十二、虚無の荒野・後

 いつもの戦場と眼前の光景は変わらぬ筈だった。幾多の戦地に赴いては兵の命を散らし、大勝をもぎ取り、その都度、配下の死を悼んだ。初陣後は己の未熟さに目を背けたく成る日もあれど、流れる血もいつかは阿武隈川の流れのように澄んでいく。そう信じてここまで歩んできたのだ。しかし、今日ほど戦らしからぬ状況に息なく転がる屍に無念さを覚えたことはない。
 呆然とする政宗は「父上…」と声を震わせ止めどなく血を運ぶ川に入り、成実には目も合わさず中洲へ上がった。輝宗の傍らに膝をつき、体を抱き上げる。政宗の手にはべっとりと血が付き、砂まみれの輝宗の体はみるみるうちに冷えていった。
 着物は川の水を含み、抱えた重さに目を背けたくなった。父上、父上と幾度も声を掛け、頬を擦ったり手を握るも、輝宗にはもはや握り返す力は残っていない。
 青白い顔、弱い呼吸、虹彩の弱々しい反射──戰場に立つ者なら、誰が見ても手遅れであることは明らかだった。
 その側では、騒動の主犯であった畠山義継が血だまりの中に絶命している。大内定綱は脛だけをぶち抜かれ、急所を外れたために歩けはせぬものの、まだ息はあった。
 政宗は、その辺に転がっていた血脂まみれの刀を取ると、ゆるりと立ち上がり定綱に歩み寄った。声無き悲鳴を上げた定綱は砂利を軋ませ、腕だけで必死に後退する。着物の袖が流れに攫われ態勢を崩し、肩が半分川に浸かった。水際まで追い詰めた政宗は、刀を逆さに構えた。

「っ…政宗!!そなたが真に相手をするのは、この場の誰…でも、ない…」

 余力を振り絞り、力んだせいで輝宗は更に吐血した。それでも、政宗は今ここで定綱にとどめを刺したかった。
 畠山義継と大内定綱は今度こそ忠を尽くすだろう。信じてやって欲しい。そう政宗に頼んだ輝宗に鉛で以って返したのだ。許せるはずがない。
 今は、何より怒髪が天を衝き、雁字搦めに纏い付く理性や、立場を全て断ち切り衝動のままに切り刻んでやりたかった。政宗は、定綱の喉元目掛けて垂直に振り降ろした。
 ところが、振り下ろした先端は、既の所で宙に浮き震えていた。輝宗は、再び息子の名を呼んでは幼子を諭すように手を伸ばしている。定綱の喉を貫くことはできたが、刃は到達していなかったのだ。
 吠えた政宗は、そのまま勢いをつけ首より一寸離れた所に突き刺さした。切っ先は定綱の血を吸わず砂利に埋もれ、石と鉄との不協和な濁った軋みが、今の政宗の心中を物語っていた。

「父上、すぐ…、城へ」
「そうだ政宗。それで良い。そうやって、いきなさい。そして皆をた、のん…だ…ぞ」

 輝宗は最後の最後まで、政宗の前で笑みを絶やさなかった。伸ばされたままの手を政宗は握り返した。今度こそ父上と呼んでも返事は無かった。
 堅く瞳を閉じれば、幼少期の辛い思い出と共に暖かな感覚が政宗を包んだ。病床で励まされ、共に馬で遠出をした記憶など、父として、人として、一将として、輝宗の大きな背は瞼の裏側より少しずつ遠ざかり闇へ霞んでいく。唇を噛み締め痛みで己を律すると、うつろなまま光を失った瞼を静かに閉じてやり、政宗は自らの羽織を遺骸にそっとかけた。
 粗方片付いたのか、いつの間にか辺りは静かになっていた。見渡せば、戦いを終え呆然と立ち尽くす者、仲間の亡骸を前に頭を抱える者、そして死屍累々と化した河原には、早速烏が一羽、二羽と舞い降り、嘴を血に染めている。虚無と安堵が入り乱れた、いつもの戦終わりの風景のはずだ──
 だがその視界に一際目につくのは、膝をつく成実だった。政宗は激しく水を蹴り成実に近づくと、おもむろに胸ぐらを掴んだ。

「成実…!てめえが付いていながら、何でこんな事になってる!それとも発砲の許可を出したのはお前自身か!言え!!誰だ!俺の許可無く撃った奴はだれだっ!!!」

 周りの鉄砲隊は、輝宗と逆の命令を出していた成実に気づくも、その言葉は喧騒に埋もれ間に合わなかったのだ。混沌とした中、兵らの耳に一番に響いた命は、悲しいことに戦場で彼らを長年率いていた大殿だったのである。誰のせいでもなかった。輝宗が望んだことであっても、何としてでも止めなければならなかった、成実は止めたかった。それだけは間違いなく本心だ。
 鉛の軌道は必ずしも狙った箇所へ命中するとは限らない。熟練した者でも、非常時に於ける極度の緊張は集中力に干渉する。撃った者を今この場で探し当てるのは、一時の激昂によるものだと成実は理解していた。今後の戦況を考え、成実は気持ちを切り替え冷静さを何とか保った。吊るしあげた所で無駄に戦力を削いでも、誰の為にもならない。
 胸ぐらを掴む政宗の手を成実は掴み返した。主を鋭く睨み、襟から乱暴に引き離した。

「成実、なんだ、その目は」
「そうだ。おれが…俺が、号令を出した。なぜなら、そうしなければ、大殿の首は芦名の手に渡っていたかもしれない…から、だ!」
「てめえ…、本気で言ってんのか」

 鍔に掛けられた政宗の親指が刃を覗かせている。一触即発の事態に俯いていた周りの兵も、固唾をのんで見守っていた。

「俺を斬りたいなら、そうすればいい」
「ふざけてんじゃねえ!!」

 鯉口を切ろうとしていた政宗の手は拳に代わり、成実は川に放り出され全身に水をかぶった。真っ赤になった頬に手を添え、口から滴る血を拭い成実は立ち上がる。体を引きずり、お返しとばかりに政宗に殴りかかった。頬目掛けて右の拳を繰り出すも、政宗は読み、顔をそらし躱した。負けじと成実も反対側の拳を鳩尾に入れる。前のめりに呻き声を上げた政宗は、更に反撃するも、二撃目の拳はあっけなく小十郎に止められた。
 成実を抑えるのは彼の父、実元だ。米沢道中の小十郎へ知らせに走った実元が、呼び戻し引き返してきたのだった。実元も凄惨で目も当てられない状況に、我が子に掛ける言葉すら失っている。兵を背に激高する成実に、小十郎はこみ上げるものを押し殺した。
 政宗の腕を離さず、毅然とした態度で主に向き合った。

「政宗様、ご無礼を。今成実と悶着している時ではございません。輝宗様を一刻も早く城へお連れし、畠山義継と大内定綱の処断をなさって下さい」

 そっぽを向く成実に政宗の視線が這わされた。家臣らの目に映ったのは、川底のように暗く、深い闇が広がる政宗の瞳だ。過ぎし日右目をえぐり、信じたものに拒絶された頃とまるで同じだった。敵視しているわけでも、嫌っているわけでもない。ただ自ずから孤独を突き進もうとしていたあの時の眼差しだ。
 政宗は小十郎の手を払うと背を向けた。

「成実、てめえの処断は全部終わった後に考える。肝に銘じておけ」

 松林から顔を覗かせた政宗の愛馬が、心配そうに黒い瞳を向けている。政宗は、一切の後始末を小十郎に任せると、己は帰還すべく愛馬へ歩みを進めた。

 陽が完全に沈みきり、一気に寒風が吹き荒んだ。夜の訪れと共に雨雲が紛れていたようで、河原は斑に変様している。次第に強くなる雨脚に、血の臭いが巻き上げられ、続々と舞い降りる烏の鳴き声が、不気味なほどよく響き渡った。
 輝宗の遺体は、戸板に乗せられ兵らに運ばれていった。その後ろを畠山義継の遺体が続いた。大内定綱は縄で締め上げられ、兵らに連行されていく。誰も、必要な言葉以外は一切話さず、取り乱すこともなく静かなものだった。
 全ての撤収を終えた時、小十郎は開く扇のように河原を見渡した。岩に飛び散った血しぶき、刃こぼれ、柄の損傷、折れた矢の数──。戦地の傷跡で容易に戦闘中の状況を想像できる。具足を付けず着の身着のままよくぞここまで戦ったと、小十郎は命を散らした者に心中手を合わせた。
 同時に、これほど虚無感を覚えるのは初めてのことだった。畠山義継を討ち取ったことで事実上は伊達の勝利だが、一方で失ったものは得た物以上の無慈悲な現実だ。
 そんな小十郎の心中を煽るように、夜闇に黒い塊を成す対岸の松林が、不気味に枝葉を揺らしている。この阿武隈川の対岸へ到達するには、もうひと波乱ありそうでならない。
 ふと、視線を感じ小十郎は振り返った。留守政景と遠藤基信がなかなか発たない小十郎を待っていた。二人は、今でこそ政宗につかえているが、元は輝宗の側近だ。留守政景の、寂しさを隠すような笑みが余計に心痛む。踵を返すと二人は馬に跨がった。
 暫くは輝宗の死を伏せていたいが、畠山勢には幾人か逃げ延びたものも居る。他家に知れ渡るのも時間の問題だろう。帰路、遠藤基信が「我々も急ごうか…」そう、力なく呟いた言葉が、いつまでも小十郎の耳にこびりついていた。

 ・

 ── あんたはすぐ戻れ。城から誰一人として出るな、そう伝えろ。

 政宗に報せ、その後初穂が小浜城へ戻ってから、かれこれ一刻近く経っていた。
 城内も輝宗の身を案じ、落ち着きが無い。しかし女中頭だけは相変わらず威勢がよかった。「きっと皆お腹すかせて帰ってくるわ」と、女中たちの尻を叩き、今厨房では大量の握り飯が作られているところだ。
 お櫃が空になったところで、初穂は漬物を切るように頼まれ、丁度そこへ別の女中が、水屋からぬか漬けを洗い戻って来た。外はいつの間にか雨が降り出したようで、藁葺き屋根を伝った大粒の雫が涙雨のごとく庇より垂れている。桶を持った女中も肩を濡らしていた。ところが、土間の入口に立つ彼女の様子がおかしかった。髪の水滴を拭うこともせず一向に中へ入ろうとしない。
 不思議がった女中頭が、どうしたのと問うと、今度は別の女中が血相を変え厨房に飛び込んで来た。

「皆が帰ってきた…」

 か細い言葉に、初穂は胸騒ぎを覚え、一人厨房を飛び出した。裾に跳ねる泥にも構わず、門まで駆けた。既に入口には雨に構わず出迎えの使用人たちでごった返している。人混みを割って、初穂は最前へ出た。
 生傷を負った家臣らは堀に掛かる橋を渡り次々と城へ入って来る。着物は裂け、血や泥にまみれ酷い有様だった。雨に打たれているせいもあってか、足取りも重く相当の疲労が伺える。
 徒歩のあとには、続いて負傷者が戸板に乗せられ入ってきた。出迎えの者は心配そうに、身内はいないかと目を凝らしている。
 そこへ、他の負傷者よりも多くの家臣に付き添われる戸板が担ぎ込まれた。抱える者の表情は苦悶に満ち、目を真っ赤に腫らしている。重臣の誰ぞか大層な怪我を負ったのではないか。皆がそう思っていた。ところが、その者の顔には白い布、顔かけがされてある。明らかに死人(しびと)だ。
 誰が…、どなた様が…、集まった者は雨音に紛れ込ませ囁いた。そこに一陣の風が吹き、布は横雨によってひらりとめくれ上がった。初穂は我が目を疑った。

「てるむね…さま…」

 何かの間違いだと思いたい。そう願うも眼前の光景は現実だった。輝宗を乗せた戸板はやがて広間に入っていく。使用人の幾人かが泣きわめきながら後を追っていった。初穂はその場に崩れ落ちた。いつも初穂を勇気づけてくれた輝宗はもうこの世にはいないのだ。頭の中は酷く混乱していた。果たして、政宗へ伝令として走った己は間に合わなかったのだろうかとそんな考えが過り、悔やむ涙が止まらない。
 城での騒動時、謀反者はたったの四名と、数では伊達勢が圧倒的に勝っていたはずだ。その後も戦支度を整えた手練から次々に城を飛び出して行った。にも関わらず、あまりにも惨い結果だ。
 初穂の顔は、涙とも雨の雫とも区別がつかず存分に濡れていた。当たり前の勝利を疑わず出迎えた者も消沈し呆然としている。そこへ、騎馬の近臣らが入ってきた。
 政景、小十郎と全く表情を変えず通り過ぎ、凛とした姿に初穂は堪らず俯いた。視界に歪んだ蹄が入り込む。顔を上げると「初穂殿」といつもと変わらぬ優しい基信の声が掛かった。一刻前まで共に過ごしていたことが信じられず、馬を降りた基信に初穂はすがった。声を上げ、嗚咽する初穂を基信は我が子を慈しむように肩を抱いた。
 私は間に合わなかったのでしょうかと問えば、そうではないと基信は呟いた。

 小浜城は、忙しくなった。負傷者の手当や、米沢城はもとより支城にも輝宗の死を報せ、葬儀の支度に追われた。また、畠山義継を討ち取ったことで、万一の事態に備えるなど、悲しみに浸る間もなく皆が目まぐるしく働いた。
 葬儀は身内や近臣だけの厳かなもので終わったが、人望の厚かった隠居の死には沢山のお悔やみが届き、民らも故人を偲んだ。米沢城下でも店々は喪に服し、翻る暖簾は少ない。
 政宗の周囲はお可哀想にと若殿を哀れんでいたが、当の政宗には哀傷が微塵も感じられなかった。
 来る戦の準備に余念がなく、自室に籠もり書状を書き、各所に根回しをしたりと、まるで哀れみを振り切るかのようにこの所働き詰めだ。変事あっても、当主としての立ち居振る舞いは一見賞賛に値するものであるが、日が経つにつれ芳しく無い状況が露見すると殺気をまとい始めた。

 また、政宗が神経質になるのには、義継、定綱の処断の件もあるだろう。
 運良く生き残った定綱は、どんな形であれ生かされることは無いと誰もが思っていたが、その首は飛ぶことなく現在地下牢に幽閉されている。この決定は政宗自身の決断であり、米沢の家臣はまるで輝宗のような寛大な措置に当主の尊厳を手放しで評価していた。義継の死に続き、敵方を挑発しなかったからだ。だが、阿武隈川で政宗が喉を切り裂かなかった理由を知っている者は素直に喜んではいなかった。
 危惧した通り、その苛立ちの矛先が、死んだ義継へ向けられたのだ。
 義継は既に死人であったが、罪人として首を斬り落とした。それはきちんと塩につけた形でもって丁重に扱われ、首桶に仕舞われ、今後、二本松との交渉で切り札とするつもりだったのだ。
 ところが、再び怒りを噴出させた政宗が、いつの間にか「首を城から放り出せ」と近臣らの知らぬ間に足軽に命じたらしく、あろうことか首は城下の辻に投げ遣られたのである。
 小十郎や基信が駆けつけた頃は時既に遅し。道端に捨てられた首は、鳥がついばみ、山犬の餌となり、結果、見るに堪えない大変おぞましい姿に変わり果ててしまっていた。無論、そうなれば、巷では「伊達政宗という男は、口の聞けぬ死人にまで情け容赦ない」との噂がすぐに広まる。
 案の定、畠山勢はそれを大義名分に、亡き畠山義継その息子、幼い国王丸を担ぎあげ戦旗を高々と掲げた。二本松城、畠山の後ろには大家芦名家に援護する用意が既に有り、続いて二階堂家や、佐竹家も同調の構えを見せた。
 事実上、弔い合戦が予想されるとあっては、実質権限は家督を継ぎ残された息子たちへ委ねられるが、国王丸は齢十二であり、戦の経験は勿論無い。彼にとって政宗は、亡き父義継の首を無残な形に変えられた、いわば仇敵である。
 一方の政宗は家督を継ぎ早幾月、戦経験も豊富な若武者だ。政宗にとっても、国王丸は仇敵ではあるのだが…傍目からすると、どうしても憐憫の情は幼い国王丸へと向けられた。加えて、これまで飛ぶ鳥を落とす勢いで奥州全土をかき回した独眼竜が憎い者も多く、弱体の今こそ、説き伏せた筈の家々が次々に畠山側へと寝返る結果となった。
 どう策を弄しても、勢いづいた波を伊達勢だけで防ぎきる算段は、皆無に等しかった。
 緊迫した現況を小十郎が説明すると、腕を組んだ側近らは苦い顔をした。敵の布陣を淡々と読み上げ、併せて地図に配置されゆく碁石は、東西南北どこを見渡せど敵を示す黒い碁石ばかりである。

「Stop、小十郎。もういい」

 既に引けぬ所まで来ていたが、とはいえこれも政宗が望んでいた結果だ。一度に始末を付けられるならそれでいいと自嘲気味にため息をついた。
 既に孤立状態にあり、兵力差は歴然だった。岩城、石川を始めとした南方の街道に面する家々を味方につけられぬことで「道」を使えず、実質小浜に縛り付けられている状態である。芦名に爪を立てることすら叶わないのが現状だ。唯一、協力的なのは田村清顕だけである。
 また、南にばかり目を向けていては、北からは、最上義光が実母義姫と結託し、この機に乗じて虎視眈々と弟小次郎をそそのかすかもしれない。
 こうも一辺に四面楚歌とは成るものなのだなと、半ば感心するほどだ。
 政宗は、手のひらで転がしていた白石を一つ、米沢城印目掛けて投げた。碁石は勢い余って転がっていく。その先は成実の座るところだ。ところが成実は、膝元に転がってきた碁石を摘みあげると、勝手に黒い碁石と取り替え米沢城に置いてしまった。

「何してんだ。戻せよ成実」
「米沢城は正直どうかな」
「言いてえことがあるならはっきり言え」
「もう、とっくに寝返ってたりしてな」

 灯りが震え、部屋の影を大きく揺らした。短くなった紙縒りが燻り、じりと音を立てている。へらっと笑う成実に対し、政宗は目を吊り上げた。
 近頃、政宗と成実の関係は非常にぎくしゃくしていた。阿武隈川での言いあいが尾を引いているのか、軍議以外で共に居るのを全く見かけなくなり、しかもその軍議ですら、成実の言うことなす事が度々政宗の逆鱗に触れるようで、最近は食い違いが多い。
 いつもは例え意見がずれようと、互いを尊重しあう結論を出すべく、実のある議論となるのだが今は議論にすらならない。
 政宗は煙管を灰受けに叩きつけた。

「成実、仏の顔も三度までって言葉、知らねえとは言わせねえ。茶化してんじゃねえぞ」
「仏は物に当たらないと思いますよ。そんな事言ってると鬼が笑っちまう」
「言わせておけばてめえ…」

 憤怒した政宗が立ち上がった。それを、直ぐさま小十郎がとり抑える。綱元が成実を叱りつけるも、諫言を右から左へ流し、まるで堪えていなかった。「申し訳ありません」と成実は余所余所しく捨て台詞を吐き、結局軍議は中断してしまう。これには小十郎たちも頭を抱えていた。
 政宗は小十郎の腕を払い、押しのけた。

「今夜は終いだ。出ていけ」

 命じられれば退出するほかない。一度は小十郎が反意を示すも政宗の意向は変わらなかった。仕方なく眉尻を下げ、後ろ髪を引かれながらも、成実、綱元、政景、小十郎と、退出していく。
 今、伊達は街道を封鎖されたために、山道経由の行軍を図るか、或いは土地に留まり迎撃するか、その進退を迫られていた。冬が近い中、山道を取るのはあまりにも危険だが、敵の進軍を知り得ながら手をこまねき土地に留まるのは、民草を矢面に立たせることになる。
 背を向け座る政宗は、再び筆を握っていた。恐らく今夜も一人戦略を練り、僅かな望みをかけ協力を得ようと何通もの書状をあちこちの家にしたためるのだろう。その姿は当主として立派に映るも、基信には無理をしているように見えた。
 政宗が父を失った悲しみを露わにしたのは、河原でのあの一度きりだ。幼き頃より政宗を見てきた基信だからこそ、輝宗を守れず一度に多くの責を抱え、辛い思いをさせていることが悔やまれてならない。
 頭を垂れ、退出すべく手をついた基信は、己の手の甲に刻み込まれた皺がいつにも増して濃く映った。

「基信、いつまでもそこで何してる」

 入口に座ったままの基信は、広げられた地図と政宗とを交互に見遣った。

「政宗様、この基信一つだけ申し上げますが、今後は黒川城が要となるやもしれませぬ。少しでもご記憶いただければと」

 然らば、お休みなさいませ。それだけを告げ、基信は戸を閉めた。
 廊下に出れば吐息が白く、見上げた夜空に瞬く星々が今夜はやけに儚い。辺りの静けさに身を溶かすように基信は自室へ向かっていると、丁度、盆に湯気の上がる湯のみをいくつも乗せて、初穂が現れた。出会い頭に驚くも、初穂ははにかみつつ遠藤様、と澄んだ声を発した。

「おや初穂殿、茶を淹れてきてくれたので」
「はい。ひと声を掛けて、お邪魔にならぬよう廊下へ置いておこうと思ったのですが…」
「実は今散会したところでございました」
「そうでしたか…。もう少し早くご用意すればよかったです」
「いえいえ、急でしたので。そうだ。後で、私の部屋に握り飯を持ってきて頂けるとありがたい」
「かしこまりました。あの、遠藤様」

 初穂は盆をぎゅっと力を込め握っている。何か言いたげな様子ではあったが、基信は問わずに言葉を待った。

「政宗様は、ここの所お食事を殆ど摂られて居りません…」
「ええ。私もお体が心配です。手を付けられるかは分かりませんが、私の分と一緒に政宗様のお夜食もご準備頂けますかな」
「ありがとうございます」
「なんの。礼を言わねばならぬのはこちらだ、初穂殿の心配りには救われます」

 ここ最近は政宗へ食事の配膳をしても、全く手が付けられずに下げられていた。近臣しか寄せ付けぬ政宗に、いつもは元気の良い女中たちもなかなか強く言えないのだ。初穂が政宗への気遣いを口にすると、正面に屈んだ基信は、どこか安堵した、一仕事終えた様な表情をして頭にぽんと手をのせ微笑んだ。まじまじと見つめられた初穂は首を傾げた。

「遠藤様?」
「ああ、これはすまない。いや、初めてお会いした頃より、随分と良いお顔になられたと思いましてな。少々感慨深くなってしまった」

 それでは、頼みます。そう言って基信は自室へと引き返した。見送った後、初穂も厨へ戻り二人分の握り飯作りに取りかかった。香の物と汁物を添え、先に厨から近い基信の部屋へと向かった。
 城は静まり返り、虫の声も僅かしか届かない。このところ、皆々床に付くのが早いようだ。深い寝息が聞こえている。
 基信の部屋に面した廊下には、月光が絹のようになびいていた。障子に反射した白い光が眩しく、月が呼吸をするならば一息で何もかもが召されてしまいそうだ。そんな淡く揺れる光にさえも、城に揺蕩う皆の憂いを攫ってはくれないかと願ってしまう。
 基信の部屋まで来た初穂は「失礼します」と膝をつき声を掛けた。すぐさま、返答があると思いきや基信の反応がない。厠にでも行っているのかと、傍らに置いた盆、その手元へ視線を戻した時だった。
 障子戸の噛み合う敷居の溝に、黒い液体の様なものがじわりと染み出している。明らかに基信の部屋からである。胸がざわめき初穂は慌てて戸を引いた。そこには、白装束を身にまとった基信がうつ伏せに倒れていた。黒い液体は基信の血だった。

「えん、どう様…、遠藤様!!だ、誰か!だれか!!遠藤様が!」

 叫ぶ初穂の声に、何事かと血相を変え一番に駆けつけたのは小十郎だ。側まで駆け寄ると、うつ伏せになる基信の首に手を添え、小十郎はしきりに「遠藤殿!」と声を掛けるも反応が無い。すぐに成実と綱元も駆けつけ、腹に抱え込むようにして突き刺さる刃を見た綱元は、唇を噛み締め首を横に振った。血だまりの中、作法通りの厳かなその決意に小十郎は拳を畳に押し付けていた。

「俺は政宗様に知らせて参ります。綱元殿、ここを頼んでもよろしいでしょうか」
「うむ…、任されよう」
「成実、初穂殿を」
「うん…」

 初穂は、廊下の柱に体を寄せ震えていた。何度も目を擦っては止めどなく涙を流している。板張りには部屋から流れ出た血が踏まれ、いくつもの足跡を作っていた。初穂の足先も血で汚れている。しばらくすると、騒ぎを聞きつけた家臣も寝巻き姿のまま一振り携え続々とやってきた。

「初穂ちゃん、ここは人が行き来するから邪魔になる。さあ、立って」
 
 成実に腕を掴まれ、初穂は引き上げられる。血で足元が滑りそうになるも、成実は抱きかかえる様に体を支え部屋へ連れた。

 その夜、初穂は眠れぬままに一夜を過ごした。戸を引いた時の目に飛び込んだ光景がいつまでも脳裏から離れず朝を迎えた。早朝には、遠藤基信の殉死が皆に知らされ、また政宗から家臣に割腹禁止令が言い渡された。輝宗は勿論のこと、慕われていた基信を追う者が出るのを危惧してのことだ。
 しかし、近く戦を控えたこの時期に、伊達にとって基信の死は大変な痛手だった。政宗の有能な側近をまとめあげていたのは、彼だったからだ。どんな状況でも冷静でいて、温厚、故に臣下ひとりひとりに目を配る余裕があり、浮ついた現場をなだめるのはいつも基信が役を買ってくれた。背を任せられるお陰で、血の気の多い将兵が思う存分暴れられたと言っても過言ではないだろう。
 そんな頼りがいのある基信の武勇や人柄を口にしながら、今、初穂の部屋には女中が訪れたところだ。部屋の隅で膝を抱える初穂に朝食を勧め、惜しい人を亡くしました。と、呟く彼女も声を震わせている。初穂は、いつぞや輝宗と基信と夕餉を共にした時を思い出していた。

『これから何があっても決して歩みを止めず、進んで貰いたい』

 最後の涙を拭った初穂は座敷を這い、女中の用意してくれた膳の前に行儀よく座った。いただきますと手を合わせると、女中は「お茶を入れましょうね」と笑みをこぼした。
 箸を取り、初穂はゆるゆると飯を口に含む。腹にたまると、幾分か気持ちも落ち着き始め、庭の鳥のさえずりもようやく耳に入ってきた。椀が空になる頃、女中が湯のみを差し出し、初穂は礼を言って飲み干した。鼻をすすりながら初穂は輝宗の言葉と、基信の言葉を何度も反芻していた。

「あの、今晩…。政宗様への夕餉は、私に運ばせて頂けませんか」

 夕刻を迎えた厨は、大人数の食事を用意すべく忙しい。調子よく途切れぬ包丁の音が響き、野良猫もそろりとおこぼれ目当てに顔を出す。煮炊きの匂いを一杯に吸い込み、初穂は立派な膳をひとつ抱え土間を出た。廊下を歩いていると、皆々初穂を振り返る。それも当然だった。金縁の装飾に洒落た椀が政宗の膳であることを示しているからだ。
 長い廊下を渡り、初穂は政宗の部屋までやって来た。相変わらず、障子戸は堅く閉ざされたまま、僅かに鼻をかすめる墨の匂いは、いよいよ以って戸を越え外へ漏出そうである。おそらく、昨晩も床についていないに違いなかった。

「政宗様、夕餉をお持ちしました」

 人の気配は部屋にあるが、政宗は応えなかった。初穂は、今一度声を掛ける。すると、中から陶器の割れる音が聞こえ、慌てて初穂は戸を引いた。床の間の壺が砕けている。政宗はその前に突っ立っていたが、握った拳には傷がいくつも走っていた。

「政宗様…!」
「今日はあんたか、悪いが膳はそこに置いてさっさと出ていきな」

 背を向け顔を合わせぬ政宗は、吐き捨てるように言うも、初穂は痛々しい手を見て放ってはおけず、覚悟を持って障子の敷居を跨いだ。机の奥には、書き損じの紙が積まれ、その中には多くの返書も混じっていた。皺になり、乱雑に投げられていることからも、政宗の望むものでは無かったのだろう。

「何してる、聞こえなかったのか」
「ご無礼をお許しくださいませ…、方々本当に政宗様の御身を心配されておいでです。少しでもお食事を召し上がって下さい。すぐ、お怪我の手当も、それから床の間も片付けを─」

 初穂はいそいそと側へ寄り、膝をついた。飛び散った欠片を初穂が拾い上げようとすると、政宗は激しい剣幕を見せ、おもむろに初穂の手を払った。勢いで初穂はよろけ、座敷に雪崩れるように手をついた。

「何度も言わせんじゃねえ!何通書いても、どう打診しても、どいつもこいつも兵を出せねえときやがる。挙句、隠居も居ねえなら存分にやれとまでのたまう始末だ!何が分かる!あいつらに、あんたらに、目の前で親父を殺された俺の何がわかる!!」

 怒鳴り散らした政宗を、初穂はまっすぐに見つめ返した。着物の裾を整え起き上がり、居住まいを正した。怒鳴り散らした政宗は息を荒げていたが、憂いを帯びる初穂に、はっとした表情を浮かべると、背を向けあぐらをかいた。
 初穂は、政宗の気持ちが分からないわけではなかった。今でも、父花康がその生途絶える間際の光景が夢に出てくることがある。一人娘を庇おうと、必死だった。初穂は阿武隈川での惨状に居合わせては居ない。ただ、目の前で父を失う心痛も、虚無も、孤独も痛いほどよく知っていた。
 静かに座っていた初穂は、そっと立ち上がり、背を向ける政宗のそばに寄った。女の初穂より随分と広い、鍛えられた武人の背中だが、そこに掛かる重圧は想像できぬものであるし、また誰も変わってやれないのだ。
 初穂はそっと政宗の背に手を触れた。

「政宗様、お願いです。あまりこんを詰めないでください。お食事はきちんと取ってください。体を休めてください。政宗様が倒れてしまっては、片倉様も、成実様も、城の者も皆が、悲しみます…」

 そこまで言い終え、初穂はこらえていたものが溢れだしてしまった。ここ幾日に襲いかかった、荒れ狂う波のような日々は立っているだけで精一杯だったのだ。
 とうとう額を背にとつと付けると、政宗はくるりと反転し初穂と向き合った。今度は初穂の頬に政宗の手が添えられる。涙は親指で拭われ「すまなかった」と、向けられた左目は、いつものすこしばかり自信家な瞳が戻っていた。
 諾意を込め首を振ると、政宗は初穂を腕の中に抱き寄せた。

「あんたは、どうなんだ。悲しんじゃくれねえのか」
「私も、政宗様の御身に何かあっては…心痛みます。お役に立てることがあるなら、お手伝いできることがあれば仰って下さい」

 政宗は掻き抱くように、益々腕に力を込めた。
白露はとうに過ぎ、寒露も目前。人の心は触れ暖かなものになるも、外の霜はすっかり地表を覆い、張り詰める空気は痛みを伴う。奥州には例年より早く雪が舞い始めていた。