04.影が落ちる花社
廊下を歩きそれを見上げた政宗は望月になりゆく様にふと笑みがこぼれた。案外、名前に会うのを楽しみにしているのである。元々、行軍の為の道々を抑える為に名前を嫁に貰い、かねてより備えていた戦法をようやくその山道を使う事で、次の戦で実践できる機運が整ったのである。本来の目的は達成されたのだが、据え膳食わぬはなんとやらとは小十郎の言う通りで、血煙の上がらない今だからこそ内儀に重きを置く必要があった。
そんなわけで、執務が終わり早々筆を執り、名前へ手紙など送ってやったのだが…、本日二度目である。
また、部屋に居ないのだ。
流石にこれには政宗も驚いた。他の側室たちに至っては、いつも真白い寝間着をまとって頭を下げて、しおらしく待っているというのに、名前といえば、一刻も部屋にじっとしていない。開け放たれた障子の、その部屋に深々と頭を下げている名前の侍女は、なんと白装束に身を包み膝の前には白木の柄の短刀を置いていた。
「殿っ!!誠に、誠に申し訳ございません。目端が行き届かず姫様の粗相を何卒お許しください。かくなる上は、どうか、どうか名前様のお命だけはお助けくださいませ。姫様はただ少々お転婆がすぎ、無鉄砲で、聞き分けのない、ほんに、子供のようなお人でございまして、わたくしの教えが至らぬ所でございますれば──…」
と、嗚咽しながら延々と、懺悔するものだから、これには流石の政宗も同情した。
実に日頃から手を焼いているのは見て取れる。名前の侍女もこれではいくつ命があっても心休まることはないだろう。「全く、側近の言うことを聞かねえとはとんだ娘だな」と、侍女の労をねぎらい励ますと、騒ぎを聞きつけ駆けつけた小十郎の耳に、その言葉が聞こえていたのだろう。後ろで低い咳払いが聞こえた。
「政宗様、者共に探させます故」
「ああ、頼む。まだ寒いからな、城とはいえ広いんだ。どっかでおっちんでなきゃいいが…。ったく躾が必要だなこりゃ」
その言葉を聞くや、侍女は顔を上げて乞うように政宗にすがった。
「そんな酷い仕打ちはしねえよ。まあ、アンタも大変だな…、この短刀は預かっておく。あとはこっちに任せてもう休みな」
名前の部屋を背にし、後ろからは侍女の万謝が絶えず、政宗はそのまま名前を探しに行くことにした。
・
突然に部屋を出たまでは良かったが、足袋も履いていないし、羽織も羽織らぬままで実に寒かった。城内の把握はある程度できているが、頼る者もいなければどこに行けばよいかも検討がつかない。相変わらず衝動的で、無鉄砲がすぎる自分に名前は項垂れた。
「どうしよう…思いっきり、いいつけを反故に、、で、でも…怖いものは怖いし、無理よ…。私あのひとの相手出来そうにないもの…」
東の建物の蔵と、生け垣の隙間に名前は身を潜めていた。蔵の裏口の石段に腰を下ろし、空を見上げる。走って火照った頬に夜風が当たり気持ちが良い。ぼんやりとおぼろげに見え始めた月に名前は目頭を擦った。すると、蔵の反対側で草履のこすれる音がした。提灯の明かりもぼんやりと地面に映っている。恐らく宿直の見回り兵士である。ここで見つかってしまえば、政宗の前に引きずり出されるのは間違いない。名前は両手で口を抑え、息を止めじっと通り過ぎるのを待った。このままじっとしていても埒が明かない。
名前は置いてきてしまった侍女を案じた。自身の身勝手な振る舞いで、彼女が仕打ちを受けるのは間違いない。名前は考えた末、昼間行った寺へ行き事情を説明して、政宗へ取り次いで貰えるよう助けを求めることにした。すっくと立ち上がった名前は、寺の方を目指した。
昼間の道を再び辿った。名前が部屋から居なくなったことが騒ぎになっているようで、途中で何人もの政宗の家臣が行き来しているのが目に入った。「北のお部屋の名前姫殿がどうも行方が知れぬとの事で…」「なんと、一大事ではござらぬか」心の中で手を合わせ、名前は家臣たちから身を隠しつつ進み、ようやく石垣が見えてきた。足早に門を目指すと、ふいに昼間の社が気になり、脇道を覗き込んだ。細い道は当たり前だが真っ暗だ。桂の木の太い幹と鬱蒼とした枝の影に月のあかりは吸い取られてしまったかのようである。少々身震いする思いもして、名前は先を急ごうとした。その時、桂の幹の窪みに昼間見た小さい社がちょんと佇んでいるではないか。目をこすって、何度も瞬きをして、名前はやはり見間違いではなかったのだ。と思い、近づいた。ところが、不思議なことに苔むした社の屋根には、見たこともない草花が色とりどりに咲き始めたのである。どこからともなくきらきらと光を伴った雪柳の様な花が宙を舞い、次々に名前へ降り注ぐのだ。
「な、に…これ…」
幻想的な光景にしばし見とれ、名前は寺へ行くのもすっかり頭から抜けてしまっていた。晩冬の春に触れたばかりのこの北の国には、緑や黄色や桃色の色鮮やかなこの光景はまだ早すぎるのだが、あまりの美しさにじっと見続けていたくなる。暫く佇んでいると、宙を舞っていた光は落ち着き、温かい風が吹き抜けていった。
すると社の扉がゆっくりと開いたかと思えば、その中から突風が押し寄せ名前の体を突き抜けた。どんっと、何かに体当たりをされたかのように、とてつもない衝撃を受け、まるで体を貫かれた感覚になり、思わず苦しくなってその場に蹲った。
なぜだか体が異様に熱を帯び熱いのである。息をするのも苦しく、名前は両手を胸にぎゅっと握りしめたまま、はたと意識を失ってしまった。
04.影が落ちる花社