十三、荒野を駆けて
家臣の誰かが「それはいささか…」と呟いた。無意識的に思わずぽろりとこぼしたに違いないが、今は軍議の、しかも政宗が説明を加えているまっただ中だ。地図に落とした視線を僅かに動かし、政宗は慌てる家臣を一瞥したが構わず続けた。
「既に二本松はそれだけの用意がある。義継の息子なんざ、俺を小童などと言って兵を煽動してるらしい。そりゃ士気も上がるだろう。だしに使いやがって」
二本松城に続々と援軍が到着していると報せがあったのは未明のことだ。阿武隈川から二本松一帯に掛け、偵察に向かわせていた黒脛巾組が報告してきた。意外にも畠山勢の動きは早く、亡き義継の敵を討つ為にあの手この手を使い兵を動かしている。受けた知らせに、政宗は即座に出陣を命じる構えとなった。
政宗が数回に渡り家々へ送った出陣要請の書状は、その意図に反し、逆に畠山周囲の家々で伺いを立てる結果となってしまったらしい。「お主の所にも、伊達の小僧から書状はきたか」そのように天秤の傾きを確認し合えば、一夕にして杯を酌み交わす間柄となるのだった。現在敵の数は多く見積もって一万五千ほど。対する伊達は約七千である。
また、この状況に於いて、小浜城に勤めている女中や職人たちにも招集が掛けられた。いよいよこの小浜城も前線となり、籠城に備えよとの命が下るかと思いきや、政宗から出た言葉は「今すぐ一行米沢城に発て」という意外なものだった。確かに、仮に小浜城が攻められ長期に渡る籠城ともなれば、城内に残る人間が少ない方が兵糧は持つ。だからといって、城の使用人をすべて米沢に引き上げさせ、人手が減るのも、いざという時の戦力が削がれ隙を与えてしまう。
大広間での政宗の命に、心意気の強い伊達家の使用人達は残ると声をあげたが、政宗は頑なに譲らなかった。剣を振るえる者意外は皆米沢に引き上げろと、その命が覆されることはなかった。
もちろん、この命には元大内勢の家臣、初穂以下女中たちも含まれる。今の御時世、主とともに一蓮托生は当たり前と覚悟を決めていただけに、彼女たちも不思議でならない。
兎にも角にも、ほかならぬ主の命だ。散会した後、各々急いで身支度を整え小浜城を発つ運びとなった。総勢百ほどの一行には、なんと留守政景の隊が伊達領国境まで護衛につくとのことだ。戦線がいつ火蓋を切ってもおかしくはないこの時に、政景を宛がうのは心強いと思いつつも、小浜の者たちは少々怪訝そうな様子だ。
初穂も自室で支度をしていると、侍女が不安な表情を浮かべていた。風呂敷を包み終え初穂は彼女の手をとると、申し訳無さそうに言葉をこぼした。
「姫様、私はとても道中が恐ろしくてなりませぬ。この時期に、今から米沢に発つとは…」
「きっと、政宗様も考えがあるのだと思います。大丈夫、留守殿が付いてくれるのですから」
侍女と共に部屋を出た初穂は、皆が集められている中庭を目指した。場内も浮き足立っているのが伺える。
忙しく行き交う足軽や家臣らとすれ違い廊下を往くと、突き当りの角より小十郎と鬼庭綱元を連れ、政宗が現れた。いつぞや初穂が繕った羽織を翻しこちらに向かってくる。初穂は侍女と共に膝を付き、通り過ぎるのを待った。ところが政宗は初穂の前で歩みを止めた。小十郎が「政宗様、我々は先に向かいます」そう告げ、二人は主から離れて行く。
初穂はそっと顔を上げると、政宗が侍女を一瞥していた。初穂も侍女へ、先に行くよう命じた。何の用だろうか…そう思い、初穂は柱にもたれ、じっと空を仰ぐ政宗を見つめた。何故だか城内の慌ただしさと喧騒が遠のいたように思える。
先日まで、政宗は顔色があまり良くなかったが、今は血色も良かった。きちんと体を休めたのだろう。初穂は胸を撫で下ろし「政宗様」と遠慮がちに口を開いた。
「給仕をする女中が、近頃政宗様の膳を下げる度に、とても嬉しそうにしておりました」
「まぁな、腹が減っては何とやらって言うだろ」
柱から体を離すと政宗は初穂の隣に腰を下ろした。かと思えば、すっと政宗の手が膝の上に行儀よく揃えられた初穂の手を握り、空いている手は、頬の辺りまで伸びていた。今にも頬に添えられそうだ。初穂は息を飲んだ。
「肩に、糸くずついてんぞ」
細く短い白い糸を政宗は摘むと、顔の前で掲げてみせると庭先に払った。恐らく慌てて支度をした時についたものだろう。
「ありがとうございます…。政宗様その、手を」
「あぁ、わりぃ」
初穂は離された手を、煩い胸の前で握りしめた。残る温かみには先日の事が思い出され、頬はほのかに熱を帯びるようだった。
膳を運んだ夕刻、瓦解した片鱗を浴び続ける日々からその時だけは、浮世を忘れさせてくれるような一時の安堵があった。政宗の腕に閉じ込められ、己もまたその腕を政宗の背に回していた。どちらも部屋に灯りをくべようとも言わず、物悲しさを薄闇に溶かすことが出来るのならと、宵闇の中に身を委ねていたのだ。
その時隻眼が青い瞳の中に見たものは、父を亡くし多くの家臣を守り、責を抱える先の己の姿であり、一方、青い瞳が隻眼の中に見たのは、己を励ましてくれた政宗だった。
まるで写し鏡のようだと互いに気づいた時、情けなさと心強さに思わず笑みがこぼれた。「あんたは、心配しちゃくれねえのか」とその一言が初穂は嬉しかったのだ。
「政宗様、ひとつよろしいでしょうか」
「Ah?なんだ」
「此度のこと、私を始め皆覚悟はございます…。城に籠もり敵勢を迎え撃つ事、何ら恐ろしくはありません」
断言する初穂に政宗はため息を漏らすも、それはどこか満足気だ。
「ったく、ひでえもんだ。そんなにこの俺は信用ならねえか」
「いいえ…、決して其のようなことでは」
政宗は肘を太ももにのせ、頬杖をついた。初穂はじいっと見つめられている。居心地が悪い。初穂は主の命に異を唱えるつもりではなかったが、戦支度の空気に触れ、戦地に向かう政宗を前にし、不安と後ろ髪を引かれる思いとがせめぎ合いつい口をついて出ていた。申し訳ございませんと俯く初穂に政宗は冗談だと言い、腰を上げた。
「─ 二度と御免だからだ」
そう言うと、政宗は着ていた羽織を脱ぎ、初穂の肩に掛けた。
「米沢は意外と寒いぞ、着ていけ」
ふわりと下りた残り香に居た堪れなくなり、初穂は思わず政宗の着物の袖に手を掛けていた。引っ張られた政宗はもちろん驚き振り返る。初穂は、今度こそ目を逸らさず伝えた。
「政宗様、ご武運を」
「おう」
政宗は一歩踏み出した。肩に掛かる羽織を握りしめ、初穂は深く呼吸を整え自らも侍女の元へと急ぐため立ち上がった。去り際、政宗が初穂を呼び止めた。
「初穂、米沢に着いたなら東にはむやみに近づくな」
言われた意味が判らず、僅かに首をかしげると政宗は、今一度「わかったな」と念を押し、初穂は素直に「はい」と答えた。政宗の背が角に消え行くのを見送りつつ、言われたことを何度も頭の中で巡らせていたが、その理由が分かるのはもう少し後になっての事だった。
・
すべての指示を出し終え、手はずを整えた小十郎は独り眉を寄せていた。もちろん、これからの戦についてだ。危惧していることは、政宗が戦況により、感情のまま兵を動かしかねないという点である。輝宗の死による畠山勢への憎しみは、今は多少落ち着いてはいるものの、いつ荒れ野を素足で駆け出すとも限らないのだ。勿論、小十郎には主を一番に考えどんな状況でも守りきる自信はある。だが、政宗のそれとは別にもう一つ気がかりなことがあった。成実だ。
黒脛巾組の報せを受けてから、二本松包囲のため、政宗は出城へ続々と隊を配していた。その中でも熾烈を極めるであろう最前線の高倉城、本宮城、観音堂山と、どの拠点にも自由が効く山中に、政宗は先遣隊として成実隊を選んだ。確かに、成実は家臣の中では一番に若く、武に長け、また若い兵からの信頼も厚く、部下も皆良い働きをする。瞬時の判断も迷うこと無く出来るので、敵を撹乱するには適任だ。これまでの獅子奮迅の如き華々しい戦果に、小十郎は武働きの心配はしていないのだが、阿武隈川での亀裂が修復されぬまま戦に臨む。そのことが気にかかるのだ。
行軍は敵勢に気取られぬ様にするため、一度に出立するのでは無く、隊ごとに刻限をずらし行軍する事となった。出立する際、成実は見送る小十郎に確かめるように言ったのだ。
「藤次郎は、俺に大役を与えてくれた。そうだろ、小十郎」
そうだ。と小十郎は答えた。でなければ、先遣隊など任せるはずがない。砂塵の混沌を臨機応変に払い、道を開ける成実だからこそなのだ。兜の顎紐をしっかりと結わえた成実は「全部終わったらたらふく酒を飲もうぜ」そう言い一千近い兵をまとめ、本隊より一足先に観音堂山へと発った。
その後、米沢へ引き上げる使用人一行を見送り、政宗の本隊も小浜城を出発した。成実に揺動をさせている間、本隊は岩角城を経由し観音堂を目指した。
ところが進むうちに空模様は陰りを見せ、吹き荒ぶ寒風は行軍数日目にして伊達勢の前に容赦なく白い障壁を作り上げた。行く手を阻まれ、廃寺で凌ぐこと約二日、ようやく人が行き来出来るようになった深夜に伝令がやって来た。受けた報告に、家臣たちは息を飲んだ。伊達軍凡そ七千に対し、敵の連合軍はなんと三万以上に膨れ上がっていたのだ。
当初敵勢はその半分と見積もっていた為に、額を突き合わせた将たちは唸るばかりだ。雪で足止めされている間連合軍は兵をかき集め、また相馬盛胤や二階堂輝行らの扇動によって、中村城を基軸に一気に小浜城へも雪崩れ込む可能性もあるという。「幼い国王丸を討たすな」との大義名分は良い蓑で、果てしなく他家の業が見え隠れする様に、政宗は益々煮えくり返る思いだった。
また風雪止んだとはいえ、この大所帯では進むも引くも難儀する。皆、一旦小浜城へ戻り迎撃すべしと進言したが、政宗はそれを許さなかった。強行進軍の答えに、家臣の間には影が落ちるも、大将の決定には従うほかない。一行は翌朝より決死の思いで雪道を踏みしめ、やっとの思いで観音堂に陣を敷いた。
到着間もなく、政宗は高倉城へ桑折宗長を始めとした他三将の隊を、本宮城へは瀬上景康を始めとした他四家老の隊を展開させた。観音堂の開けた場所より、向かいの麓を望めば敵の旗印がはためき、兵はその下に黒々と群れているのが分かる。
両軍勢睨み合い、荒野に冷たい疾風が駆け抜けた。あんぐりと口を開け待ち構える冬に、敵将兵らにも相当の焦りがあったのだろう。騎馬の蹄が凍える地を叩き、弾いた砂礫が緊迫した空気を突き破るのにそう時間は掛からなかった。弧を描いた矢が足軽を射抜いたのを切掛に、まず高倉城で火蓋が切って落とされた。敵三万三手に分かれた一万に対し、高倉城の伊達軍は本陣に守りを割いたため、その数凡そ一千五百。具足を軋ませ剣を抜き、銃声、雄叫び、馬の咆哮は土煙の中に絶叫の渦を轟かせた。
入り乱れ、瞬時に肉塊となり積み上がる様は惨いの一言だ。一人、二人と己が刃を真っ赤に染めても、白鉄を喰らいつくさんばかりの敵勢は黒いうねりとなって間断なく攻め寄せる。
政宗は、その様子を観音堂の高台より苦々しく眺めていた。立ち上る砂煙に益々視界が悪くなる。本陣には続々と伝令が戦況と死傷者の報告をしに現れ、芳しく無い報せに陣内は焦りの色が濃くなっていた。
「小十郎、本宮城の方はどうなってる」
「持ちこたえているようです。ただ、荒井口よりこの観音堂へ向かう隊があるようだと報せがございました。旗印が見えぬことから、おそらくは成実が抑えに回っているのではないかと。察するに芦名の軍勢かと思われます」
「芦名は直接本陣に斬り込む腹か。しょっぱなからいい度胸してんじゃねえか…」
この時、戦地に立つ将の判断で観音堂本陣に刃が届いていないと言ってよかった。だが、それも時間の問題になりつつある。政宗としては、日が暮れる前に敵本陣に一太刀でも浴びせねばと思っていた。時間を費やしただけ数が劣る伊達は分が悪いのだ。
尚も後退する自軍の戦線に、床几を立ったり座ったりと政宗は焦燥に駆られていた。望まぬ報告が続き、己が陣中突破し敵大将に突っ込みたいと歯軋りしてしまう。ところが、悪い知らせは拍車がかかるというものだ。高倉城に居る筈の兵が、血相変えて本陣に転がり込んできた。具足を脱ぎ捨て息を切らす様に、一気に緊張が張り詰めた。
「御注進!高倉城、敵に落ちて御座います…。只今、敵軍勢がこの観音堂山を目指しておりますれば、本陣に一歩たりとも入れるなと…!我が大将鬼庭綱元の隊、応戦中にございます!政宗様、ご退却なさいませ!」
鬼庭殿…、と兵の誰かがぽつりと口にしたのが聞こえた。綱元の隊には鉄砲隊数百を任せてあるが、それでも兵力差を考えれば先鋒を足止めするだけで精一杯の数だ。
「小十郎、綱元のところへ増援を出せ」
「それは…、出来きませぬ」
「何ふざけたこと抜かしてやがる!」
「政宗様は、一刻も早く此処を離れられるべきです」
「これ以上減らされる自軍を黙って見捨てろってのか!出せねえってんなら、俺が直々に出 ──」
乾いた音が陣の慌ただしさを瞬時に止めた。小十郎に叩かれた政宗は、咄嗟の事で地面に尻餅をついている。普段は主に一切逆らわないだけに、周りの兵も呆気に取られていた。政宗を見下げていた小十郎は直ぐ様、その場にひれ伏した。
「申し訳ございません。この片倉小十郎、戦が終わりましたら何なりと処断を受ける覚悟にございます。然らば、今一度ご自分の胸に手をあて、考えをお改め下さい」
「てめえ…」
「雪中進むとお決めになられたのは政宗様ご自身です。飛車角落ちても、王残れば勝機はあります。はっきりと申し上げますが、今のままでは勝機は見えません。態勢を立て直すことが先決。政宗様の代わりに、この小十郎が存分に恨みを飲みます。鬼庭殿の意志を無駄にしてはなりません」
政宗は立ち上がり、六爪一本一本の鍔に親指を掛けた。顎紐の結び目をなぞると、頭を垂れる小十郎の脇を横切り「俺の馬をよこせ」と側に居た兵士に命じた。兵は、言われるがまま急いで手綱を引いてくる。政宗はさっと跨がり、撤退を告げるかと思いきや「ついてこれる奴だけ俺に着いて来い!」と怒声を浴びせ本陣より駆け出した。
小十郎が引き止め、堪えてくれと訴えるも馬は速度を上げていく。父を亡くしたばかりの政宗に、激昂を押さえつけられるだけの忍耐は既に限界寸前だったのだ。至らなさを悔やんでも既に走りだした馬を止めることは出来ない。小十郎は歯を食いしばり、覚悟を決めた。
「てめえら、打って出るぞ!政宗様の行く所が本陣と心得ろ!何が何でもお守りしろ!」
山鳴りのような鬨がわっと響き渡り、本陣から斜面を滑った兵が土煙をまき上げた。ぎらぎらと血走る真新しい鋭気に、敵は増援が来たと思い込むも、幸い降り立った大将政宗の存在には気づいてはいない様子だ。小十郎は綱元目掛け鞭打つ政宗を必死に追った。政宗は敵軍に踊り込み、馬上より次々と敵を突いては将棋の駒のように薙ぎ倒していく。その度に、伊達兵も大将に続けと士気が上がる。良くも悪くも政宗の力戦奮闘は目立ち過ぎていた。
綱元は、陥落した高倉城を脱し敵陣突破を図った後、自らが殿となっていたらしい。鼠一匹逃さんとばかりに、城を包囲していた敵は僅かに残る青い旗印目掛け、寄ってたかっている。鬼庭隊はまるで袋叩きにあっているかのような有り様だった。
所在を認めた政宗は更に馬に鞭を打った。馬蹄は力強く地を蹴り、咆哮が敵軍に亀裂を入れる。突然背後を突かれた敵は苦し紛れの一撃を繰り出すと場の形勢を見切り、四散した。
突如として現れた弦月兜に驚いたのは綱元だ。
「まさ…(い、いかん)と、藤次郎殿…?!?!?」
「急げっつってんのが判らねえか!さっさと隊を連れて来い!」
綱元はとうとう我が命運尽きたのだと、幻覚を見ている心地だった。しかしまだ首はしっかりと繋がっている。率いる兵に援軍到着を知らせると、部下は息を吹き返したかのように奮迅し、退路を開いた。
家臣の窮地に大将自ら駆けつけるなど、本来ならあってはならぬことだ。綱元は、政宗を叱ろうとも思ったがそれ以上に込み上げるものを押し殺し、己も必死に残党を蹴散らした。
敵勢は尚も続けざまに援軍を投入してくる。政宗たちは、成実隊との合流が急務だった。
曇天には飛び交う矢が一層ひしめき、それをかわしながら伊達軍はじりじりと後退していた。じき人取橋に差し掛かろうかという所だ。斬っても斬っても埒が明かない。黄昏時を迎えた戦場では、敵味方の判別に必死で地に転がる亡骸を避ける余裕もない。
その時、敵大将のひとりが、ニヤリと大層な獲物を見つけたかの様に笑みを浮かべていた。目尻と口角を合わせんばかりの不敵な表情は、間違いなく雑兵を相手取る政宗を凝視している。次の瞬間、意気揚々と采配を掲げた。政宗は最前線に長く居すぎたのだ。
小十郎は瞬時に機転を利かせ、血油をぎらつかせた愛刀を振り上げると、馬上から声を轟かせた。
「てめえらよく聞け!我が名は、伊達政宗。父が仇、またこの荒れ狂う奥羽の地を治めんが為、只今参上仕った!我と思わん者はいざ出会え!人取ろう!人取ろうぞ!」
狂言に釣られた輩はたちまち小十郎に切っ先を向け「こやつがか!」と功を上げる絶好の機会を逃さんとばかりに、舌なめずりをしている。
敵大将の号令が掛かると、矢と鉛が雨霰と降り、飢えた獣のような敵兵は血に狂い小十郎に群がった。小十郎は一度政宗に振り返ったが、ただただいつもの様に気配りを見せ「生きて再び見えましょう」そう一言告げた後、馬に鞭打ちその場を離れた。
頭の真っ白になった政宗は腹心の名をがむしゃらに叫び、後先考えず激闘の渦に飛び出した。が、すぐさま鬼庭綱元が政宗を取り押さえた。綱元は、乱れ交差する硝煙弾雨の盾となっていた。何度鉛が彼の体を弾いたかは分からない。何度、矢が彼の胴を裂いたかは分からない。綱元は政宗を庇い、矢が最後の一本になるまで決して動かなかった。
収まっても動くことはなかった。矢と弾にすり潰れた銅や具足から、血が止めどなく溢れている。「お怪我は、御座いませぬか…」そう問う綱元は最早虫の息だった。
「政宗様、お早く…今のうちに、お、逃げ下さい…」
辺りは、小十郎が大半の兵を引きつけたお陰で、残る雑兵は片手で足りるほどの数だ。それでも多勢に無勢。自軍の足軽も遠くにぽつぽつと見えるばかりで、この場に残るは政宗と綱元のみ。政宗一人逃げるなら、今をもって他にないが、政宗は動かなかった。
生き残りに気づいた敵兵が徒党を組み駆けてくると、草履をじりじりと地に滑らせ、槍を向けた。政宗はゆらりと立ち上がると六爪全てを抜いた。柄の感触を確かめるように指一本一本に力を込める。俯き深く被った兜の下からは鋭い隻眼が光り、まるで鬼神を思わせる様な気性を纏っていた。その激情は、たちまち敵兵の気概をも飲み込まんばかりだ。
最初に斬りかかってきた兵を、政宗は一振りで首を飛ばした。鉄砲を持つ者たちは蒼白し、慌てて縄に火を付け多段に鉛を見舞うも、政宗はぐらりと体を揺らしただけで膝をつくことなく、尚も爪を立てた。
「な、なんだ…!こやつ、鉛も効かぬとは化け物か!」
政宗は物ともせず薄く笑みを浮かべ、更に兵との間合いを詰めた。確実に冷静さを欠いていた。だらりと下げた腕、握る刀の切っ先は地を擦り、薙ぐように振り上げればまたひとり、またひとりと敵足軽の部位が飛ぶ。
狂乱する政宗を止める者、止められる者は誰一人として居なかった。断末魔を叫ぶ間も与えず敵兵の心臓を次々と貫き、気づけば辺りは血の海だ。最後の一人が戦意喪失し、背を向け命乞いをし逃げ惑っても、見境無く太刀は浴びせられた。荒々しい扱いに、刃こぼれをも起こしている。それにも気づかず、政宗はやたらめったら振り上げ、下ろしを繰り返した。途端、思うように体が動かなくなった。がっしりと何者かに羽交い締めにされていた。
「藤次郎!落ち着け!それ以上は止めておけ!」
今しがた駆けつけた成実だった。
気づけば政宗は最後の兵を地に伏せた後、馬乗りになっていた。見るも無残に変わり果てた形は、間違いなく先ほどまで人だったものだ。政宗は、掴まれた腕を煩そうに振り払い成実を睨みつけた。腹心の成実にも猛獣の如く牙を見せる。正気を失った政宗は今度は成実に襲いかかるも、気を失い途端に成実へなだれ込んだ。
「おいっ!藤次郎!しっかりしろ!」
主の体を支える成実の元に、控えていた兵が慌てて駆けつけてくる。他も、地に倒れる綱元を戸板に乗せつつ、口惜しそうな様子で二人を見守っていた。曇天からは、また雪が舞い始めた。
「すぐ狼煙を上げろ。あと、虎哉和尚と留守殿に伝令を急げ!動けるものは村の空き家に藤次郎と綱元殿を運んでくれ。俺は今から小十郎を探しに行く」
・
留守政景と共に米沢へ向っていた一行は、怪しくなる雲行きに、廃村の空き家で一晩越すことになった。この村は、昔戦地となったために村人は別の里に越し、随分と長い間人は住んでいないのだという。何十年か前は領地として統治され、少し離れた先には領主の城もあったらしい。今ではその石組みだけが残され、城跡となっているのだと留守政景は話した。
確かに道中、水稲を植えていたであろう荒れた田、そして干上がった水路、回らなくなった水車は既に過去であることを物語っていた。形あるもの朽ち果てるその理は、風花のように舞い始めた風雪と相まって、初穂には余計に物悲しく映った。
四軒ほどある空き家の一棟を政景が選び、歪んだ戸を軋ませ廃屋の中へ入った。転がっている鍋や、使われなくなった竈には蜘蛛が糸を張っている。それでも、雪と寒さをしのげるのはありがたい。早速、火をおこし湯を沸かすなどして皆々休んでいると、馬の駆ける音が響いた。咄嗟に政景が外へ飛び出していった。何事かと驚くも瞬時に判った。青い拵えの具足を付けた伊達兵が早馬を駆けてきたのである。
兵は、安堵の表情を浮かべていた。
「留守殿!こちらで、雪を凌がれておいででしたか。なんと都合の良い」
「うむ。天候が怪しかった故。しかし、何ぞかあったか」
「は、綱元殿が立派に最後を遂げられ…。それから政宗様が負傷され、今こちらに向っております。成実様のご伝言で、廃村に合流されたしと伝えに参った次第」
「なんと…綱元殿…。して、政宗様も怪我を負われたとは…」
「隊はもうじき到着します。虎哉殿にも只今迎えを。米沢へ向かう道中重々承知ではございますが、傷兵もおります故この者達にもしばらく手を借りたい」
「勿論だ。私の隊から帰陣の護衛を出そう」
竈に立っていた初穂は、思わぬ立ち聞きに、握っていた鍋を落としてしまった。綱元が死に、政宗が負傷した…?聞き間違いではなかろうかと、今一度確かめるべく外へ駆け出そうとしたが、戻った政景が入口で初穂を留めた。
「初穂殿、落ち着かれよ」
「留守様…」
「これから、忙しくなります故。女中たちにもお頼み申す」
それから、虎哉宗乙が連れて来られると、疲弊しきった伊達軍も続々と村に到着した。負傷者に肩を貸す者、杖代わりに枝を使い歩む者、皆寒空に精根吸い尽くされたかのようだった。帰還を見つめる女中たちには敗戦の文字が浮かぶも、今はただ不安の色を隠したまま、給仕に手当にと手際よく仕事に取り掛かった。
運ばれた政宗は意識が無く、返り血とも己の血とも判別がつかぬ程戦装束は血塗れていた。初穂は、自らその着物を剥ぐのを買って出た。小刀で布を裂き、皮膚に張り付いた着物を脱がしていく。時折、政宗は苦痛な表情を浮かべ、うなされていた。その度に初穂は政宗の名を何度も呼んだ。
虎哉は、傷ついた政宗の体を看終わると、大きくため息をついた。かなりの鉛を体に受けたらしく、それらは全て取り除いたが今夜が峠だと呟いた。今だ目を覚まさず、僅かに胸は上下するもののかなり弱々しい。巻かれた生成りの晒しには、今だ塞ぎきらない傷口から血の滲みが止まらない。
初穂は度々取り替え桶に浸し、無心で洗った。桶の中はすぐに赤黒い色に変わった。水を替えに外へ出ると、白く染まりゆく景色はまるで今の初穂の心中だった。雪のように積もるのは不安ばかりで、ご武運をと分かれを告げたのが昨日のことの様に思い出される。政宗が米沢に引き上げろと命を出したのは、使用人たちに戦火が及ばぬためだったのだ。瞬きをすれば今にも堪えていたものが込み上げそうだ。
敵の数は圧倒的だと聞いては居たものの、一体何があったのか初穂には一切分からない。今だこの場に到着しない小十郎と成実も気にかかり、それが益々先行き不透明な戦況を煽っている。
兵曰く、成実は小十郎を探しに行ったとのことだが、今に現れはしないかと、初穂は雪に覆われた曲がりくねった畦道の先を見つめた。
「初穂殿、長く外に居ては冷える。早く中に入りなさい」
「虎哉様…」
「あの政宗はこのくらいでは死なん。目をえぐってもそうだったのだからの」
「…片倉様と成実様は、ご無事でしょうか」
「はは、あやつらも丈夫も丈夫。今頃熊でも食ろうておるかもしれぬ」
中に入った初穂は、それからも一晩中目を覚まさぬ政宗の側から離れなかった。発熱する体の汗をこまめに拭い、額の手ぬぐいなど取り替えるなどして一睡もしなかった。休みなさいと言われても落ち着いていられず、ひたすら看病し続けた。
その甲斐あってか、政宗は無事に夜を越し容態は安定した。意識はまだ戻らないが、虎哉曰く、寝ずに初穂が側に着いていたので、少しの変化にも逐一対処出来たとのことだ。今後、命の心配はいらないらしい。
それから少し経ち、雪が止んだ日に、小十郎と成実が無事村に到着した。珍しく雲ひとつ無い晴天となった日で、伊達軍の要である近臣二人が戻ったとあり、兵らも喜びに沸いている。二人共、開口一番政宗の身を案じ、どたどたと民家に駆け込んだ。
兎に角、主がひとまずは無事だと分かると成実は「腹減った」とのたまった。暖かい囲炉裏を囲み、傷の手当を済ませると汁をすすりながら、政宗の傍らにずっと付きっきりの初穂の背をじっと眺めている。胸を撫で下ろした小十郎も、椀の縁よりその様子を見ていた。虎哉はその隣で茶をすすっている。
「のう、片倉殿。あの娘は何故ああも政宗を案ずるのか。いいや、家臣たるものそうあるべきだがな。もう三日三晩か、ああして看病しておるぞ。休めと言っても聞かぬわ」
「それは…俺にも、計り知れないところで…」
そうして三人が雑談と今後のことについて話していると、留守政景がやってきた。小十郎と成実が無事と聞いて、見回りから戻ったところだ。
「おお、二人共、無事で何よりだ。本当に心配をかける」
「留守殿、申し訳ない」
「ははは、全くだ。若い連中の勇ましさには心臓がいくつあっても足らぬぞ。なんでも右目は大立ち回りをしたと聞いたが」
小十郎は、政宗を名乗り一人敵勢をひきつけた後、雑踏に紛れ山中に身を隠していた。藪に潜み戻る機会を見計らっていると、探しに来た成実と合流することができたのだ。ところが小十郎も成実も、再会の喜びを語るというよりは、その表情には陰りがあった。
小十郎が無事に成実に発見されたのには、敵の追手が早々に引いた為運が良かったのだと言う。仲間に撤退を告げに来た敵兵は「寵臣が主を刺した」と、言っていたのだ。二人はそれが気がかりでならないのだった。
政景はほう、と不思議そうにしていた。
「敵もあの大所帯故、それは揉めることもあるだろうが」
「それにしても、この期に及んで寵臣連れてくるって、敵将も余程の物好きだぜ。武士の風上にも置けねえ野郎だ」
「こら、成実。とは言え、戦に乗じ内側から崩れ落ちる。このことは他人事ではない…」
小十郎の言葉に深く頷いた政景は、何か思い出したかのように「我々はじき此処を発とうと思う」と告げた。
「米沢が、主に東の方様だが、小浜の使用人たちがいまだ到着せぬことを不審がっているそうでな…。政宗様のご容態は、諸国の動きもあるので米沢にも内密にしているのだ」
「成る程、それならばすぐ発たねばなりませんな。これから数日は天候も荒れないと思います。私たちも、別の場所に早く移動した方が良いのですが ──」
小十郎の心配は目下政宗だ。峠を越えたとは言え、目を覚まさねば此処を離れることが出来ない。早急に近場の支城に入り、しっかりと守りを固めた所で療養した方が安全である。虎哉も、目が覚めさえすればなと腕を組み唸った。
ことりと椀を置いた成実が口を開いた。
「取り敢えずは、留守殿たちには予定通りに米沢に向ってもらおう。それがいい。ここは長く居る所じゃない」
「そうだな。留守殿、頼みます」
固く頷いた政景は、初穂に声を掛けた。
「初穂殿、旅支度を。じき発ちます故」
政景がそう言うも、初穂から返事は無かった。政宗の枕元にじっと座ったまま動かない。側に寄った政景は眉を下げた。初穂は険しい顔を携えたまま、ぎゅっと下唇をかんでいた。政宗が目を覚まさぬことが余程心配なのだ。それでも、目が覚めるまで留まるわけにはいかない。
「初穂殿、お気持ちは分かりますが、我々も先を急がねば。あとは虎哉和尚に任せましょうぞ」
「はい…。留守殿、承知いたしました…」
政景は外で待っておりますと言い、先に出て行った。初穂は「政宗様…」と周りに聞こえるか聞こえないかの声で名を呼び、その額に手を這わせた。虎哉宗乙に、命は大丈夫だと言われても、何故だか胸が締め付けられるように苦しかったのだ。このまま、目が覚めなかったら…そんなことを考えてしまっては、拗ねる童のように、首を何度も横に振りたい衝動に襲われた。我慢しているうちに次第に瞼がじんわりと熱くなってくる。ぽたりと落ちた雫にあわてて初穂は頬を拭った。この場を離れがたくとも、米沢へ向かうのは他ならぬ政宗の命だ。
囲炉裏の周りには、虎哉宗乙を始め小十郎と成実も居る。みっともない顔を見せるわけには行かないと、初穂は溢れる涙を無理矢理に止め、袖でごしごしと目をこすろうとしたが、下から手首を掴まれた。
「おい、めそめそ泣いてんじゃねえ。眠れねえ、だろうが…」
「ま、政宗様…。政宗様、お加減はいかがですか、のどは乾いてはおりませんか、傷は…痛みますか」
「HA…なんて面だよ、ったく」
「に、二度とごめんだからだと、そう仰ったではありませんか…!私も、同じにございます…」
突っ伏し声を上げ、急に嗚咽した初穂に驚き、小十郎は慌てて枕元に寄るとひたすら安堵の言葉を述べ、囲炉裏では「あー、泣かした」と成実がほっとした様子で笑っていた。