朝 顔 の 檻

第 三 話

 おい、いつまで寝ている。起きろ。と三成に叩き起こされたのは、明けの明星が山の端辺りの空に残る時分である。
 寝ぼけ眼を擦りながら身支度を済ませた左近は、呼び出された執務室へと向かった。そこには、半兵衛と吉継が早くも座している。加えて三成、左近というこの面子は、例の帳簿改ざんについての話だろうとわかった。
 朝早くからすまないね。と半兵衛は左近に笑みを見せるも、今日は体調が優れないのかえらく顔が青白い。いくらか咳をした後、半兵衛は、三成から一枚の紙を受け取った。

「三成くんのお陰でね、ここ数年、城を降りた人間を調べてみたんだけど、勘定方に一人怪しそうな人間が浮かび上がったよ」
「そりゃ、本当ですか。じゃあ、これから下手人をひっ捕らえに行くんですね!そっちの方なら俺にどんと任せて下さいよ」
「あいや、待たれい。そう急くな」

 吉継が手を上げ左近の言葉を遮った。三成は険しい顔をして溜息をついた。

「その下手人は既にこの世にはいない」
「え?」
「そうなんだ。困ったことに、既に他界しているらしくてね。嘗ての彼の屋敷を訪ねてみたんだけど、妻子は居た筈なのに、もう誰も住んでいないみたいなんだ。どうもおかしい」
「じゃあ、城の金は…?」

 半兵衛は首を横に振った。金を使い込んだとされる人間は既にこの世には居らず、また、その金の行方も知れないというのである。しかし、あれほどの大金を一体どうすればこの数年で使い込めるのであろうか。左近にはそっちの方に興味があった。

「あんな大金一度に使えませんよね。どこかに隠してある…とかですか」
「その可能性も考えて、隈なく屋敷を探して見てみたけど何も出てこなかった」

 半兵衛は再び咳き込んだ。このところ、執務が忙しいのかあまり十分な睡眠を得られていないようである。三成が気遣い侍女を呼ばせ、半兵衛は一旦自室へと戻った。残った三人は頭を悩ませた。

「半兵衛様はこの処、気を揉んでいらっしゃる。早くけりをつけねば、戦も控える今、半兵衛様の心労は増すばかりだ」
「うむ、そうよなぁ」

 豊臣軍はじきに加賀遠征を控えていた。前田利家、柴田勝家の余波が残る土地を制圧するためである。秀吉の天下を一番に望む半兵衛は、その為に一切を取り仕切ることが忙しいのだ。故に無理がたたっているのだろう。
 三成は、帳簿改ざんの件について書き記した書面にもう一度目を通すと左近へ手渡した。

「左近、いいか。城下見回りの際に、下屋敷から先を調べてこい。少しのことでもいい。何か手がかりを見つけてこい。私は私で、もう少し城内を調べる」
「わかりました」

 朝食を取った後、左近は三成に屋敷の場所を教えてもらい、見回りの勤めの内に訪れることにした。
 家臣らの住まう屋敷は、城の重臣らも軒を連ねる一角である。城から遠くなるに連れ階級が下がり、また大小様々な屋敷がある。
 左近は三成の使いで幾度もこの辺りを訪れるが、石垣の塀で屋敷を囲う通りの威圧感と、厳かな雰囲気はどうも苦手であった。漆喰の白い塀、それを支える基礎の部分は対の色を成し、摂生に無頓着な左近はこうして日常にめりはりが形となる様がどうも落ち着かないのである。
 塀の上からは、立派な庭木が枝を伸ばし通りの方へ影を作っていた。四面真っ白な所を歩き続けていると、そろそろ休みたくもある。左近は背をもたれ、しばしその影を借り涼むことにした。
 昼下がり、初夏の空は真っ青に澄み渡り、陽はいつにも増して降り注いでいる。道が続くずっと先を眺めてみると、地からはゆらゆらと空気が揺らめき、陽炎が立ち上っていた。どうりで暑いわけである。左近は背にじっとりと汗をかいていた。
 さらに額の汗を拭い、左近は懐から三成より預かった紙を取り出した。屋敷の場所を今一度確認すれば、この道を右に曲がった先である。白い塀は両脇にまだ何十間と続き、まるで終わりが見えない。まさか己は迷ったのではあるまいなと、天守と今の己の位置とを再度確認していた。
 すると、遠くからかすかに草履の音が近づいていた。細やかに足が動いている。左近の正面には四つ辻があった。そこを一人、女が横切って行った。あ、と思った時、既に左近の足は一歩踏み出していた。何故茶屋で働く千代が、この武家屋敷の通りを歩いて居るのだろうか。やはり、千代は武家の娘であるという左近の推量は間違って無さそうである。
 千代の行く先は、丁度己が目的とする屋敷の方角と同じだった。左近は悟られぬよう跡を付けた。
 彼女に合うのは夜ばかりであったからか、今日の出立ちには目新しさがあった。濃い藍染の布地には、白い朝顔の花が幾つも咲き、裾より駆け上がった蔦が、薄い唐紅の帯まで続いている。歩く度に揺れる袂を度々気にして、急くように進んでいった。
 距離をとりつつも、後をつける左近は次第に胸騒ぎがしていた。千代の目的とする場所が、段々と己の目的地と合致しているのではないかと思い始めたのだ。もし、千代が帳簿改ざんの家臣と何らかの関係が有るのであれば、彼女を尋問せねばならない。そんな不安を抱きながら更に後を追うと、千代はとある屋敷の前で立ち止まった。古びた門構えの、瓦が今にも崩れ落ちそうな屋敷だ。ひび割れた塀の隙間には雑草が顔を覗かせ、朽ちた外壁が地面に散っている。全く手入れの行き届いていないことが伺えた。
 千代は、ひと目を気にしながら勝手口の小さな木戸より中へ入っていった。左近の懸念は現実のものとなっていた。三成より預かった紙を見てみる。この家は嫌疑の掛かる死んだとされている元勘定方の家臣の家だ。千代は帳簿改ざんの縁者で有るに違いない。
 左近は問いただすべく屋敷の前で待った。半時ほどが経っただろうか、木戸の軋む音とともに千代が出てきた。

「おい、あんた」

 驚いた千代は一歩後ずさった。

「し、島さま…?何ゆえ、このような場所に…」
「そりゃこっちの台詞だ。少し話がある」
「あの、私これから昼見世なので、すぐ店に戻らないとなりません」
「っあー!もうじれってえな!いいから来い!」
「きゃ、」
 
 左近は千代の手を引き、通りを大股で歩き出した。付いて行くのにやっとの千代は、端から見れば半ば引きずられているかの様である。
 二人は商店の並びを通り過ぎ、すれ違う人間は何事かと奇異な目で遠巻きにしていた。やがて、左近は路地より花街の通りへ出ると、千代の働く店までやってきた。丁度、呼び込みの男が暖簾を出したばかりである。男に引きずれて戻った千代に、店の者は目を見開いていた。左近は構わず、声を張り上げた。

「おい!番頭はいるか!」

 騒ぎを聞きつけ、見世の用意をしていた娘たちや、厨からも雇われの女中が顔をのぞかせる。番台の奥からは、中年の男が慌てて店の羽織りをひっかけて出てきた。苦情、暴言、喧嘩などの揉め事は日常茶飯事であるからか、白々しい笑みを浮かべいらっしゃいませと頭を下げた。

「こいつを今すぐ座敷に上げてくれ」
「は…?只今ですか。まあ、落ち着きなさって。お布団のご用意なども致しませぬと」
「そんなもんはいい。すぐ部屋に案内しろ」

 左近の形相があまりに恐ろしかったのか、番頭は竦み、すぐに女中に案内させた。通された部屋は二階の隅の部屋で、昼だというのに雨戸が閉めきってある。赤い提灯や、残されたままの派手な友禅の夜着は目が痛くなる程濃い色をしていた。左近は後ろ手に襖を閉め、ようやく千代の腕を離した。

「こうでもしねえと、あんたとゆっくり話もできないからな」
「島様、一体…。あまり、店で目立たれては困ります」

 左近は、座布団に胡座をかいた。千代は手首をさすり、行儀よく正座をしている。落ち着かない様子で彼女の視線が度々枕に移り、緊張した面持ちだ。しかし左近は、そんなことはお構いなしに部屋を隅々まで見回し、人の気配が無いのを確認すると、ようやく口を開いた。

「もう一度聞く。あんたあの屋敷で何やってた」

 千代がなかなか口を開かないことに、痺れを切らした左近は、豊臣秀吉の命で己は動いているのだと打ち明けた。はっと驚いた様子の千代は口元に手を当て、悲しげに眉を下げた。少し間があった後、千代は「あの屋敷では探しものをしておりました」と答えた。

「探しもの?何を探してた」
「帯留めを。母の形見です」
「母…、あんたあの家の娘なのか?」
「はい。私の実家です。ですが今はもう母もおりませんし、父も何処へ行ってしまったのか…随分長いこと会っておりません」
「しかしどうして、身売りなんかやってる。武家で、んでもってあんたの器量ならどこへでも嫁げたんじゃねえのか?」

 ゆっくりと首を振った千代は、ぽつぽつと話し始めた。
 千代の家は、大阪城に勘定方として仕える父と、料理屋を営む母と、千代の三人暮らしだった。父は仕事ぶりは実に真面目で、人当たりもよかったが、一転して夜は大変な博徒でもあった。城下の賭場では顔が知れるのを恐れ、よく隣町まで出かけては、夜な夜な丁半賽子遊びに興じていたのである。ところが、父に多額の借り入れがあることが分かり、千代の母親は泣く泣く料理屋を閉め、売り払うこととなった。
 一時は、それで取り立てなども収まっていたのだが、利子の膨らみは予想だにしない額となっていたらしく、ある日を境に父は取り立てから逃げるように家には帰らず、母も心労がたたり病を患った後すぐ他界してしまった。その後千代は、働き口など探して居たのだが、結局は千代が払わざるをえない状況となり、女中仕事の働き口だと言いくるめられ、この茶屋に連れて来られたのだと言った。

「そう言ったわけで、私はこの茶屋に入ることになりました」

 話し終えた千代は、ぎゅと握り拳を作り、声が震えていた。
 しかし左近は妙だと感じた。千代は父親は帰ってきていないと言うが、半兵衛や三成から聞くに、あのぼろ屋敷の主人は既に死んでいると言っていた。この相違がどうも納得がいかない。

「あんたの父親はいつ頃から姿が見えない」
「もう、かれこれ三四年近くになります」
「茶屋に入らされたのは?」
「母が亡くなってすぐでした。今年に入ってからです」
 
 千代はまた泣き出しそうである。俯いたまま顔を上げぬ様子に左近は自戒した。

「ちょいと聞きすぎたな。すまねえ」

 追求を急くあまり、左近はつい気遣いを忘れていた。千代は昔を思い出したのか、膝の上にまたぽとりと涙を落とした。何度目か知れない。左近はおい、と呼び千代の顔を無理矢理上げさせると己の袖で頬を拭ってやった。

「あんた、甘いもんはすきか」

 呆気にとられた千代は目一杯溜めた涙を弾くようにまばたきをした。

「八つも近い。折角だ。一緒に茶でも飲もう」

 左近は茶屋の女中を呼び、近所で団子を買って来させた。みたらし餡とあずき餡の二本ずつを女中は盆に乗せて戻ってきた。
 千代は茶を淹れようと鉄瓶に手を掛けるも、未だ肩を震わせすすり泣きが止まらぬので、己が代わってやろうと左近が急須に湯を注いだ。ところが、普段慣れぬことせぬからか、沸騰した湯が跳ねてしまい、左近の手の甲に掛かった。千代は慌て、再び女中を呼び、水に桶と手ぬぐいを持ってこさせた。
 あちいといてえを交互に呟く左近は苦悶の表情だ。

「島様っ、お手を見せて下さい」

 千代の左手に、左近の右手が乗せられた。更にそこへ被せるようにして冷たい手ぬぐいをあてた。暫く会話も無く、千代は俯きながら左近の手を握っていた。
 重なりあった雨戸の隙間からは、木漏れ日のようなゆるい光が差し込み千代の頬に掛かっている。その様子を左近は見つめていた。恥ずかしさに頬を染めながら、己を気遣い手取る様は見ていて悪い気はしない。手ぬぐいは既に温くなったというのに、千代は手を離さなかった。いつまでも手を取り合っている訳にもいかない。座敷には時間も決められている。「もう、大丈夫だ」と言った左近は自ら手を引いた。

「くおうぜ。団子」

 盆に手を伸ばし、みたらしを一本、千代に差し出した。そうして特に会話も無いまま、二人は団子を食した。
 座敷の時間を測るため、灯っていた蝋燭がもう残り一寸もない。芯は炎を支えきれず徐々にくすぶり始めていた。外は恐らく夕暮れ時だろう。雨戸より入っていた陽の光も随分頼りないものである。左近は湯のみに残った茶を一気に飲み干すと、盆の上に代金を置いた。千代は驚きが隠せないらしい。それもそのはずだ。左近は千代の帯にすら手を掛けていないからだ。

「島様、あの、私…」
「十分喋ってくれただろ。あんたにはちゃんと相手して貰った」

またな。そう言って左近は立ち上がると、茶屋を後にした。