朝 顔 の 檻
第 四 話
見回りから戻った左近は、帳簿改ざんの件と千代の報告をするために三成の執務室を訪れた。今だに政務が残っている様子で、三成は机から離れず書き物をしている。背を眺め、奥に揺らめく影をぼんやりと追っていた。行灯の炎が襖より入る隙間風になびくと、輪郭を歪ませ動く様に己の不安が駆り立てられた。報告をしたならやはり千代は父の代わりに罰せられるのだろうか。と、肩入れしていることに気づいた。茶屋で話をした時の辛そうな表情が頭にこびりついて離れなかった。城へ帰る途中、何度も公務だと言い聞かせていた。だが、ふとした時、脳裏には共に蕎麦を食べた時のあの笑みが思い出されるのだ。初めのうちは面倒だと思っていたにも関わらず、心なしか顔が緩みそうになる。
「貴様、人の部屋まで来てにやけた面をするな」
「え、俺、にやけてました?」
「さっさと報告しろ」
左近は一度咳払いをした。三成が調べ上げた元勘定方の家臣は、千代という茶屋の娘の父親であり、また大変な博徒であったこと。そして首が回らぬほど多額の借金をこさえ、妻の営む料理屋までも売り払ってしまったこと。その挙句、娘千代も茶屋へ売られ借金の形にされていることである。
そして左近は己が納得行かないこと、疑問に思う部分も三成に話した。
まずひとつは、千代は父親がまだ生きていると思っていることだ。しかし城の記録には、勘定方の元家臣は死んだと記されている。果たしてどちらが正しいのか不明だ。そして二つ目は、千代の父親が城の帳簿を改ざんし、本当に自らが金を使い込んだのかという二点である。千代はこの件に関して言えば知らぬ様子だったし、左近も敢えてその嫌疑があるとは話して居ない。後者については証拠が無いだけに、三成は随分頭を悩ませていた。
「しかし首が回らぬほどの借金をしていたとあれば、返済のために城の金に手を出したと考えるのが道理だ」
「ですよね…でも金が何処にもねえってなると、そのくすんだ金は既に高利貸しに渡った可能性もありやす。そいつらに今頃返せって言ってもしらを切られちまう」
「だが許しがたい。いっそのこと胴元をお縄にしてくれようか…。恐らくその千代という娘だけが借金取りの人の売り買いの被害に合っているのではなかろう。まだ他にもそんな人間がいるはずだ。秀吉様の膝元で公序良俗に反する行い、断じて許してはならぬ。左近、その娘から高利貸しの胴元の名、割り出せぬか」
「娘に罪状を突きつけることは…」
「なにを見当違いなことを言っている。手がかりになる糸口を掴めたのだ。よくよく吟味する必要がある」
「へ、へい!三成様の命とあれば、身を裂いてでも聞いてきます!!」
「頼んだぞ。高利貸しの名さえ分かれば後は調べも付く。娘の売りの嫌疑をかけた後、拠点を隈なく調べる口実にする」
そう三成より命じられた左近だったが、帳簿改ざんの調べは一旦中止せざるを得ぬ状況となった。戦の準備に手を取られる割合が増えたからである。
城の者総出で遠征の準備にとりかかり、左近も近頃は己の隊の編成や軍議などに明け暮れ、日頃の公務も相まって目も回る忙しさとなった。
半兵衛の手腕により、前田軍との交戦はなんとか避けられ、和議が整いつつあるも、問題は柴田勝家であった。こちらは相変わらず軍内の対立が凄まじく、降伏の要求の為に使者を出しても毎回違う返答なので、和睦もなにもあったものではない。
秀吉や半兵衛は、柴田軍にまとまりが見られぬのならいっそ壊して我が物にする勢いで兵を進める。と先刻の軍議で声を上げた。それに賛同したのは勇ましい若い将たちだった。久々の戦に大所帯の隊列を成し、行軍するのはやはり誇らしいのだろう。武功をたてようと皆の士気は益々上がるばかりである。
出立前夜、左近は己が隊の兵らと最後の段取りを確認していた。島隊が負う任は、柴田本隊の奇襲である。正面から竹中半兵衛隊と石田三成隊が山を登り攻めこむので、左近たちは急斜面を下り背後から柴田本隊の陣へ突っ込むことになっていた。
ひと通り仲間たちと作戦を確認した後、左近は皆を激励し、よく休んでおけよと早めの就寝を促した。ところが促したところで、己は気が高ぶりなかなか床に入れなかった。
布団を抜け出し何度目かわからぬ武器の手入れをしてみた。眠れない。兵法書に目を通してみても眠気がやってくることはなく、結局着流しに羽織りを一枚ひっかけ、ふらっと城を抜けた。門番に声を掛けられるも、他言は無用を言い聞かせ城下へ入った。
相変わらず、夜半間近の花街界隈は人通りも多く賑やかだ。近頃は南蛮船も出入りするので変わった風体の異国人が多く行き交っている。月明かりも霞むほどの色とりどりの提灯と、白粉や酒、食べ物の香り漂う空間は、殺伐と戦の準備に追われる城内とは別世界だ。
左近は、そのまま通りを突き進み、派手な客引きの女には目もくれず、とある茶屋の前で立ち止まった。暖簾の下からは誘うように灯りが溢れ、玄関の隣にある太い赤格子の中には、娘たちが控えている。男が数人、足を止め好みの娘を品定めしているが、左近はその後ろから格子の隙間を対角線上に視線を幾度も往復させ、目を凝らしていた。
隅の方には一等目立たない娘が座っているのを見つけた。格子に寄り、しゃがむと千代の名を呼んだ。千代はきょろきょろと外を眺め、名の出処を確かめている。左近を見つけると、驚いた様子ですぐさま寄ってきた。
「よう」
「島様!どうなさったのですか」
「通りかかっただけだ」
「と、通りかかった…のでございますか?」
「まあいいじゃねえか別に、何でも」
千代は格子を隔てた向こう側で、袖を口元へ当てるとふふと笑った。しかしその後二人は会話が続かない。左近には情がうっすらと広がりを持たせつつも任を意識するあまり言葉に詰まっていた。
先ほど城を出てくる時「三成より受けた命を遂行すべくこれより千代の元を訪れるのだ」と、そう自分に言い聞かせ道中足を急がせたのだが中々本題に入れない。
胴元の名を聞いた後、人身売買の嫌疑で其奴をしょっぴく。そして金の件について問いただす。恐らく千代は茶屋を出ることができ、どこへなりとも奉公できる。そして任を終えた左近は、日常に戻れる。
千代をこのまま格子の内に閉じ込めていたい訳ではないのに、どこかでこのままでありたいと望む自分が居た。左近は小さな正方形の隙間に手を掛けた。その上には左近より一回り小さく白い手が、自然と重ねられた。驚いて手を引っ込めようと試みるも留まった。千代が深刻そうな表情だったからだ。
「秀吉様が、じき戦へ向かわれると噂で聞きました。島様も、行かれるのですか」
「まあな。俺は三成様の左腕だし、豊臣の為なら戦場で奮迅するさ」
「私、島様のお帰りをお待ちしております。ご武運をお祈りしております」
さらりと千代から出てきた言葉を耳にした途端、喧騒が一気に引いたかの様に感じた。格子の向こうでは黒い瞳が一心に左近へ向けられいる。蕎麦屋の時と同じだった。やけにむず痒い気持ちになり、また思わず顔を逸らした。千代も一呼吸間を置いた後、首まで真っ赤になって俯いている。慌てて重ねていた手を離すと眼前で振っていた。
「ぁあ!あの、今のは!島様にいつかのご無礼とご恩を、お返しせねばと言う意味で!」
「わ、わかってらあ!そんな必死になるなよ!こっちまで恥ずかしいだろ!」
「す、すみません」
左近が長々と赤格子の前に居座っているので、そろそろ店の目が厳しくなり始めた。玄関先の客引きにじっとり睨まれた左近は居心地が悪い。左近は千代へもっと格子へ寄るように手招くと、耳打ちした。
「戦から帰ったら、あんたに聞かなきゃならねえことがある」
「今でも」
「やっぱ、今じゃ駄目だ。人が多い。そんときゃまた客としてくる」
そう言って左近はすっくと立ち上がり、華やかな通りの中へ紛れていった。
・
出陣から長期に渡った好天で、目的地までは順調な行軍となった。
柴田軍の所在を突き止めた後、竹中半兵衛隊と石田三成隊はあからさまに目立つ位置に陣を構え、幾つもの幟を堂々とはためかせると、その下で炊さんなどさせ、敵の注意を大いに引きつけた。その夜、悟られぬよう山麓の東西南北に各隊を配した半兵衛は、兵を闇に紛れさせ一挙に柴田軍へ奇襲をかけた。敵本陣背後を任された左近は、隊を引き連れ山の急斜面を滑り降り、加速した士気の勢いそのままに幾つもの首級を上げ、三成左腕の名を益々世にしらしめた。
往路復路の移動も含め大凡一月に渡る戦は、圧倒的な兵力と戦略差でもって押さえつけ、豊臣軍は見事にに大勝し帰還の途についたのである。
領内に入った頃より、沿道には民の出迎えが絶えなかった。隊の者も勝ち戦の帰還とあれば自信へ繋がるようで、城へ帰っても鍛錬を欠かす日はなく、道場は賑いを見せている。
戦後処理も終わり、左近が通常公務に戻れたのは、帰城後十日が経った頃だった。帳簿改ざんの件については、三成より高利貸しの胴元の名を聞き出すようにと言いつけられている。今度こそ命を果たさねばと左近は城を出た。
夏の気配に後押しされながらの出立だったのも、今ではすっかり秋めいた空が城の上空を覆い、雲は千切れて浮かんでいる。夕刻の風に肌寒さを感じながら、左近は羽織りを合わせ花街を目指した。
雑踏の中を縫うように進み、目移りすること無く赤格子を目指した。千代はまた隅の方に座っているに違いない。そう思い中を覗くと千代の姿が無かった。はて、と考えたところで、左近は今己の置かれている状況と、彼女の職を改めて思い出したのである。居ても立っても居られず暖簾をくぐり、すぐさま番頭と掛け合っていた。
「番頭さんよ、済まないが、千代という娘がいると思うんだが」
「おや、島様。いらっしゃいませ。千代…ですかな。少々お待ちください」
そう言って一旦奥へ引っ込んだ番頭は、千代を連れてやってきた。左近は胸を撫で下ろした。しかしその様は左近と別れる前よりも、幾分やつれたように思える。頬はこけ、顔も病人のように白い。千代は玄関まで来ると手をついた。
「いらっしゃいませ、島様」
「あ、ああ。約束通り客としてきた」
千代はにっこりと笑って、左近を連れ、部屋に入った。
通された部屋は以前よりも質素な作りで、赤が目立ったり金銀螺鈿のような装飾品も無いまるで茶室のような茶屋にしては珍しく地味な座敷だった。左近としてはぎらぎらして目が痛くなるような部屋より、床の間があって、囲炉裏があって…というこの簡素な部屋の方が安心感があるが、千代のやつれた様子と言い、見世に出ていなかったことといい少々の変化が気に掛かる。
お食事はどうされますか。と品書きを差し出した千代の手を左近は不意に掴んだ。手首は枝のように細くなっていた。
「千代。あんたちゃんと飯食ってんのか?前よりやつれたように見える」
「そ、そんなことありませんよ。毎日ちゃんと、勤めて、寝食しております」
「今日は見世に居なかったな。なにか関係あんのか」
すると千代は、困った顔になり「島さまには嘘をつけませんね」と苦笑いを浮かべた。
もともと千代は、この店に連れてこれらた時より客がつかず、番頭も扱いに困っていたようである。左近が千代を引きずり、昼日中より入ったあの日が、初めて客に真っ当な代金を支払われたのだと打ち明けた。二度目に夜道で会った日、千代は座敷から逃げてきたと言っていた。客が取れない上に、また接客自体も不得手なのだろう。これではさすがに致命的すぎる。そう言った訳で、見世にすら出させて貰えなくなり、近頃は雑用などして昼も夜も働き詰めなのだそうだ。
このままでは千代は益々痩せこける。何かよい方法と言えば、己が客として来るほかない。
「俺は今、三成様の命であんたに会いに来てるが、これでも客だ。戦も当分はないだろうから、あんたの給金出る位には店に来てやらあ」
「島様…」
「だから、あんたも俺に協力してくれ」
左近は今晩来た目的を果たさねばならなかった。千代に高利貸しの胴元の名を聞くという大義である。それが分かれば娘売の嫌疑で胴元のガサ入れを敢行し、城の金についての調べも進む。娘売の証拠が上がれば千代もこの檻より開放される。
「千代、高利貸しの胴元の名を知りたい。そいつが城の厄介事に一枚噛んでるかもしれねえんだ」
頼む。と念を押した左近に千代は戸惑った。胴元の名を言って良いものか。仮にも左近はこの地を治める豊臣秀吉の家臣だ。茶屋へ連れてきた高利貸しは、金貸しの商売の他にも悪徳な商いをやっている節があった。千代にはそれが何かはわからぬが、胴元の名を口にするのは躊躇った。一度小さく知りませんと言ったものの、左近は、膝の上で握りしめる千代の両手をそっと取ると、心配すんなと顔をのぞき込んだ。
「そいつの名を教えてくれたら、俺はきっとあんたをここから出してやれる」
錠が外れる音がした。千代は左近の言葉が信じられなかった。ずっとこの場所で父親の借金を死ぬまで払い続けねばならぬと、茶屋を出られるなど夢にも思っていなかったのだ。
言うか言わぬか、だが左近の言葉を信じてみたい。そして口を開きかけたその瞬間、部屋が暗転した。
「なんだ…?」
蝋燭の芯が焦げた臭いがする。千代は驚くも、再び灯すべく行灯へにじり寄ろうとした。それが置かれた真上には明かり取りの小窓があり、閉じた障子は辛うじて月の明かりを映し白んでいる。真っ暗の中、畳の上に手を滑らせているとやっと行灯の角に指先が当たった。持ち手を握ると、何故か閉まっているはずの小窓からは夜風が遠慮なしに入り、千代の頬を撫でた。顔をあげ、影を認めた時には遅かった。千代は息つく間もなく、あっという間に窓の枠まで引き上げられていたのだ。
左近が叫び、刃物同士がぶつかり合うきんっという甲高い音が響いた後、千代は意識が遠のいた。