四、傀儡子の微笑

 茶釜からふわりと白い湯気が肌寒い室内に立ち登っている。義姫は柄杓で掬った湯を丁寧に茶碗へ注いだ。初穂は小次郎の隣に座り、強張った面持ちで亭主を務める義姫を見つめていた。
 狭い茶室には謙虚さ無く華美な調度品が置かれ、茶道具のひとつをとってもその地味な色合いに想像つかぬ程、値の張るものだとすぐにわかる。小浜城の客間にも似た花器や珍しい外国の陶器が置かれていたのを初穂は記憶していた。それらは全て定綱の自慢の品だった。義姫の嗜好は少々定綱と似通っている。
 最後に茶筅を一回しした義姫は、茶碗を初穂へ差し出した。緊張に震えながら礼をし、初穂は茶碗をそっと持ち上げる。義姫は人間を吟味するかのごとく初穂の所作に目を細めていた。突き刺さる視線に飲み干す茶の苦味も分からず仕舞いだ。薄く弧を描いた唇が「どうじゃ」と紡げば、返答のためにやっと呼吸を許された気がした。大げさにも思うが、この部屋では義姫が絶対だったのだ。彼女の機嫌は一挙一動に左右されかねない。
 初穂は器に目を凝らし、何処の誰による作なのか色合いなどを義姫に問うと、作法通りの世辞を交えぬ受け答えに凡そ満足したらしい。小次郎まで椀が回り終えると早々に座敷の上を整え始めた。茶会は仕舞いの様子だが、それと称して義姫の本来の目的は初穂との来談だったのだ。
 正面の義姫が軽く咳払いをすると、後方の侍女は澄まし、小次郎はひれ伏す初穂の右側に座り直した。

「さて、初穂殿。改めて夫と息子が世話になったな、随分と骨を折ってくれたようじゃの」
「義姫様より直々にお言葉頂き、過激の極みにございます。幼少より輝宗様には大変御厚意を賜りまして…此度の惨事はまこと─」
「もうよい。面を上げよ」

 初穂の口上を義姫はぶつりと遮った。

「武家の妻となったからには、わらわにはそれ相応の覚悟はあったのじゃ。貴殿も、武家の娘。理解できぬ訳ではあるまい。ところで、」

 義姫は派手な刺繍の打ち掛けを翻し立ち上がった。かと思うと、自ら進み出て初穂の前にしゃがみ込んだ。気づけば初穂の頬は義姫の冷たい手で包み込まれている。急に何事かと驚きぱちぱちと瞬きをすれば、義姫は怖いもの見たさと好奇心を瞳に宿し、初穂の青い両眼をまじまじと覗き込んでいた。彼女の親指は瞼の上を何度も愛おしそうに撫でている。初穂は寒さではない震えがぞくりと這い上がっていた。
 青い目に興味を示すのは無理もないが、今にも喉から手を出しそうな義姫の様子に、初穂は恐怖を覚え身構えた。

「お主、ほんに目が青いのう。この目は先読みが出来るとの噂があるが、それはまことか…?」

 美しい調度品でも見るかのように感嘆のため息を漏らし、義姫はうっとりと初穂に釘付けになっている。
 威厳があり、気高い彼女の前で六条家が代々ついてきた法螺を突き通す覚悟は初穂には無かった。今は仕える伊達家先代の奥方に嘘か誠かと問われれば、正直を言わねばならないだろう。政宗からも質問だけに答えろと言われたのを思い出した。

「い、いえ…。正直を申し上げます。そのように特別なものは何も。恐れながら私の目は本当に何もできないのです。何ら変わらぬ普通の目にございます」

 予想外の返答に義姫は驚き、残念がる様子を見せた。しかし一方で安心したと言わんばかりに肩を撫で下ろしてもいる。頬から手を離すと、まだ興奮気味な彼女は子を慈しむように初穂の髪に触れた。人形を愛でるような扱いに、初穂は居心地悪くなかなか落ち着かない。惑わすような香の匂いが義姫から漂っている。

「そうか、そうか。だが、そうよな。もしも先読みが出来たのであれば、夫は救われていたはずじゃて」
「も、申し訳…ございませぬ」
「なに、お主を責めているのではない」

 義姫はにっこり笑うと、侍女に命じ菓子類を持ってこさせた。盆に広げられているのは他国の珍しい品々だ。将軍家御用達の店から持ってこさせたらしい。流石、足利義輝より偏諱を賜った最上義光を兄に持つだけあり、義姫も中央とはいくらか交流があるのだろう。初穂は最上義光と面識は無かったが、彼もまた大変教養の備わった気品のある御仁であると聞く。外つ国ではそういう者のことを紳士というらしい。
 小次郎もにじり寄り、義姫との菓子談義に混じった。しばらく花や動物を模した飴菓子を手に取り食し、談笑していると障子戸に影が映った。義姫の侍女だ。戸が開かぬうちに義姫は「何用か」と鋭い声で問いただした。

「お客人が参られました」
「はて、」
「中野宗時殿にございます。お約束をされていたと」
「あぁ…そうであった。暫し待たせておけ」
「かしこまりました」

 茶を点て終わりまだ半刻も経っていない。小次郎の言う義姫の忙しさは、一刻も彼女を留めてはいられないものだった。奥を預かる義姫は、伊達家の顔でもある。客人の相手は務めなのだ。
 義姫は初穂に向き直ると、中野を知っておるかと訊ねた。名前ばかりは、遠藤基信の口からたまに出ているのを聞いていたことがあったが、面識まではない。存じ上げませぬと答えると、義姫は御仁の略歴をさらりと話した。

 宗時は古くから出羽最上家に仕える家臣だったが、彼は、義姫が伊達家に嫁ぐ際、義姫と共に伊達家の重臣となった。ところが、彼女に入れ知恵を働き、輝宗謀殺を企てていたらしい。しかし早々に計画は明るみに出て輝宗自らが流罪にしたのだが、義姫は宗時の罪を許し、寛恕を授けるとして再び最上家へ返したのだと言った。
 政宗が当主となってから、伊達家の勢いは然ることながら、同じように火種もあちこちへ振りまいている。隣国や義姫の実家最上家とも仲良くしておくに越したことはないとの義姫なりの判断だったらしい。中野宗時は頭の切れる家臣故に、宗時の帰還は最上家にとって有益なものとなり、義姫のはからいによって、伊達家は最上家へ恩を売ったのだ。
 先般、政宗が奥州中を奔走する間、南部などが大人しくしていたのは、この恩情あってこそだと義姫は誇らしげに言った。

「そういう訳ですまぬな。外せぬ客人じゃ。また話をしたいと思うておる故食事でも出来ればよいの。そうじゃなその時は宗時も交えよう」

 義姫は茶室はそのまま居てくれても良いし、各々戻っても良いと小次郎に命じると侍女二人を連れさっさと退室していった。
 初穂はほっとため息を付いた。丁度同じ様に緊張の糸が解けたのか、小次郎も隣で息をついているのがわかる。互いに顔を見合わせると自然と笑みを含ませた。小次郎は正座していた足を座敷に投げ出し、手を後ろにつくと、砂糖菓子をひょいと掴んで頭上に放っている。口を大きく開けると菓子は吸い込まれるようにして見事小次郎の口に収まった。

「これ、本当に美味しいですね。今日は初穂さんが来たからきっと特別だったんだ」

 そう言って、懐紙に乗った菓子を更に手繰り寄せると、次はどれを食べようかと選り好みしている。

「初穂さんはどれがいい?」
「私は、もうたくさん頂きましたので、残りは小次郎様がどうぞ」
「いいの。ありがとう」

 小次郎は嬉しそうに葉の形を模した物を選んでいた。形は若芽を表しているのか、少々青みがかった色をしている。小次郎はつまみ上げると初穂と菓子とを、交互に視線を行き来させた。先ほどの話が気になっているらしい。
 不思議に思い初穂が首を傾げると、小次郎は罰が悪そうに菓子を戻し口を開いた。

「実は僕も初穂さんの目は、何か秘めたる力みたいなものがあると思っていました」
「がっかり…させてしまいましたか」
「いいや、そういうのじゃなくて。見た目で人を判断しちゃいけないと思ったまでで、ごめんね」
「よく聞かれますので、気になさらないで下さい」

 小次郎は眉を下げるとまた一つ口に放った。奥女中が持ってきた白湯を口に含むと大きなあくびをしてこの後どうすべきかを思案している。小次郎は随分眠そうにしていた。あくびが止まらないので、夜が遅いのか或いは眠れないのか、と問うと、近頃は朝が早いのだと零した。

「左様で…。義姫様を手伝っていらっしゃるのですか」
「うん…まあ、そんなとこ…。って、そうだ。昨日あれから兄上に何か言われましたか、大丈夫でした?」

 昨日の出来事とは、小次郎と二人で居た際、政宗と鉢合わせしたことだ。寒さとともに肌に突き刺さる兄の苛立ちを小次郎は感じ取っていたらしい。それが幼少から政宗以上に実母に可愛がられる己に向けられたものだと思い込んでいた様子だったが、小次郎が去った後、城の女中では無く政宗付きの女中となるよう命じられたと話せば、一度はええっ?!と驚いた彼はえらく腑に落ちた表情で頷いていた。
 政宗付きとなれば、当主の身の回りの世話をあれこれ仰せつかい、恐らく厨での仕事は減るだろう。配膳も政宗や食事を共にする家臣や客人らに限られる。

「はぁ…。いきなりそれを言うのも、兄上らしいというか、なんというか。でも難事ある度に初穂さんはいつも側に居てくれたと聞いているし、命じたのは信頼が置けるという現れなんだと思うな。とはいえ出世だね」
「役に恥じぬよう努めたいと…思っております」
「大丈夫大丈夫、兄上はわかりやすいから。わからないことは恐れず何でも聞いてみると良いよ」
「小次郎様にそう仰って頂けると、気持ちが落ち着いた気がいたします」
「あはは、それは何より。まあでも、辛い時に共にいてくれた人が側に居るっていうのは人間誰であれ心強いものだと思うよ。頑張ってね」
「はい」
「じゃ、殿付きの女中殿を引き止めてしまっては僕も心苦しくあります故、お早くお戻り下さい。初穂殿」

 冗談交じりに手をつき、恭しさを現した小次郎は、退室する初穂を励まし見送ってくれた。去り際、初穂の侍女にも分けてくれと小次郎は残った菓子を丁寧に包んで持たせてくれ、初穂は茶室を後にした。

 東の館から渡り廊下へ差し掛かった時ようやく落ち着けた。沼に顔を突っ込んでいたかのような息苦しさには解放されたが、正直なところ茶会に呼ばれたことで初穂の中では義姫への不透明さが際立っただけだった。目に触れられることを覚悟しては居たものの、頬を包まれ覗き込み、今に眼球をくり抜かれそうな恐怖には背筋が凍る思いだった。
 有無を言わせぬ押し付ける重い威圧感は、流石荒れに荒れていた伊達晴宗時代からの内儀問題を、ある程度の収束へと導いた夫、輝宗を支える気概を持ち合わせていただけのことはある。正に武家の女だ。
 元々争いごとや武家のしきたりにそう明るくもなく、苦手な初穂にとって、義姫は真逆の人間だ。強く逞しく、殺伐と混沌の家中を渡り歩く知謀が滲み出ていた。客人がひっきりなしなのも、彼女の手腕の現れなのだろう。
 茶話の最中やってきた客人、中野宗時もまた義姫の知略の轍に落とされた車輪と言ってもいい。
 夫を葬ろうとした人間を再び取り立てることなど、初穂には到底考えつかない。それよりも先に、二度目三度目の調略の恐怖に怯えるのが関の山だ。武家の女という立場は同じにも関わらず、初穂はため息をついた。除雪され溶けたぬかるみに嵌らぬように、自室へ歩みを進めた。
 これからまた政宗の元へ戻らねばならない。気持ちを切り替え、しっかりしなければと顔を上げた。
 すると、丁度視線の先に見慣れた柄の羽織が飛び込んだ。主政宗が歩いているのが見えた。東の館には好んで近づかないらしいが、付近にいるのは首を傾げる。ましてや今は執務の時間だ。何か急ぎ入り用なのかもしれないと、初穂は慌てて渡り廊下から庭へ出て、政宗に駆け寄った。
 砂利のきしみに気づいた政宗は驚いた様子で振り向いた。

「政宗様、このような場所に…いかがなされましたか。ご用でしたらお伺いいたします。戻りが遅くなりまして、申し訳ございません」
「…暇してたから散歩してただけだ」
「左様で…ございますか」

 政宗は頭の後ろをかきつつ、明後日の方角を向いている。陽は天中を過ぎた頃だった。夕餉にはまだ早い時間だ。いや、鍛錬へ向かう為の着替えだろうか、などと初穂は不慣れに歯がゆく思案していると、政宗の背越しに小十郎が建物から駆けて来るのが見えた。小十郎の形相は今にも眉が付きそうなくらいの険しさだったが、ふと見上げた政宗も随分渋い顔をしている。

「政宗様!まだ、説明の途中に御座います。目を離せばすぐにこれです。終わられてからと申し上げたはず」

 政宗はばつが悪そうに頭の後ろをかくと、息を切らす小十郎を手を振りあしらった。小言の上乗せを避けるためかおとなしく反転し部屋へ戻ろうとする。一体終わってからの<何か>をいまいち理解できず、主従のやり取りに首を傾げていると、政宗は背を向けたまま「茶ぁもってこい」と初穂に命じた。

 諸々盆に乗せ、執務室の戸を引くと部屋には政宗、小十郎、そして留守政景が先般広がった領地の米の収量について話をしていた。春からの兵糧の試算が急務の様子だ。初穂はそっと三人の脇に湯気の上がる湯呑みを置いていく。配り終えると、会議の邪魔にならぬように退室しようとしたが、政宗の視線がいたく突き刺さった。初穂は意を酌み静かに腰を下ろした。見届けた政宗は、再び書面に目を通している。
 部屋の隅から眺めた議論の様子がなんとなく寂しく映った。この場に成実が居ないからだ。
 初穂が茶室で赴く際、彼とは言葉を交わしたが、あれから小十郎へ会いに行ったのかはわからない。膝の上で揃えた手をじっと見つめたままでいると、俯きには自然と気持ちが沈んでいく。別れ際の眉を下げたような表情には哀愁すら見え隠れしている気がした。政宗と成実が冗談を言い合い、ふざけていたことが酷く昔のことのように思えた。
 暫くすると留守政景が「それでは以上です」と告げ、散会となった。小十郎と政景は政宗に礼をした後、部屋を出て行った。残されたのは空になった湯呑みと主のない座布団、そして政宗と初穂だ。
 政宗は会合の資料を手に取り、難しい顔をして黙って煙草を飲んでいる。初穂は片付けに徹した。盆に湯呑みを乗せて回る。政宗のはまだ半分残っていた。

「政宗様、新しいものをお持ちいたしましょうか」
「あ?ああ…」

 割とどうでも良さそうな返事をした政宗だったが、ふと思い出した様に視線を外し初穂を一瞥した。

「おい、茶会で母上と何を話した」

 湯呑みを下げようと伸ばしかけていた手を引っ込め、初穂は居すまいを正した。

「茶器の話と、珍しい菓子の話と…。それから、私の目について少し話をいたしました」
「目のこと、だ?」
「先読みの噂を気にされていたご様子で、嘘か誠かとお聞きになられて」
「なんて答えた」
「もちろん、正直に何も見えませんと答えました」

 政宗は、手にしていた資料を座敷の上に放ると肘掛に腕を乗せた。何かが解せぬ様子だ。

「よくその返事で母上は素直に引き下がったもんだ。他には、何を話した」
「他は…」

 歓談中に中野宗時が訪れた。初穂は宗時について、最上家家臣として返り咲いた経緯を政宗に話した。我が夫を手に掛けようしていた人物を、再度とりたてる度胸は初穂には無く、義姫の気骨稜々たる様とその寛大さにいたく感激したと話せば、政宗は腹を抱えて馬鹿馬鹿しいと言って笑った。
 何か変なことでも言ったかと、小首を捻ると政宗は「よく聞け」と懐から扇を取り出しびしっと初穂に突きつけた。

「あのな、母上の言うそれはえらく壮大な綺麗事に脚色され過ぎた物語だ。母上は、俺が元服して当主になるのを、家ん中で最後まで反対していた。そしたらとうとう父上が条件はなんだと折れてな。そこで母上は流罪にした中野宗時を最上へ返したなら、俺の元服と当主になるのを認めると言いやがった」

 つまりは、政宗の元服と時期伊達家当主の座を認める代わりに、中野宗時を解放しろとの交換条件だったということになる。義姫の話ばかり鵜呑みにしていた初穂には、信じられなかった。だが、政宗が戦の真っ只中、北からの進軍が無かったのは最上は睨みを利かせていたのは事実であるらしい。

「一応の体面は整えておこうって腹だ。母上がそうして最上に恩を売ったのは間違いねえからな。俺もそのお陰で自由に南下できたわけだ。しっかし、一方の話ばかり鵜呑みにすんじゃねえぞ。あんたちっとは疑うってことを覚えろ。すぐころころ遊ばれやがって…」
「申し訳ございません…」

 しゅんとなりながら、初穂が湯呑みを下げようと腕を伸ばした時だった。再び書面と睨み合っていた政宗は咄嗟に初穂の腕を掴み、仁王像のように睨んでいた。手首は得物を握るかのように力が込められている。「おい」と低く出した声に、政宗は憤っている様子だ。訳がわからず、初穂はじっと堪えていた。

「脱げ」

 ぽかんとする初穂に政宗は今一度唸るように言った。

「てめえの耳は飾りか。着物を脱げって言ってんだ」
「あの…、政宗様突然何を…」

 突拍子な政宗の言動に頭がついていかず、初穂が狼狽えていると政宗は一度廊下へ出て、別の女中に「おい、あれどこやった!!」と叫んだ。主人の轟きに臆することもなく、すぐに年配の女中が風呂敷包みを抱えてやって来ると、受け取った政宗は初穂に投げて寄越した。

「あの女の香の匂いさせやがって…。さっさと着替えてこい」

 風呂敷の中身は新しい着物だった。

「政宗様…」
「少しくらい良いもの身につけてもらわにゃ、奥州筆頭の沽券に関わる。わかったならさっさとしろ。飯時までは道場に居る。時間になったら呼びに来い」
「かしこまりました」

 初穂は深く頭を下げ、政宗を見送った。風呂敷包みをぎゅっと抱き、自室に戻ると早速袖を通した。大きさもぴったりの、初穂に似合いそうな綺麗な無地の紺碧の着物だった。

 ・

 初穂の侍女ゆえは、城の女中よりも早く起床する。もっとも、女中仕事へ赴く初穂の身支度を手伝うため、そうせざるを得ないのだが、それにつけてもゆえはとても働き者だ。
 冷たく刺すような空気の中、暖かな布団の中で微睡む初穂を起こすと、初穂の着替えを手伝い朝食を共にする。その後「それでは行って参ります」と、たちまち己の仕事へと向かうのが此処最近の日常だ。
 侍女の仕事とは本来、主の傍らを片時も離れないものだが、ゆえは昔伊達家に仕えていたこともあり、大まか勝手がわかるので米沢に来てからは義姫の侍女たちを手伝っている。
 その許しを正式に初穂へ請いに来たのは、先日のことだった。義姫の侍女の中に顔なじみも居たのだろう。仕事熱心な彼女だ、何度も断ったらしいがどうしてもとゆえは頼まれたらしい。
 初穂の女中仕事にも寛容で居てくれ、制する理由も特になかったので初穂は首を縦に振った。それからというもの、ゆえが毎朝仕事へ向かう足取りは軽い。楽しそうに仕事をする彼女を見るのは初穂も悪い気はしなかった。
 そんな初穂といえば、先日小十郎と共に根菜を収穫してから、右目直々に畑仕事を頼まれるようになっていた。政宗付きの女中となったこともあり、よく雑事を引き受けている。小十郎が政務で多忙な時や、厨で入用があれば兵士と共に畑に行き、作物の世話をしていた。

 今日も今日とて土いじりをし、ようやく日映りした雪に照らされた頃には、籠の中は穫ったごぼうで一杯になっていた。緩んだ襷を締め直し、帯に挟んでいた手ぬぐいで汗ばんだ肌を拭った。深々と身の凍える寒さであっても畑仕事は重労働だ。
 差し込んだ日は一時だったのか、瞬く間に雪雲が空を覆い初めている。仰いでいた顔を手元に戻し、初穂は籠を背負うと足早に厨へ向かった。厨の女中たちは小十郎が食材を届けるのをいつも待ちわびている。今日は初穂が赴けば少々残念がるだろうが、これも致し方ない。

 今朝も早くから兵士たちが雪をかいてくれていたので歩くに難はなかった。道脇に押し遣られた雪にぬかるんだ地面を、初穂はしっかりと踏みしめた。この所、俯いてばかりいた初穂に気勢が戻ったのは、主政宗と以前の様に恐る恐る接することなく、真に仕えていることが大きい。何と言っても初穂のために誂えてくれた着物は何よりの証だ。政宗は新しい家臣や、武功を挙げた者には必ず褒美を与える。取り立てて貰ったことで、必要とされ初穂は嬉しかったのだ。
 初穂は足取り軽く進んでいると、いつぞや迷い込んだ道を辿ってしまっていた。そう、この雪かきされた道はきっと小次郎が作業したに違いない。目の前には絢爛な柱の立つ建屋がそびえ立っていた。いくら慣れた城内とはいえども初穂はなかなか覚えられなかった。

「また…回ってしまったの…本当は、さっきのところを右だったのね。戻らなきゃ」

 重い籠をよいしょと背負い直し、反転した時だった。どこからともなく、艶やかな女性の声が辺りに響いていた。どこか叫び声のようにも聞こえる。耳を澄ましたが、もう一度その声を聞いた時、はっと初穂は顔を両手で覆い、厨へ急いだ。
 羞恥心が膨らんで頬は火照っていた。聞こえたのは間違いなく情事のそれである。一つ大きな屋根の下、兵や家臣、侍女女中と一緒に暮らしていれば然もありなんことだが、己が遭遇するとはつゆも思わずだった。
 何も聞かなかったことにして、ひたすらに道を辿っていると、正面から人が来ていることに気づくのが遅れた。とすっと、額が当たったかと思えば、目の前には主が訝しげな表情を浮かべ、初穂を見下ろしていた。
 政宗は、手に煙草入れを下げていた。

「おい、畑に行ってたんだろうが。その様子じゃ、ごぼうは頑固者だったか」
「い、いえ。たくさん、ごぼうは…採れましてございます。政宗様、こんな早くからどちらに…?」
「煙草の葉が無くなった。棚の買い置きも空だ。散歩も兼ねて貰いに行こうかと思ってたところだ」

 このまま進めば、恐らく声の届くところまで政宗は行ってしまうだろう。初穂は慌てた。

「政宗様!私が煙草の葉をお入れして置きますので、お部屋にお戻りくださいませ」

 初穂が、無理に政宗を反転させ先へ行かせまいとするのが、政宗には何かあるとばればれである。政宗は随分楽しげに、不敵に笑っていた。

「初穂、何か隠し事か」
「ち、違います。決して、違います。ですが、この先へ殿が行ってはなりませぬ」
「Why?そりゃ何でだ…?」

 覗き込む政宗の視線に囚われ、初穂は無意識に顔をそらした。兎にも角にも政宗に見つかれば或いは彼らが酷く罰を受けてしまうかもしれないし、婚前の多感な時期の主には大変な毒である。と初穂は考えていた。
 どうして良いのか分からず、初穂は強硬手段に出た。政宗の胸に手を着くと納屋の壁に押し付けた。

「政宗様、どうぞ私めにお任せくださいませ…っ!」

 しょっちゅう初穂を押し付けていた政宗は、今逆の立場に益々可笑しかった。こんなにも顔を真っ赤にし、必死な初穂は珍しい。良い遊び相手だった。政宗は勘違いを装い、そっと頬に手を伸ばすと耳元に顔を近づけた。

「やけに積極的じゃねえか…。どうした」

 瞬時に初穂は政宗から離れた。今にも顔から湯気を出しそうな初穂を見て、けらけらと笑っている。今に卒倒してしまいそうな様子を気の毒に思ったのか、政宗は煙草入れを初穂に投げた。

「葉っぱ入れとけ。予備も部屋まで持ってこい」
「か、かしこまりました…」

 手を振り遠ざかる政宗を見送り初穂はほっと息をつき、急いで厨へ向かった。