市を嫁にくれと言えなかったのだろう。
その後、勝家は安土城で政務などをし、織田家から豊臣家へと主人を変えようと賤ヶ岳経由で加賀前田家に侵攻するという噂があった。それが確か二月ほど前の話である。だのに、どういった訳か今、政宗と行動を共にしている。
また別の将が声を落として幸村に呟いた。
「伊達殿は日頃から、少数の軍で移動されておいでですからな…。織田残党として柴田勝家を討つなどという酔狂に走って居られたのやもしれませぬ。しかし、柴田殿はああ見えて織田家では五本の指に入る武将にござりまするぞ。息をするように兵を伏し、また知恵者でもございますれば、柴田勝家と相まみえた伊達殿は何か考えがあって今、行動を共にしておるのかと…」
幸村はうっと言葉に詰まった。
「まずいな…。ここを抜けねばお館様の元へは行かれぬぞ。どこか別の道を、いや山中を突っ切るという手も…」
「ですが山中を行くにも、この位置からですと上田に戻るにはゆうに丸二日は掛かってしまいまする。かと言って、伊達軍の後を行くのもまた難儀…」
皆々頭を悩ませていると、伊達軍の隊列がぴたりと歩みを止めた。先頭、政宗の弦月が右に左にと触れている。その後ろから右目片倉小十郎が何やら耳打ちをしていた。
勘の鋭い政宗は確実に気配を察している。唇を噛んだ幸村は背にする兵らを見遣った。皆あちこち負傷していて辛そうだ。ここは幸村一人出て行き、政宗の気を引く間に部下を進ませるしか策がない。幸村は己が考えを告げた。将らは断固拒否した。
「よいか、皆のもの。貴殿らをお館様の元に連れ帰ると、俺は佐助に言伝た。いや、約束した。追手は出させぬゆえ、安心しろ」
「幸村様、なりませぬ!我らも共に…!」
「その怪我ではろくに動けまい。俺が出たら皆走るのだぞ。よいな」
部下に微笑んだ幸村は、林と田の畦に飛び出し名乗りを上げた。
「そこの軍勢、待たれい!某、真田源次郎幸村!!!伊達政宗殿とお見受け致すっ!何故、信濃国へと参られた!!」
風が吹き抜け木々がざわめく。山彦が返した幸村の声だけが静まり返る辺りに響いた。政宗は馬を引き、幸村に向かい合う。全身ずぶ濡れで覇気のない頭と鉢巻を見るなり、ぷっと頬を膨らました。とうとう我慢できずに腹を抱えて笑い出した。
「HA!何てなりだ真田幸村!もう秋だぜ?水泳でもやってきたのか」
「な、なんでも良かろう!!それよりも某の問に答えられよ政宗殿!何故信濃に参られたのだ!」
「そんなん、俺が通りたいからに決まってんだろ。ケチケチしねえで通せよ。You see?」
幸村の将兵らは、言いつけを守り里山の方から山道へと回っているようだ。幸村はほっとひと安心した。
政宗は馬を降りると、一歩、また一歩と幸村に近づいていた。腰を落とし、応戦体勢を取る。政宗は刀に手を掛けたまま抜かず、あぜを軋ませるばかりだ。焦らされる緊張感に幸村はごくりと喉を鳴らした。
「ここであったが何とやらってな、真田幸村。阻みてえなら、槍を取れ!!」
居合で抜かれた刀身は一文字に幸村の腹を切り裂こうとしたが、紙一重で幸村はかわした。政宗は跳躍すると振り上げた得物を瞬時に振り下げる。地面に転がり、避けた幸村だったが、あろうことか槍を一本手放してしまった。畦から段差を転げ、田の中に入った。取る暇も与えず政宗は更に一本刀を抜き、幸村に斬撃を繰り出した。
「Ah?どうした、調子わりいのか?」
楽しげに笑みを浮かべた政宗は兜の影に左目をギラつかせている。いつも以上に執拗な攻撃、そして血の昂ぶり様だ。素早い振りに地面を右往左往するも、中々もう一本の槍に届かせて貰えない。幸村の視界にはふと柴田勝家が目に入った。じっとこちらを見つめていた。
「Hey!よそ見してんじゃねえよ…っ!」
「うおわっ!」
政宗が残りの刀を全て抜き、慌てて避けた幸村は尻をついてしまった。まさに振りきる寸前だ。槍一本の今では六本の刃を全て受け止めることは難しい。残像のようにして迫り来る白刃に幸村は息を呑んだ。
ところが、来るべき衝撃も痛みも来なかった。不思議に思い目を開けて驚いた。赤い拵えの者たちが刀を抜き、十数本の刀が政宗の刀を留めていたのである。幸村は当然焦った。
「な、なにをやって居るのだ…!進めと言ったであろう…!」
「なんの、我らとて、武田の兵にございますれば、幸村様がお館様をお守りするのと同じく、我らも幸村様のお背中お守りすること、これ使命にございまする!!」
武田の将兵らは幸村を庇うべく、ずらりと半円形に囲んでいた。弾き返し後方へ間合いを取った政宗は、武田軍の光景に愉悦している。背にする自軍にもついに命じた。
「てめえら…、赤い連中相手してやれ、真田幸村は俺がやる!手出しすんじゃねえぞ!!Are you ready guys?!」
「Yeahhhhh!!!!!」
右目の諌める怒声も聞こえたが、双大将は構わず打ち合い赤青入り乱れ畦を駆け回った。手傷を負いながらも、武田の将兵は一心不乱にその乱闘ともいうべき状況に亀裂を入れようと必死だ。だが、血気盛んな伊達勢は衰えを知らない。武田軍の一人が、また田に投げ飛ばされた。近くに居た兵が身を案じ駆け寄り名を叫ぶ。幸村は体を震わせ、雄叫びを上げた。が、自身の声とは別に、野太い声が重なった。馬の蹄が地を蹴っている。早馬が此方へ向かっていた。旗印はないが、藍色の馬飾りは伊達のそれだ。武具や兜も付けず、軽装な将は伝令らしい。
「殿ーっ!片倉様ーっ!!火急の知らせにございまする!このような所で油を売っている場合ではございませぬわ!!一刻も早く米沢への帰路にお戻り下さいませ!!!」
幸村と押し合っていた政宗は、刃を離すと小十郎と伝令とのやり取りを睨んでいた。武田兵も伊達兵も只ならぬ様子に眉をひそめている。詳細を伺った小十郎は、振り返り辺りに号令を放った。
「おい!てめえら、戯れは終わりだ刀を仕舞え。政宗様もお早く、領内にて少々…」
事情を詳しくは伝えぬものの、小十郎は苦い表情を浮かべていた。政宗は面倒くさそうに刀を鞘に納めると、幸村に背を向け愛馬にまたがった。
「真田幸村、勝負はお預けだ。てめえの部下に免じて一旦引いてやる。命拾いしたな」
そう言って、政宗は引き止める幸村ににべもなくその場を去っていった。
カアとカラスが鳴いていた。戦いを終えた武田兵は、大の字に地へ転がり、ぜえぜえと唸るように息を上げている。比較的軽傷の者が、ひとりひとを気遣い、体を支えて幸村の元へひれ伏した。将と兵は皆無事だ。頭を垂れる部下を前に「恩に着るぞ」と告げた幸村は、薄夕闇の山道を上田へ向かい再び辿り始めたのである。
「そうして先刻、重症であった兵が、斜面を転がってしまい、通りかかった貴殿に手当頂いたという次第にござる…」
ぱちぱちと舞う火の粉を見つめ、囲炉裏に当たる幸村はそう話した。
追いかけてきた幸村に、お力をお貸し頂けないだろうかと頼まれた凛は、一度は断ったものの何度も幸村が頭を下げ、引かぬので、仕方なく首を縦に振っていた。そうして今居る場所に連れて来られたのである。
此処はとある信濃の山里だ。忘れ去られたように森に埋もれた小さな山村である。
人の住まう家は数戸しかなく、他は殆どが空き家だった。元々年寄りばかりの村で、若い人間は働きに出たり仕官を求めてあちこちの城下へ出て行ったきりであるらしい。
その内の空き家を一件、幸村は村の老人から借り受け、部下たちを休ませていた。その間、はぐれた兵を見つけ、凛を追いかけてきたという訳だ。
凛は横たわる兵一人一人を診てやった。傷は浅いが、泥水の中を泳いだとのことで危うく破傷風になるところである。最後の一人を処置し終えた凛は、箱に道具を仕舞い自身も火の側へ寄った。
「真田様、薬屋の見立てにはございますが、皆の処置を終えました。かの者以外は大事なく、お城へ着かれましたら栄養のある物を食べさせ、十分休むのが良いかと」
「まことにかたじけない…!このご恩は某、生涯忘れはしませぬ!」
胡座をかいたまま、幸村は拳を床に付き凛へ頭を下げた。
「真田家のご子息様がそう、安々と民に頭を下げてはなりません。どうぞ、お顔を上げてくださいませ」
そう言った凛に、壁に寄りかかっていた居た将が「幸村様は相変わらずだ!」と言ってけらけらと笑っていた。
「あ、相変わらずとは何を言う!某は、本意よりそう思うて居るのだ!」
幸村と将兵の言い合いに、凛はなる程── と心中頷いていた。この真田家次男、真田幸村は、他国の武将よりも少々人への警戒心が無さ過ぎた。こうして簡単に頭を下げることもそうだが、どこぞの旅の薬売りに部下全てを手当てさせるのも、どうも甘い。お人好しという部類に入るだろうが、それ以前に将として他人を信用しすぎている。
日々、調略謀略の手練手管で戦乱の世を一等に駆け抜けようとしている輩が大勢いるにも関わらず、何とも純真無垢で清い心の持ち主だと凛はため息をついた。
当初は、幸村に近づき内情など探れないかと目論んでいたが、この様子では大方内儀についての詳細も知らないだろう。やはり、頼れる者は自分だけだ。凛は、床に放おっていた頭巾を手に取ると、幸村に向かって指を揃えた。
「真田様、わたしは先を急ぎます故、これにて失礼いたします。どうぞ、皆様お大事になさいませ」
頭巾を被り、薬箱を背負う凛を、幸村は慌てて止めた。
「お、お待ちくだされ…!もう外は暗うございまする。おなごの一人旅ですら…危のうござる。むさ苦しくはあるが、今夜はこちらに宿を取られよ。奥にもう一つ部屋がござる。そちらをお使いくだされ」
「いいえ、お気持ちだけ、頂戴いたします」
幸村の心配そうな顔に、他の者も「危ねえぞ」「夜道の一人歩きはお止めなされ」と口々に言う。幸村はこの暗闇に一人凛を放るのが、大層心痛む様子だった。
「そ、そうだ!凛殿、貴殿の目的地はどちらでござろう?」
「上田にございます」
凛は言ってから後悔していた。せめて越後とでも言っておくべきだった。うっかりまっすぐが移ってしまったかのようである。だが後の祭りだった。幸村は目を見開き、嬉しそうに凛の方へずいと顔を近づけた。
「ならば、尚の事!某たちと道中行かれるとよかろう!貴殿が居れば怪我をした者も心強い。それに、今、上田にはお館様もご到着なされている筈だ!此度の凛殿の心配り、是非ともお館様にお話を聞いて頂きたい!」
薬箱を背負い、腰を上げかけていた凛は思わず動きが止まった。今、幸村は何を言ったか。自らが信玄に会わせたいと言った。これが好機としてなんとしよう。その場で信玄を仕留められずとも、武田信玄という人間をある程度知っておくには、今後の策を進めるに辺り十分な情報が得られる。体格、癖、性格、これらは隠密に行動するには必要不可欠な情報だ。
凛は大層困った様子を装った後、薬箱を床に下ろし、幸村へ頭を下げた。
「そう、真田様にお頼み申されては、断るのも失礼にございます。お言葉に甘えて、上田への旅、お伴させて下さいませ」
こうして翌日、一行は上田へ向けて出立した。