05.燻りは炎に成らず

 夢で見ている風景は、今の名前の状況から鑑みるに全く想像し難い光景だった。

 濡縁の日当たりの良い場所で政宗が隣に座り、名前は彼に寄り添いむず痒いくらいに甘やかな時が満ち満ちている。名前の手を取った政宗は抱き寄せ何か言っているが、よく聞き取れない。もう一度聞こうとして正面に政宗を見据えると、してやったりと言った様子で不敵に笑んだ政宗は唇を名前に寄せたところでパチリと意識が浮上した。

 昨晩、部屋を抜け出し寺近くの脇道に入り、社の前で不思議な現象を見て、急に苦しくなり蹲ってしまった。そこまでは覚えているが、今名前の視界に入るのは、己が部屋の天井であり、枕元には鬼のように凄まじい形相で見下ろす侍女である。目が覚めた名前を見つめ、目の潤んだ侍女は手を握って「あぁ…、良かった…本当に、名前様、名前様…」と、握った手を彼女は額へ押し当てていた。
 名前が見つかったのは寺近くの石垣付近で、明け方だったらしい。着の身着のままの出で立ちで、眠るように倒れていたという。しかし名前は疑念が湧いた。蔵を立ち去った時、月は丁度名前の真上ほどにあった。ともすれば、名前はあの花の社に最低でも二刻は居座っていたことになる…。そんなに長く居た覚えは全くないが、、ともあれ大変なことを仕出かし、侍女には心配を掛けてしまった。

「本当に、ごめんなさい…」
「本来なら許されることではございませんが、もう済んだ事。良いのです。殿がお許しに成られたのですから。わたくしにもお咎めはありません。ただ、夜伽がそんなにお辛いのでしたら、相談していただければ」

 彼女の言う通りだった。政宗も日頃は猛々しく首級を飛ばす武将ではあるが、人の心はあるのだ。今回の事について侍女にも仕置きがないという事は温情はある。名前は自分本意な考えですまなかったと今一度謝ると、侍女は今はゆっくり休んでくださいと告げ、食事を持ってくると言い部屋を出た。

 名前は大きく息を吸って、吐いた。肺いっぱいに吸った空気で少し胸が痛い。痛みのある部分を擦るとやはり少し違和感がある。昨晩の衝撃は夢ではなかったのだ。体に異変があるか、腰や腹をさすってみるが特別に痛い所は見つからない。しかし、本当に不思議な体験をしてしまった。桃源郷など見たことはないが、あの心地よい空間と、美しい景色はきっとそうに違いないと思わざるを得ない。ただ誰かに話して聞かせたいが、こんなおとぎ話の様な出来事は口外しない方がいいだろうと思われた。きっと気が触れてしまったと思われるに違いないしまた変な騒ぎを起こす訳にはいかない。
 ため息をついて寝返りを打った。枕元には一通文が横たわっている。布団から腕を伸ばし裏を見れば政宗からだ。実に、気まずい…。恐る恐る広げてみると、名前の身を案じる内容と、体が良くなったら城下を案内してやるといった旨の事が書いてあった。

「殿は優しい…んだね…。ただの人質だと思ってたけど、さ」

 ほっとしたのか、名前はまた瞼が重くなり、眠ってしまった。
 そこから暫く深い眠りに落ちていたが、何故か身体が熱く、胸が苦しかった。熱に浮かされたかの様に体中が火照ってしょうがない。息も上がり、喉も乾いた。名前は身体を起こし水差しを探した。枕元の膳の上には、侍女が持ってきてくれたであろう、粥と漆の水差しが乗っていた。名前は這うように腕を伸ばしたが、指先は水差しに届かず膳の端にずんと降ろされそのままひっくり返ってしまった。なぜだか分からないが、身体が言うことを聞かないのだ。風邪を引いたことは幾度もあるが、こんなことは初めてだった。侍女を呼ぶにも息をするのに精一杯で、声が出てこない。はぁはぁと肩で息をして動けないでいると、廊下の向こう側に人の気配を感じた。良いところで侍女が来てくれた。と安心していると、障子を割って入ってきたのは政宗だった。
 名前の苦しそうな様子を見て、開口一番軽口でもと思っていた主人は、目を見開き、驚いた様子で声を荒げている。何を言っているのか理解にまで及ばず、朦朧としている名前は政宗に抱きかかえられた。

「おい。しっかりしろ。アンタどうしたってんだ」
「あつ、くて…。苦しい…。水、み、ずを…」

 政宗は、転がっていた水差しを取り上げた。多少中身は減っているが水はまだ残っている。名前の口端からゆっくり注いでやる。が、名前は一口も飲み込めない。

「おい、飲め」

 止めどなくこぼれ落ちる雫は頬を伝って、首から鎖骨へ流れるばかりだ。だらりとまるで生気を吸い取られた彼女を見て、政宗は居ても立っても居られなくなり、手の甲で溢れた水を拭うと、再度水差しを傾け試みた。それでも上手く行かない。政宗は名前を抱え直し、水指しから直接自分の口に含んだ。名前の唇に己の唇を重ねると舌で口をこじ開け、無理矢理に名前に水を飲ませた。むせ返る彼女の背を摩りながら、もう一度水を口に含み唇を寄せた。名前の喉が鳴ったのを認め、布団にゆっくりと寝かせ寝間着の帯を緩めてやる。そうこうしている内に厨に行っていた侍女が大慌てで戻ってきた。

「名前様…。昨日までのお元気なお姿は…、一体どうなされたのですか…、」

 鼻をすすり、袖で涙を拭う侍女が政宗は気の毒でならない。ましてや、仮にも己の側室である。人質で娶ったとはいえ、この状況を放っておくわけにも行かない。

「医者と、それから寺の和尚にも見て貰うか」

 侍女は、政宗の着物が汚れてしまったことを侘びて、着替えを取りに行こうとしたので、政宗は先んじてこぼした粥や、膳を片付けるように命じた。
 横たわる名前の前髪をそっと脇へ避けてやると、昨日会った時とは打って変わって顔は青白い。本当に突然、どうしてしまったのだろうか。そんなにも、政宗との夜伽が嫌だったのだろうかと思えば、かなり腹立たしくもある。ただこれが大変な病であれば、快癒させなければならない。名前の頬を撫で「また来る」と告げた政宗は腰を上げると、目を瞑る名前の細い手は、政宗の袴を握っていた。

 名前はその晩、二度目の熱に魘され目が覚めた。
 苦しい、熱いは勿論感じるが、その他にもう一つ…。認めたくはないのだが、情欲が激しく体中をのたうち回るのだ。つい昨日まで、政宗の夜伽をあんなにも怖い、嫌だなどと避け、逃げ出したと思っていたというのに、全く考えられない事である。こんなにも睦み合いを欲したことはないのに、自分でも訳が分からない。寧ろ今すぐ叶わないのなら、自慰に手を出そうとしている己に激しい羞恥心が沸き起こるも、その葛藤にもどかしく布団の端を噛んだ。
 芯は熱を帯びて疼く。少しだけ、と手を伸ばしたが最後、快楽を求めて止まらなくなった。淫らに袂を捲って冷たい空気に足を撫でられれば、背にぞわりとした感覚が押し寄せ自然と腰が動く。尚も指を動かして、名前はいよいよ気を遣った。呆然と天井を見上げていると、先程までの苦しさも茹だるような身体の熱も、ふっと消え去っている。
 名前は嫌な予感しかしなかった。例えばの話、この行為そのものが特効薬なのだとしたら、、とそう考えると先が思いやられる…。他の側室から淫乱側女と言われる日も近い…。絶望に打ちひしがれ、名前は誰に相談すれば良いものか、と顔を両手で覆った。

05.燻りは炎に成らず

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