二、氷塊填塞

 近頃、どうも初穂の様子がおかしいと、女中らの間ではもっぱらの噂だ。
洗い物の入ったたらいに手を突っ込んだままぼんやりとしていたり、包丁を握ったまま、まな板の上で食材を寝かせ撫でていたり…。体調を心配する者も居たが、顔色が悪い訳でもない。これまできびきびと仕事をしていただけに、皆どうしたのだろうと首を傾げていた。
 今も、井戸から水を汲み上げたかと思えば、桶を縁石に乗せ、たらいに注ぐ前で手が止まっている。
 彼女の視線の先は弓道場の方角だった。今日も今日とて伊達家当主が的を射る音が、今朝も早くから冷たく乾いた空気を割っている。響いた音に小さく溜息を漏らすと、初穂はようやく桶を傾け洗い物に手を付けた。
 その様子を眺めていた女中らは初穂の元へとやってきた。

「初穂様、あとはわたくしたちがやっておきますから。お部屋にお戻り下さい」
「でも、今日はまだ何も…」
「休むことも仕事のうちですから。ささ」

 半ば強制的に洗い物を取り上げられる形となり、初穂は部屋へお戻り下さいと井戸から追いやられた。
 手持ち無沙汰になった初穂は、渋々仕事を引き上げた。それ程に先日の政宗とのやり取りが堪え、こうして女中たちに気を遣わせている。
 己に頸木をはめても自らの望みは叶うはずも無く、陰った気持ちを晴らすような糸口が見つけられないことは分かっていた。だが重臣らに、目について触れられた事で、改めて立場を認識させられたのだ。
 謀反者大内定綱の養女という事実も勿論のこと、六条家に生まれる十数年に一度の目の青い女子 ── それは何の実害も無いと分かってはいても、周囲の人々は次々と起こる不幸や悪い現象を、具現化したものになすりつけ心安らかになりたいのである。疫病、災害、飢饉などの厄災がある度に、鬼の仕業だとか、神の怒りだと言うのと似たようなものだ。
 米沢城の重臣は小浜城での初穂の行いを耳にし、軍評定での政宗の取り計らいを目の当たりにしても、それだけ輝宗という柱、そしてそれを支えていた遠藤基信らを失ったそのやり切れなさの現れだった。迷信的な事を気にかけるのもおかしな話だが、因果関係がはっきりしないからこそ、気味悪い娘をこれ以上当主の側に近寄らせたくないのは十分分かる。本来ならば、今直ぐにでも定綱と同じく扱われても良い筈だが、伊達家の家臣もなまじ初穂が働くので扱いに手をこまねいているのだ。

 朝の冷たい空気も温みつつあり、部屋へ帰る初穂は敢えて廊下を行かず、庭を突っ切ることにした。建物や木々の陰になった所、人が通らない場所は昨晩降り積もった雪がそのままに固まっている。滑らぬよう白い場所を避け、土の見えるところを辿っていると、いつの間にか知らない建物が眼前にそびえていた。
 二の丸に負けず劣らず絢爛な外装で、太い柱の一本一本には花の装飾が掘られてある。此処は城のどの辺りだろう ── 庇を見上げた時、さくと雪氷を踏みしめる音が響いた。音のした方を振り向けば、いつか井戸で会った政宗の実弟、小次郎がにこにこと手を振っていた。

「こんな所で会うなんて、珍しいですね」

 反射的に身構えるも、小次郎はそれ以上初穂に近づかなかった。彼なりに先日欠いた礼を省みているのか、その場に佇み距離を保っている。よく見ると鍬を手にし、首には手ぬぐいを巻いていた。雪かきをしていたらしく、彼の背後には人一人分歩けるほどの細い道ができている。一度後ろを振り返り、小次郎は己が作った道を確認すると得意気に言った。

「この時期、庭師は二の丸の周りばかり雪かきするので、母上がお住まいの周りは僕がやっているんです」

 この華やかな建物は小次郎、政宗の実母が住まう屋敷であるらしい。通りで、家臣らの多い他の棟とは違い、政務の殺伐さや、血生臭さとは無縁の様に感じた。小次郎は「ところで、前掛けしてるってことはお仕事中?」と続け、初穂は軽く腰を折った。

「先程まで炊事をしていたのですが、急に休みを頂きまして…。部屋に戻ろうと道を辿っておりましたところ、お恥ずかしながらいつの間にか此方に」
「あはは、僕の作った道を辿って来られたんですね。丁度いいや、もうそろそろ休憩にしようかと思っていたんです。初穂さんも暇ができたのなら、一緒に餅でもどうです?僕が焼いて差し上げますよ」
「小次郎様手ずからとは、恐れ多くございます」
「遠慮しないでください。この間、意地悪しちゃったかなって、実はちょっと気にしてて…」

 小次郎は食指で頬をかき、眉をさげている。初穂は一度断るも誘いを受けて良いのか戸惑い、揃えていた手の甲を擦った。すると小次郎は、かさつき冷えきった初穂の両手をおもむろに取るとぎゅっと握りしめた。

「わ、すっごい冷たいじゃないですか。だめですよ、体冷やしちゃ。ささ、早くそこから部屋へ上がって下さい。火を入れますから温まりましょう」

 小次郎は断る間も与えず、初穂の手を引いた。庭から直接廊下へ上がり障子戸を開くと、初穂の背を押した。部屋で待っていて下さいねと告げるとまたすぐに何処かへ行ってしまった。
 呼び止めようと上げた腕は宙に浮いたまま、結局初穂は待たざるを得なくなった。
 断れなかった事にため息を付き、ぽつんと一人佇む初穂は部屋を見渡した。部屋には囲炉裏と火鉢があるだけで、他は何もなかった。建物の装飾とは打って変わって随分と質素な部屋だ。床の間にも調度品は置かれていない。
 城には使われていない部屋がたくさんあるが、かといって此処は全く人が使っていない様子でもなく、綺麗に掃除はされている。茶室にも見えない。誰かの部屋なのだろうか、何の部屋なのだろうか…。そう思案していると、ふと視線の先に光るものが落ちていた。よく見ると畳の上に転がっているのは簪だ。銀色の平打簪は、平たい円の太い縁の中に花の装飾が施され、城下の店でも似た形の物がよく売られている。初穂くらいの年頃から持っている女性が多く好んで付けている。手に取りその装飾に見とれていると、小次郎はいそいそと網と餅を持って戻ってきた。
 手際よく炙る用意を始めた小次郎に、初穂は簪を差し出した。

「小次郎様、座敷に簪が落ちておりました」

 一瞬はっと目を見開き、少々驚いた様子を見せるも「ありがとう」と言って受け取り、何食わぬ顔で懐にしまった。

「侍女か女中が落としたのかもしれませんね。後で誰の物か訊ねておきます。はい、初穂さん。温かいお茶、どうぞ」
「かたじけのう存じます。ありがたく頂きます」

 先日の井戸のこともあり、初穂は小次郎の一挙一動に過敏に反応していたが、小次郎は汚名返上とばかりに、初穂の立場や米沢での生活を気遣ってくれ、また気さくによく喋った。その中で、先般起こった小浜での悲劇へと話が移った。実父輝宗の死である。小次郎は家臣から幾らか話を聞いていたようだったが、詳しく経緯を問い、また初穂も見たままを話した。
 小次郎は、燃え尽きた白い灰を火箸で掴みそっと脇に除けた。

「成る程、定綱殿が父上を連れ去った時は初穂殿も座敷にご一緒していたのですね」
「はい…。養父とはいえ、父にございます。重臣の方々は、私の扱いをどのようにするかと頭を悩ませているのだと。本来ならば、私も責を問われる身でございます」
「初穂さんが気に病むことではないよ。皆、事実を受け止めるほかないんだ…。それにしても、責を問われるって…初穂さんは城を出る気なの?」

 初穂は、直ぐ様答えが出てこなかった。追って沙汰を言い渡すと政宗に言われてから数日経つが、今だに何の音沙汰もない。
 あの晩、初穂は政宗の怒りを間違いなく買った。どう転んでも、初穂に望みある答えが返ってこないのは明々白々と言えよう。
 いつまで経っても肝心な所で、青い瞳だと後ろ指を指されたり、少しの陰口には蹲りたくなるのだ。幼い頃の嫌な経験というのは存外根深く蔓延っているらしい。勝手に言わせておけば良いのだが、輝宗が居なくなった今、その雑音はあまりに大きすぎた。
 初穂は、持っていた湯のみを両手で握りしめた。

「家臣の方々を始め、政宗様のご意思のままに、と思っております。命とあらば致し方ございません」
「そう、ですか…。兄上は自分にも人にも厳しいから…。逆に言えば、その強い意思故、過酷な政にも耐えていける。兄が伊達家きっての稀代と言われる所以です。僕も兄上の様に、戦に政にと励むべきなのでしょうけどね」

 小次郎はどこか悲しげだった。
 しばし無言の室内に火鉢の炭がぱんと弾け火の粉が舞った、小次郎は網の上に乗った餅をひっくり返すと、一等早く焼けた物を初穂の皿へどうぞと乗せた。醤油に海苔にと、贅沢に持ってきてくれたようだった。
 小次郎も焼きたての餅を網から取り、右手左手と湯気を行き来させ、海苔を巻きかぶりつく。初穂も見真似て海苔を巻いた。餅が好きだと小浜で言っていた基信を思い出し、また少し込み上げてくる。ゆっくり味わい噛みしめていると、小次郎は「大丈夫?」と初穂の顔をのぞき込んだ。彼は既に二つも平らげていた。

「ひとつ聞きますけど、初穂さんは元々六条家の人でしょう。仮に城を出たとして、どちらに身を寄せるつもりですか」
「そう、ですね…。山暮らしも長かったので、何もない土地での生活には多少の心得もございます。何とかなりますでしょう」

 不安を隠し応えた初穂は僅かに笑んだ。つい今しがたまで呼応してくれた小次郎は何の反応も無かったが、代わりに決意を帯びた視線で初穂を見つめていた。

「行くところがなければ、僕の、妻になればいい」

 口を餅に付けた所で初穂は動きが止まった。今一度、小次郎の言葉を頭で繰り返し飲み込んだ。顔を上げれば小次郎は真剣そのものだ。真っ直ぐに初穂を捉えている。ぱちぱちと火の燻りが酷く耳につき、心臓も煩かった。
 やはり同じ腹から生まれた兄弟だからか、突拍子も無いことを言ったり、多少強引な事を平気で示したりする。切れ長の目を初穂は見返せなかった。小次郎の厚意に少しでも仮定を持ち込んだ自分を恥じ、また、先般素直に言葉を口にしなかった過去の己にも後悔していた。
 気を落ち着かせ、初穂は、囲炉裏の縁に置かれた皿へ食べかけの餅をそっと乗せると手をついた。

「まことにありがとう存じます。お言葉だけ、頂戴いたします」

 はあ、と息をついた小次郎は強ばっていた表情を緩めた。自ら言い出したにも関わらず、いかにもほっとした様子だ。手を後ろにつくと、天井を見上げていた。

「初穂さんならそう言うと思いました。でも、本当に困った時は言って下さい。兄上も随分助けられたと聞いていますし」

 三つ目の餅に手を伸ばし、小次郎は黙々と平らげ始め、それから二人は一言も話さなかった。
 会話は無いものの、決して気まずい雰囲気ではなかった。網の上から餅がさっぱり無くなり、小次郎は「ちょっと食べ過ぎました」と言って満足気に膨れた腹をさすっている。それに笑みを返すくらいには、井戸で会った時のような彼への不信感は、初穂の中から取り除かれていた。
 それから小次郎は、昼からも雪かきの仕事が残っていると言うので、綺麗に餅も平らげた二人は後片付けをし終え、部屋を出た。
 小次郎が先に出て、初穂も敷居を跨いだその時だった。
 上手の方から侍女と奥女中とを従え、華美な打ち掛けに身を包んだ女性が此方へ向かって来ていた。一歩一歩と歩む度に美しい黒髪が艶やかな着物の柄を撫でている。気品があるも、威圧をも帯び、付き従う侍女らは常に低頭していたが、小次郎だけは臆せずに佇んでいた。

「母上!」
「おや、小次郎」

 初穂はたちまち、廊下にひれ伏した。歩み寄った小次郎は「何をしていたか」と実母義姫に訊ねられると、初穂と餅を食い談笑をしていたと答えた。従っていた侍女は六条家であり、大内定綱の養女である初穂だと知るや否や、さっと袖を口元にあて、奥女中らに耳打ちをしている。
 義姫は池に張った薄氷のような笑みを浮かべ、ひれ伏す初穂を見下ろしていた。品定めする様に目を細め、そうかそうかと首を上下させると、庭に視線を移した。雪かきが施され、地面の現れた道を見るなり、息子を存分に褒めそやした。

「よう、道ができたなぁ、小次郎。これで本殿とも行き来は容易くなろう。ご苦労だった」

 初穂とばったり会った時には、作った道を得意気に話していた小次郎だったが、今の彼は少し物憂げな様子で、誉められてもさほど嬉しそうでは無い。それでもその表情を浮かべたのは一瞬だけで「はい、母上」と従順に返答した。

「昼からは、館の周りに手を付けようかと」
「精の出るな。その方、初穂と申したか。面を上げよ」

 命じられるがまま、初穂は顔を上げた。義姫は奥女中の輪から進み出て正面にしゃがみ込むと、頭に軽く手を乗せ、その冷たい手で初穂の頬を撫でた。

「そなたには夫と息子が大変世話になったと聞いている。礼をしたいと思うておったところだ。暇のあれば、是非茶でもどうかと思うておる故、また此方へ参られよ」
「ご挨拶申し遅れ、ご無礼をお許し下さいませ。改めまして大内定綱が養女、初穂と申します。東の方様より直々に、お言葉賜っただけでも至極恐悦に存じます」
「そう畏まらずとも良い。遠慮はするでないぞ。日を改めて小次郎にでも伝えておく故」

 ではな、小次郎。そう告げると義姫は配下を引き連れ去っていった。
 廊下の角に最後の女中が消え行くと、礼を解いた小次郎は大きくため息をつき、肩をすくめていた。

「我が母ながら相変わらず僕は緊張する。情けない、かな」
「そのようなことは。東の方様には初めてお会い致しましたが、威厳のあらせられる方で、武家の奥とは…大変力強くございます。わたくしも、背筋の伸びる思いでございました。凛としていらっしゃる現れにございます」
「ははっ、確かに。じゃあ、まあ…兎に角母上から茶会の誘いがあったら、初穂さんに知らせます。帰り道はまたきた道を辿って戻ってね。僕はこれで」

 小次郎は、農夫よろしく濡縁に立てかけていた鍬を担ぐと館を離れていった。

 それから幾日か経ったが、相も変わらず政宗からの「沙汰」とやらが届けられることは無かった。家臣たちは戦後の内務整理に忙しくしている様子で、そちらに手を取られているのだろう。初穂は以前と変わらぬ毎日を過ごしている。ただ女中仕事も日に日に辛さが増していた。厳しくなる極寒の足音は、重い降雪のある日が多くなるに連れ大きくなっている。奥羽の低い空はいつも灰色を帯びていた。
 そんな折り、小十郎が厨を訪ねてきた。右目の突然の訪問に、厨は少々黄色い声が上がるも皆、日頃の食材の礼を忘れない。
 羽織袴でない、脚絆に法被の右目は、今から畑へ行くので初穂に収穫を手伝って欲しいと言う。女中頭に許可を貰い、初穂は小十郎の後をついて共に畑へ向かった。
 よくよく考えてみると、初穂はこれまで小十郎とまともに言葉を交わしたことがなかった。いつも、政宗の右目として、右腕として、主の側を離れない彼は、特に毒にも薬にもならない人間や、必要の無いことには一切関わりを持たないからだ。ただ政宗や伊達に危機をもたらし、領地民草に手をかけるものには容赦がない。己を竜の露払いと自称するだけのことはある。
 故に、初穂に畑仕事を手伝って欲しいとの本意は、何か話があるのだろう。従い歩むうち、初穂は何を言われるかと次第に胸が苦しくなっていた。
 城内にある畑は、建物の集まる場所より高台にあり、段々畑になっている。この畑で一年を通してある程度の食材を賄うのだ。冬場の農作業は難儀するものだが、小十郎は元来好んで土いじりをするので、兵士もそれを見て進んで手伝うのだそうだ。畦も早くから雪かきが終わり、植わった根菜を雪から守るため、畑には丁寧に藁が敷き詰められている。白い中、鮮やかな緑色の葉が立派に伸びていた。
 小十郎は納屋からかごを二つ取り出すと、初穂に一つ預けた。

「人参と、大根を穫ろうと思いまして、お手伝いいただければと」
「心得ました」

 襷できゅっと袖をまとめた初穂は、大きさを見極め、手頃なものから次々に引き抜きかごへ放り込んだ。畑仕事も長くやっていたので手慣れたものである。そうして無心にこなしていると、大根の泥を桶で洗っている小十郎が「初穂殿」と発した。

「はい、片倉様」
「近頃、成実と話をなさいますか」
「成実様…にございますか。いいえ、最近は政務がお忙しいのか、わたくしもあまりお会いすることはなく。成実様に何かあったのですか」

 小十郎は洗い終えた真っ白い大根を、かごに入れると立ち上がり濡れた手を拭った。寒さからか鼻が少々赤くなっている。険しい表情はなにも冷たい空気のせいだけではない様子だ。

「いいえ。成実自身に何かあったと言うわけでは。あいつは、執務は真面目にやっているのですが、近頃どうも…我々と関わりを持とうとしないといいますか。初穂殿は、先の宴会の場で成実とよく話をしていたと記憶していたので、何かご存じないかと思ったまでで」
「左様で…。わたくしも近頃政宗様と成実様がご一緒の所を見かけないので、気に掛かってはいるのです…」
「阿武隈川の一件で、成実と政宗様は、少々悶着がありまして。まあ、遅かれ早かれ、初穂殿の耳にも入ることでしょうから」

 そう言った小十郎は、成実と政宗との間に起こった事を掻い摘んで話した。寒風は初穂の目頭の熱までは攫ってはくれず、必死に堪えていた。
 小十郎は、別段政務自体に支障はないのだと言うが、歳の近い従兄弟同士の二人が、また、伊達三傑とも謳われる成実が、忠誠は主君にありながらも、どうも心持ちが別の場所へある気がしてならないと、今だ和解出来ない二人を心配しているのだと言う。
 小十郎は、切り株の雪を払い腰を下ろすとため息をついた。

「あやつが、こうも俺たちと話をしないとは、どうも我々を避けている節が否めないのです。政宗様も成実抜きでの軍議も度々されるので少し困っております。成実を見かけたなら、一度私のところに顔を出すよう伝えておいて下さると助かります」
「畏まりました。お見かけしたら伝えておきます」

 小十郎は太ももを叩き、初穂のかごを取り上げると残りの人参や大根をごしごしと洗い始めた。初穂がなかなかその場を動かないので、小十郎は不思議そうに見上げた。初穂は前掛けをぎゅっと握りしめた。

「片倉様…」
「何か」
「政宗様は追って沙汰をと仰りました」

 洗い上がった大根を小十郎はぼろで拭い、一本、また一本とかごに入れていく。

「初穂殿は、ご自分に負い目を感じて居らっしゃるのでしょうが、私は家臣らに、例え災いをもたらすと後ろ指さされながらも、三日三晩寝ずに主を看病した娘を城の外へ放ろうとする者こそが鬼だと、進言しました。まあ、沙汰はそう焦らずお待ちください。皆まだ整理がつかぬだけです」
「片倉様…」

 小十郎は、大根を全て洗い終え人参を手に取ると、桶に浸した。

「私は、政宗様のご幼少の頃から仕えていますが、私自身は両眼とも健康です。何も目で不自由したことはない。父も隠居して今頃茶でも啜ってますでしょう。ですから政宗様の辛い気持ちをいくら分かりたいと思っても、強くあれとしか言えなかった。共に鍛錬し、戦術を学ぶ。鍛えることで確立するしか。ですが初穂殿は少しでも分かって差し上げることができる。と、これは私の憶測でございますが。端的に言いますと、あの廃村の民家での事、殊更感謝申し上げたい」
「片倉様…」
「政宗様は、少々ご自分の感情に正直でありますから…。そう言うあなたは、もう少しご自分に素直になった方がいい。腐っているよりずっとましだ」

 初穂は帯から手ぬぐいを慌てて取り出し、顔に押し当てると何度も頷いた。

「はい。お言葉、しかと」
「それでいい」

 大きな手が頭に乗り、ゆさゆさと揺らされた。例えば兄が居たとしたら、こんな風に大らかに優しく接してくれていたのだろう。その後、収穫した人参と大根をかごに入れ、初穂は小十郎と共に厨へと戻った。