朝 顔 の 檻

第 六 話

 城下との往復は本日何度目になるだろうか。普段の鍛錬は欠かさずとはいえ、道という道を這いずり回り、鉛を下げたように疲労は足に蓄積していた。
 賭場へ着くと、相変わらず雨戸はしまったまま、しかし欲の札が飛び交う音は戸の内に収まることなく、悔しさと歓喜の渦と共に外へ漏れ出ていた。夜が更けたとて博打打ちにとっては、まだまだ盛況ぶりが衰えることはない。
 しかし、着いたはいいが肝心の頭の居場所を左近は知らなかった。毎夜居る様子だが、これまで一度もその姿を見たことがないのだ。中を調べる必要がある。
 とりあえず入口に向かった。そこには一人、案内係の男が座っている。左近にとっては顔なじみだ。ところが男にとって左近は、上客という名のネギを背負った鴨だ。左近を認めるといらっしゃいやせと笑みを含ませ、くたびれた戸を引いた。
 敷居を跨げば相変わらず図体のむさい連中が、小さな賽子に明日の飯を握られている最中だ。戸の引かれた不協和音に幾人かは視線を向けたが、他はお構いなしに壺振りを凝視し続けている。
 新しい客、左近に気づいた仕切りの男が、腰を低くしてやって来た。が、顔見知りではあるがいつもの男ではなかった。
 『そいじゃあっしは、宿場近くの店をあたって話つけてきますんで』とあの蔵で聞いたあの声は、やはり聞き間違いではなかったようだ。

「これは島の旦那。久方ぶりですねえ」
「おう。いつものやつはどうした」
「へい。今、使いを頼まれてちょっくら出てまして。ささ、旦那、今日はいかほど札ご用意しましょう」
「いや、今日は丁半叫びに来たんじゃねえや。ここの頭に会いてえんだよ」

 聞くやいなや、仕切りの男はいかにも怪訝そうな表情を浮かべ、すっと目を細めた。

「一体どうしたっていうんです…。うちの親分は客との面会はしねえ主義なんですよ。いくら島様とはいえ、そればっかりはどうにも受け入れられねえ。まあまあ、そんなことより、遊んでってくださいよ。旦那」

 なかなか座らぬ左近に、丁半に興じていた客らも様子をうかがっていた。
 茶屋のように同じ轍は踏むまいと、左近は悟られぬようせねばならない。参加しないわけにはいかなかった。
 本来の目的はさっさと札を手放し、賭場の頭を探し、千代の父親がこの元料理屋を売った経緯について聞くことだ。正直時が惜しいがこればかりは致し方ない。隙を見て抜け出し探す他なかった。

「そうか。突拍子もねえこと聞いてすまなかった。じゃあ今夜は十ばかりでいいや。この回、終わったら始めさせてもらおうか」
「へい。ありがとうごぜえます」

 金を渡し、札に替え、左近はこの場が終わるのを待った。待つ間に何気なく部屋をぐるりと眺めたが頭らしき人間はどこにも見当たらない。
 今日の客の入りは全部で十六人。今来た左近を含めると十七人だ。見知った顔もいるが、珍しく大店の旦那衆が居る。商人どもは容赦なく札を積むから、他の客も吊られて余計に札をかけてしまうのだ。金無し運無しの人間はまさにカモと化す。札を少なく買ってよかったとつくづく思った。
 一つ溜息をつくと、早速、次の場が始まった。壺振りが声高々に「では参ります」と太い腕を腕を上げる。賽子が壺に投げ込まれたと同時に床に伏せられると、客は丁半を叫びながら札を中央へ投げ入れた。
 それを繰り返し、四半刻ほど経った頃、左近の傍らに仕切りの男が寄って来た。また例の丁半、両方かけませんかという誘いだ。負け続けた事によって、早々に手持ちの札は少ない。嬉しいやら悲しいやら、こういう時こそ、日頃の負け癖が役に立たねば浮かばれぬというものだ。思いの外早く上がれそうなのは、好都合だった。
 薄ら笑いを浮かべながら仕切りの男は左近にそっと耳打ちをした。

「旦那あ。どうされます?いいですよ。今日は特別に」
「って、それ。さっき別の奴にも言ってただろ」
「へへ、バレてましたか」

 壺振りの男が、早く札を積ませろと仕切りの男を急かしているのが見て取れた。相変わらず客から金を巻き上げることに関しては容赦無い。仕切りの男は、尚も札を出させようとしている。左近そこで、はたと閃いた。

「そういやあ、この間は色つけるって言われた時に、えらくいい娘を二階に上げてくれたんだが…」
「おっとお、旦那は相変わらず敏くていけねえや。おまけにツイてるときてる。いい娘が控えてるって話だ。金よりそっちがよければ親分に掛け合いやすぜ」

 仕切りの男は旦那も好きですねえとニタニタ笑っている。笑いながらもちゃっかり札を寄越せと手は出していた。丁半掛ければ、二階で茶屋の娘を待つ時を稼ぐことができる。その間、仕切りの男は親分に掛け合うと言っているから、後を付けていけば頭の居所を掴めるはずだ。
 左近は残りの札すべてを、相手の手のひらに押し付けた。

「へへ、ありがとうございやす。この回終わりましたら、どうぞ二階へお上がりくだせえ」

 壺振りが声をあげ、仕切りの男は外へ出た。只今の結果は結果は四六の丁。左近の勝ちだ。それを聞き届けた後、何食わぬ顔で腰を上げ、仕切りの男を追った。
 男は、左近に気づく様子もなく跳ねるように歩いている。小さな提灯が歩く度に蛇腹のほねが上下していた。
 廃屋同然の長屋を横切ったところで男は突き当りを曲がった。勿論左近もあとに続いた。ところが、男は眼前から忽然と姿を消していた。今しがた曲がったばかりだというのに提灯の灯りも、男も居ないのだ。

「なん、なんだ…」

 一体何処へ消えたのだと、周囲を徘徊し、空き屋の部屋も隈なく見たが、人っこひとり居やしない。
 これでは親分の居場所すら掴めないと歯噛みする思いでいると、何処からともなく再び草履の擦れる音が聞こえた。足音は二人分。恐らく二階で待つ左近に茶屋の娘を連れてきたに違いなかった。結局親分の居所を掴めぬまま早々に時間切れとなってしまった。不運続きである。
 慌てた左近は屋根をつたい、二階の張り出しから部屋へ飛び込むと、あたかも、首を長くして待ち構えていたかのように窓枠に肘をついた。襖の向う側では人の気配とともに床がみしりと鳴った。間一髪だ。

「旦那あ、失礼しやす」

 引かれた襖、頭を下げる男、そして後ろに控える娘、この光景は二度目である。返事をし、顔を上げた娘の目に写った驚きようといったらなかったが、それは左近も同じだ。ぱちりと目を丸くする千代に、なるべく初対面を装った。

「まったく、旦那は。あまりに急ぎ過ぎですよ。あっしが出た後すぐ座敷出て上がったんでしょう」
「あ、ああ。まあな。そういうことだ。とっとと出て行ってくんな」
「へいへい、ではごゆるりと…」

 男は膝を付けたまま後ろへ下がると、千代だけをを残し、襖の隙間から薄ら笑いを浮かべ去った。人の気配が離れ、見つめ合い瞬きする間もなく左近は無意識のうちに腕を伸ばしていた。

「千代っ…!」

 抱き寄せたと同時に千代は震え泣いていたが、健気な力を込め、背に回された華奢な腕に自然と嬉しさがこみ上げた。恐ろしい思いをしたかと問えば、千代はふるふると首を動かした。

「あんたが無事で心底安心した。びっくりしたぜ。すげえ偶然もあったもんだ。あれからどうしてだんだ」
「目が覚め、気がつけば真っ暗な部屋に居りました。その後高利貸しが訪れ、今の茶屋で私が働くには都合が悪くなったので、別の土地の店で働いて貰うと告げられて…」

 千代を連れさったのはどうやら高利貸しの手のものらしかった。

「そうして暫くの後、つい今しがたですが、最後の仕事があるからとここの頭に命じられて賭場に連れて来られたのです」
「ちょっと待った。高利貸しと会ったって?賭場の頭にも?」
「はい。茶屋はこの賭場の頭が営んでいますし、あの茶屋に私を入れたのは高利貸しでしたから。でも、島様こそ何故こちらに…」
「あんたを茶屋から連れ去った奴の後を追っていた。だが面目ねえことに途中で見失っちまって。だけど、千代が前に母親が料理屋やってたって言ってただろ。元料理屋の賭場なんてそうそうあるわけねえし、ここの頭は何か知ってんじゃねえかと藁をも掴む思いで探りに来たってわけだ」

 くゆる行灯の煙に、虫の声が涼やかに乗っている。耳を傾けつつ暫し再会の余韻に浸っていたかったが、左近は更に真相を追求せねばならなかった。千代を覗き込み、優しい眼差しを向けた。

「この賭場は元は、あんたの母親の店だった。そうだな」

 千代は頷いた。

「賭場の頭と、高利貸しがどういう繋がりなのか、話しの続き、聞かせちゃくれねえか」

 今の千代に、座敷での戸惑いは一切見られなかった。見上げる瞳にしっかりと左近を映している。大きく息を吸った。

「返済に困っていた父に、母の店を買ってやろうと最初に名乗り出たのが、この賭場の頭でした。父は目先の事ばかりで、買い取りの額が少なくともあっさりと母の店を手放したのです。ところが頭は高利貸しと通じていました。料理屋を買い取った後、賭場を開いた頭は、どうやら私が勤め先を探していると高利貸しに伝えたようで…。それで私は茶屋で働くことになりました」

 その後、賭場の頭は、丁半博打で遊び狂ってすっからかんになった連中に、高利貸しの仲介として裏で金貸しをしていたようで、おまけに返済できなかった連中の妻や娘は、次々と茶屋に入れていたようである。
 甘い言葉で賭場の連中に借金を背負わせ、更に器量の良い娘をタダ同然で手に入れ茶屋で働かせる。高い利子に加え、娘の花代とで現状上手い具合に儲けを手にできているわけだ。実際は高利貸しと賭場の頭との協業だった。
 確かに、こんな小さな賭場が年単位で続いているのも不思議と理解できる。

「なる程な…。そうして借金背負わされたあんたの他にも、店とは別にこうして賭場の客にもついているってのか」
「はい。そういう娘は皆、私と同じような事情があります」
「それにしてもやり方ってもんがあんだろ…」

 左近は腹が煮えくり返っていた。借金することは自業自得とはいえ、賭場の頭、それに加担した高利貸しの下衆なやり口は許せない。そして、何より、これまで賭場で遊んでいた己にもだ。知らなかったとは言え、汗水流して働いた後、毎夜の楽しみの舞台裏の真相を知れば虫酸が走る心地だった。
 だが、これで理不尽な人身売買としての証拠は十分である。この賭場の頭も高利貸しにも嫌疑が事実となった今、店なり家なり秀吉の名を以ってして問答無用で調べることができる。
 また、三成の云っていたように、恐らく高利貸しは返済金が城の金であることを既に知り得ているのだ。でなければ、千代をこの土地から遠ざけるなど、手のこんだことをする筈も無い。
 しかし、千代の話しぶりからして、彼女は父親が城の金に手を付けたことを恐らく知らないのだろうと思われた。左近は、父親の所業を正直に話すか迷った。
 いずれは、分かることなのだ。仮に城の金を見つけられたとしてもそうでなくとも、見つかった娘に秀吉は何らかの責を命じるかもしれない。それが何かは左近にもわからない。牢に入れられるかもしれないし、最悪な事態も想定できる。左近もそれだけは避けたい。
 ふと、左近の手に千代の手が重なった。難しい顔をして考えこんでいたからか、千代は左近を覗きこんでいた。

「島様、いかがなさいましたか」
「いいや、ちょいと考え事だ…」

 すぐ側に千代の息遣いを感じ、触れている箇所はひどく熱を帯びていた。左近はくるりと向けられる大きな瞳になかなかどうして目を逸らすことができないでいる。

(まいった、な…)

 向けられる眼差しは、赤格子を隔ててではない。
 当初、一人の娘がただ身を流れに任せ生きている様を見て、千代はあまり関わりたくない人間だった。過去流浪していた己自身を見た気がして目を逸したかったのが深層だろう。
 ただ、そんな左近にも転機はあった。秀吉に忠を尽くす、その太い一本の芯が通る現主の背を見た時、その生き様に感銘受けたが故に、現在は三成に、また豊臣に仕える家臣となっている。
 もちろん千代はそんな左近の過去は知らないが、今この偶然の再会で、背に回された華奢な腕に、こうして左近を気遣う彼女に、多少は己に光を見てくれたのだと一瞬でも自惚れた自分が居た。今更乗りかかった船ではない。既に波濤を乗り越える寸前だ。左近は千代の手を握り返し、決心した。

「あんたの親父さんのことだが――」

 その時、続けようとする言葉を遮って、耳をつんざくような破裂音とともに、突如人が襖を突き破って座敷へ飛び込んできた。左近はすぐさま千代を背に庇い、刀を抜いた。
 座敷に転がり、伸びているのは恰幅の良い派手な着物を来た男だ。それを気遣うように、いつの間に戻ってきたのか、先ほど千代を連れて来た仕切りの男が顔を真っ青にして倒れた男に駆け寄っていた。投げ飛ばされた男の体躯は、あらぬ方向へ曲がった襖の縁に自由を奪われている。仕切りの男は必死に外そうと一所懸命手助けをしているのだが、今、人一人部屋に投げ込まれるような状況下、このしばしの暖かみをぶち破られる理由はさっぱりわからない。

「親分!しっかりしてくんなせえ!親分!!」

 親分…。どうやら、畳の上で気を失っているのがこの賭場の頭であるらしい。すると、隔たりがさっぱりと取り払われた敷居をまたぎ、髭を携えた男が一人、ゆっくりと座敷を踏みしめた。と同時に、言い知れぬ緊張がひび割れのごとく部屋に広がっていた。
 目の前には、頭を投げ飛ばしたと思われる壮年の男が、まるで虫けらを見るような目でこの場に居る人間を蔑んでいる。千代が震えているのが左近の背に伝わっている。離れるなよとそっと声を掛けた。

「おいおい!あんた、なにもんだ。こちとら客だぜ?今からいいとこだってのに、喧嘩なら別の所でやってくれよ」
「卿らに名乗る名など持ちあわせていない。加えて喧嘩などではない」

 髭の男は左近を見ることもなく、小さなため息をつくと、転がる頭へ淡々と呟いた。

「頭。調子に乗るなとあれほど言っておいた筈だが…。戻ってみればなんという有様だ。こうして再び引きあわせてしまった代償は大きい」

 賭場の頭は気絶したままぴくりとも動かず、親分を案じる仕切りの男は、凄みに耐えかねヒィと蹲った。髭の男は視線を左近にいや、正確にはその後ろの千代に突き刺した。

「その娘をこちらへ渡してもらおう。それは、私の大事な品ものであり、借金の担保だ」

 すがる千代の手にますます力が込められる。すると千代は「島様…あの、お方が…」と、か細い声を出した。左近は瞬時に察した。

「あんた。商いは金貸しかい」
「…金を貸しをしたり、骨董を愛でたり、時には武士でもある…やもしれぬな」
「へえ。あんたが千代に用があんなら、俺も用がある。あんた、城の直参に金をかしてるだろ」
「だったらどうしたというのだ。金貸しというのはそういうものだ」
「で、高利で貸して、返済ん時は骨の髄までしゃぶりつくすってか。あんたには娘売の嫌疑がかかってる。よくも秀吉様のお膝元で悪行働いてくれたな!」

 すると髭の男は、不思議そうな顔で首を傾けた。

「卿は、物を考えることを知らぬのか。はたまた阿呆なのか。その後ろの娘、卿の客なのだろう。売るものが居れば買うものも居るではないか。卿も私もやっていることはさして変わらぬ。道理を弁えぬ言い分はよせ」
「なっ、、あんたには人さらいの嫌疑もあるぜ…?」
「ほう?人さらい…。何か証拠があるのかね」
「しょ、証拠は!ここにいる千代だ!連れ去られた場所には俺も居た。それに千代はあんたが使いに寄越したやつだと話してくれた」
「卿は勘違いをしているようだが、その娘の父親は私から金を借用していた。だが疾走した父親に代わり、やむを得ず娘に払って貰っているだけだ。至極当たり前のことをやっている。これ以上の他人の関わりは結構。商いの邪魔だ今すぐ立ち去れ」
「はっ、そりゃお生憎様。あんたが懐に抱えている金は大阪城の金かもしれないんでね。俺はその行方を調べるよう上から任されてんだ。ちょっくら、あんたの商いしてる店、調べさせて欲しいんだがな」
「金の出処がどこであろうとこちらには関係のないこと。だがまあ、返済の助言くらいはしてやった、か」

 刀へ腕を乗せ、気だるそうな口調で言った。左近はぎりと奥歯を噛んだ。

「舐めた真似してくれやがる…。千代の親父さんそそのかして、城の金で返済させたな」

 高利貸しは、左近の言葉など耳に入れず、未だ横たわったままの頭の側へ行くとおもむろに側に落ちていた賽子を拾い上げた。どうやら頭の懐から転がった物らしい。しばし手の中でいじり、口角を少し上げただけの不気味な笑みを浮かべて愉快だと呟くと唐突に左近の方へ投げた。左近は顔面すれすれの位置で掠め取った。

「何しやがる。質問に答えろよ」
「卿は…、博打をするかね」
「だったらなんだってんだ。そんなこと今はどうでもいいだろ」
「少々退屈していたところだ。賽子遊びをしようではないか。そうだな。卿には城の金を取り戻す命が下っているそうだが、であるならば、卿が勝った暁には、その娘の借金無かったことにしてやろう。父親の支払い済みの金もそっくり娘へ返してしんぜよう。その代わり、こちらが勝った場合、卿からは、娘と卿の命を貰おう」

 高利貸しは嘲笑していた。

「ふざけんな!冗談じゃねえ!」

 額の血管は今にも破裂寸前だ。いくら左近でも、乗っていい勝負とそうでない勝負くらいは弁えている。
 戦場でならいくらだって自分の命をかけてもいい。今なら、千代を守る為であっても同じことは言えるだろう。が、その勝負に千代自身を巻き込むわけにはいかない。
 千代は後ろから激昂する左近に「島様」と心配そうに呟いた。声は震えていた。千代は会話の中で、父親が城の金を横領した罪人と知り、動揺しているのだ。そんな不安げな声が耳に届いたのか、高利貸しは楽しむように、静かに鯉口へ親指を掛けた。瞬時に左近も構え、千代をかばいながらじりじりと後退し間合いを取った。
 刃先を当てたような尖った空気が部屋にひしめいている。一歩踏みしめるだけでも、一触即発の緊張が今にも爆発してしまいそうだ。高利貸しの親指が刀に触れただけだというのに、肌が波打つほどの殺気が広がった。相手がどの程度の剣客か、この雰囲気で分からぬ左近ではない。
 鞘と鯉口の間、薄く覗いた鈍い銀色は、恐らく数しれぬ多くの人間が最後に目にした物かもしれない。微かに鉄の臭いが鼻孔をかすめた。それほどに、高利貸しの余裕満々な表情は、己の腕に自信があるのだ。まともに刃を交えるか、高利貸しの云う命を賭けた丁半に伸るか反るか…。
 左近は今一度部屋を見渡した。倒れている人間を含めこの場には五人、いまだに伸びている賭場の頭と、気遣う仕切りの男、そして腕っ節に自信の有りそうな高利貸しと、左近に庇われる千代と左近だ。
 距離があり、一振りでは届かぬ筈の刃も、狭い部屋ならば片腕を伸ばすだけで人を傷つけることは容易だ。
 悩む左近の後ろで、千代は益々手に力を込めていた。左近は腹をくくった。

「千代、あんたの命、一時俺に預けちゃくれねえか」
「島様、私は…」
「親父さんのこと、黙ってて悪かった。本当はちゃんと説明しなきゃなんねえって思ってたんだ。後できちんと話す。とにかく今は時を稼ぎてえ」

 千代はまだ何か言いたそうな顔をしたが、左近は安心させるように笑みを見せると、目を伏せ堅く頷いた。左近は抜いていた刀を鞘にしまうと、胡座をかいて腕を組んだ。

「上等だ!この島左近、その丁半勝負、受けて立とうじゃねえか!」