十二、虚無の荒野・前
翌日、政宗の言伝を受け、畠山義継と大内定綱は早々小浜城へ使者を寄越した。命じた通り、明日出向いてくるようだ。
取り次いだ小十郎が、そう報告すると、政宗は気難しい表情を浮かべ肘掛けに体を投げていた。手慰みに煙管をいじり、天井の隅を眺めている。疑念の払拭が完全というわけではなく、領地を取ったとはいえ今後の思案が固まっていないのだった。
定綱が叛意を見せ、政宗に頭を垂れるのは二度目。二度ある事は三度あるともいうから、尚のこと政宗は扱いに慎重になっている。
今回、二本松の行軍で義継、定綱勢が伊達軍の想像とは裏腹の行動を取ったが為に、些細な隙となっていた。一連のことは既に他家に知れ渡り、迂闊なことができないのだ。奥州を統べるその目的は変わらないが、伊達に頭を下げれば安々と懐へ潜り込むことが出来るなどと、舐められてはたまったものではない。危ない輩をうっかり抱え込んではことだ。
頬杖をついた政宗は、部屋に物足りなさを感じた。何となく騒がしくない。いつもならば小十郎の傍らには成実が居るが、今日は姿が見えないのである。
「そういや成実は」
「久々に馬の世話を自分でやると言っておりました。馬屋にいるかと」
「呑気過ぎやしねえか」
「申し訳ありません。言い出したら聞かず。とはいえ現状少しは落ち着いたかと存じます。今はこちらに大殿もおわします故、兵らも浮ついた様子ではございません。政宗様も、何かお考えがあるのでしたら、ひとつ遂行のため頭を空にするのもよろしいかと」
「小十郎にしてはえらく柔らかいこと言いやがる」
口角を上げ、政宗は太ももを叩いた。小十郎は、一度咳払いをすると、寝せてあった刀を握った。
「ときに政宗様、私に、一度米沢へ戻る許しを頂けませんでしょうか」
「Ah?てめえも休みてえならそう言え」
「いいえ、お側を離れることはあってはならないと常々…。とにかく、長いこと大殿がこちらに滞在しておられますので」
政宗様は、無意識の内に眼帯の紐を擦っていた。
「ああ…。今の米沢は母上の独壇場かもしれねえ。様子見てきてくれ、頼んだ」
苦笑いをした小十郎は「畏まりました」と礼をし、すぐに退室した。部屋を尋ねたのは元より、小浜を発つ許可を貰いに来たようである。
去り際「閉めなくていい」と命じた障子戸の隙間に細く映る庭は、季節故に殺風景だった。荒んだ木肌とは対称的に、澄み渡った鮮やかな空には、筆で描いたような雲が早い風に伸びている。空は高く日差しも遠い。日に日に痛みを伴う冷たさが増していた。
こうして、小さな変化に気を散らしてしまうのも焦りからだろうか。小十郎の言うように、先のこと考え、頭を空にする必要があった。
政宗は二振りだけを腰に下げると、通りがかりの家臣に鷹狩へ行くと告げ、天頂間際に城を出た。
政宗が城を出た後、暫くして小浜城に客が訪れた。驚くべきことに畠山義継と大内定綱だった。二人は、政宗の使者から命を受け、只今世話された屋敷から出向いたのだと言う。
本来なら登城の予定は明日だが、使者のあったその日の内にどうしても顔を出したかったのだと、いかにもな忠臣の行いだ。
とはいえ、主に目通りを頼むも生憎、政宗は鷹狩へ出かけ入れ違いだ。門兵が明日出直してくれと言うも、今日こそは土産を受け取ってもらわねば困ると引かなかった。荷をたんまり載せた馬五六頭を示し、定綱は深々と頭を下げた。
仕立ての良い羽織に身を包み、帯刀していなければ、まるで商人のようだ。
「土産物が傷む前に、どうかお納め頂きたいのだ。遠藤基信殿にでも取り次いで頂けぬだろうか」
本日登城したのは、畠山義継と大内定綱の他に供が二人だった。たかだか丸腰四名の手勢に神経を尖らせるのも、伊達家臣の威風を損うこととなろう。
とうとう門兵は折れ、基信へ報せに走ろうとした。ところが、丁度その時、処務を片付けに宮の森館から輝宗が降りてきた。
門兵と、定綱たちの押し問答に遭遇した輝宗は、二人は既に臣下であるとの認識から、政宗が帰るまではわしが代わりに相手をしようと、ささやかながらも会食の用意を命じたのである。
乾いた空気の中、厨房は一気に慌ただしくなった。裏で洗濯をしていた初穂は、その報せに戸惑いながらも、自ら進んで手伝った。
配膳をする女中とともに、初穂も部屋を訪れた。
上座には輝宗が座り、向かって左には基信、成実、そして右には留守政景と成実の父実元、また鬼庭綱元が座している。輝宗の正面には義継と定綱が向い合い、連れてきた供を従え座っていた。
数人の女中は慣れた身のこなしで配膳をしていく。初穂も定綱の視線が気になりながら、輝宗の前に膳を置いた。輝宗は「美味そうだ、ありがたく頂こう」と言い、更に酌を頼んだ。初穂は次に成実の正面へにじり寄った。この場に呼ばれた成実は、ご機嫌斜めの様子だ。せっせと馬の世話に励んでいたのを邪魔されたと言うのが一番の理由だろう。盃を差し出すと、初穂にそっと顔を寄せ、内緒話をする様に囁いた。
「初穂ちゃん、こんな時まで仕事する必要ないのに。普通に気まずいだろう?」
初穂の後方では定綱が別の女中から酌を受けている。かすかに視線を感じ、一瞥しかけた初穂は顔を戻して成実へ銚子を傾けた。
「いえ、その。本音を言えば少し胸をなで下ろしております。大きな騒ぎにならず済みましたので…」
「まあ、初穂ちゃんがこの場に居ないと、伊達の警戒心があからさまに表に出ちゃうから、ありがたいっちゃ、ありがたいけど…。でも藤次郎は、居ても居なくても、この酒の席にはつかなかっただろうな」
初穂が疑問を含み首をかしげると、成実は益々意地の悪そうな笑みを近づけた。声が漏れぬよう、口元に手を添えた。
「煮えくり返った腸が冷めた時じゃないと、あいつ絶対一緒に酒飲まねえからさ。義継殿と定綱殿と一緒に会食なんて当分先だ」
俺が言ったのは内緒な?そう言った成実は、退屈そうだった背中をぴんと伸ばし、満たされた盃を一度膳に置いた。
成実や基信を始めとした近臣たちも、最初は、畠山義継と大内定綱をしきりに様子を伺っていた。
遠藤基信は客人の話を聞き、優しい笑みで返すも、その実、箸の運びから動作の一挙一動をしきりに注視していたし、廊下に近い留守政景は酒を飲むばかりで食事には手をつけていなかった。傍らには箸のように刀が寝かせてある。抜刀に支障が出るのだろう。
だが輝宗の陽気な話しぶりに、硬い縄の結び目が次第に緩くなっているのも感じられた。義継と定綱は、この機を逃さんとばかりに、落ちた信用をより戻すため、必死に当主政宗の反骨さを賞賛している。
今は仮に上辺だけの台詞であっても、息子を褒められて気を悪くする親は居ない。新しい家臣二人も人の親であることを思い、話題は義継と定綱の子へと移っていった。
赤らんだ頬を緩ませ、輝宗は二人の父親を気遣った。
「そなたらも、父。畠山殿の嫡男はたしか、国王丸と言ったか」
「は、大殿の記憶にとどめて頂けているとは」
「なんの。利発で剣の稽古が好きだと耳にしていたが、どうだ腕前の方は」
「ゆくゆくは伊達の先陣となって功を上げてくれることでしょう」
「それは頼もしい。いよいよ楽しみじゃな」
「お言葉、恐悦至極に存じます」
その隣、相槌を打つ定綱の盃は空になっていた。おう、と気づいた輝宗は立ち上がり二人の側へ座った。
部屋には酒の匂いが漂い、時が経つにつれ毛羽立っていた家臣の神経も徐々に落ち着き始めている。基信や政景は、唇に盃を薄くあて、移動した輝宗を注視していた。
輝宗は定綱に手ずから酌をしている。定綱の頬も僅かばかり赤かったが、酔が回っているわけでは無さそうだ。大殿自らの振る舞いに恐縮し、並々注がれた盃に何度も礼を述べ口元に持っていく。ところが目測を誤ったのか、盃が定綱の指をすり抜けひっくり返った。零れた酒が座敷に吸い込まれ、驚いた輝宗は「大丈夫か」と問い、前かがみになると転がった盃を掴んだ。
襖が開かれ、女中がまた一人入ってきた所だった。すっと冷えた空気が家臣の酒気をさらっていった。
一連の様子を見ていた家臣たちには、二度の瞬きの間に輝宗の身に起こったことが信じられなかった。それは輝宗も同じだ。手のひらに食い込みそうな程、空になった盃を握りしめ、畳の零れ染みから目が離せなかった。
悔やんだ輝宗の鼻先につきつけられたのは、間違いなく刃の切っ先だ。無理矢理に頭を上げれば、間違いなく喉を切り裂かれるだろう位置に、義継が七寸を当てている。いつの間にやら首の後ろを定綱ががっしりと押さえ、輝宗は絞められる寸前の鶏のような按配になっている。どこに隠し持っていたのか、立派な義継の七寸は、この場に座すどの家臣の刀よりも勝った凶器だった。
眼前の惨事を直視できず、定綱と義継の真意を伺い、伊達家臣らは輝宗の身を第一に考えた。しばし静かに息を飲みこんでいた。どこかで、ごくりと唾を鳴らす者があった。手にした刀の音をわざと掻き消すように「この!無礼者が!」と政景が罵声を上げた。
そこで初穂もようやく我に返った。青ざめ背筋が凍った。押し寄せた不安と恐怖に、心臓には激痛が走っていた。
初穂は声を振り絞った。
「定綱殿…冗談はお止め下さい!輝宗様になにを!」
「ふん、これが冗談に見えるのか」
輝宗を人質に取った定綱は「誰一人動くな」と放ち、二人はゆっくりと立ち上がった。それに続いて、従えていた供二人も懐から短刀を取り出し鞘を放り投げた。
輝宗は襟ぐりを捕まれ、仰け反る態勢に顎を突き出さざるを得ず、苦しげに唸っている。露わになった首へは尚も鈍色の刃が、舐めるようにあてられたままだ。
口角泡を飛ばし、義継は声を荒らげた。
「どけ!何人たりとも我らの邪魔をするな!これが貴様らの大殿、甘さゆえの醜態ぞ!」
狂ったように笑い、定綱が障子を蹴飛ばすと義継は輝宗を引きずり中庭に下りた。入口付近に居た政景は刀を抜いていたが、輝宗を盾にされてはどうしたって先手を打つことは出来ない。
青息吐息はとうに出尽くし、伊達家臣らは己が失態を前に絶望に打ちひしがれていた。苦しい表情を隠すように奥歯を噛みしめるも、いかにして拮抗を保つか、隙を逃さず輝宗を開放するか、それだけに注力していた。
成実も、或いは戦場でならまだ大暴れも出来ただろう。戦況を覆す希望を拾うことはいくらでも出来る。だがこの状況下では下手に手出しができない。
四人と輝宗が城門の方へ進むと、政景が一番に中庭から駆け出した。
「基信殿!城の皆に支持を!成実!はよう政宗様に報せを出せ!実元殿、小十郎が米沢道中なのだ。頼んでもよいか」
「あい、分かった。わしが駆けよう」
一同、謀反者四人と、人質に取られた輝宗の後を追い、じりじりと距離を詰めた。騒ぎを聞きつけ現れた家臣も、血相を変え共に後を追う。今のところ数でしか対応策が無かった。壊された障子戸の上を、がたいの良い武士がおろおろと浮ついた様子で進んでいく。
それに続き、政景の指示通り、一旦は部屋を飛び出した成実だったが、踏みとどまって反転し、放心状態の初穂の前にしゃがみこんだ。焦点の合わない初穂の顔を覗きこみ、いつのまにか濡れていたその両頬を覆い、ぐいと無理矢理に顔を向けさせた。
「初穂ちゃん、君が行って。このこと藤次郎に知らせて。剣使える奴が一人でも多く大殿を追わなきゃだめだ」
「ですが…」
「今は伊達の為に働いてくれ。初穂ちゃんなら、この辺りも多少は分かるだろ?堀沿いの裏の林、藤次郎はきっとそこだ。大声で呼べば絶対に気づくから」
そう言うと成実はまた立ち上がり、部屋を飛び出した。残ったのは呆然とする女中たちと、初穂だ。部屋はもぬけの殻になった。膳はひっくり返り、綺麗に盛りつけられていた料理は無残に散乱している。
城の敷地内では各所で怒号が飛び交うのがわかった。仕事中の雇い人も、ぞろぞろと牛歩で進む異様な惨劇に遭遇したのだろう。驚嘆と悲鳴を上げた後は、ただただ輝宗の名を繰り返し叫んでいた。
初穂は顔を上げ頬を拭った。輝宗のとの約束を思い出していた。今の初穂にできること。それは、成実の頼みを成すことだ。政宗を見つけ一刻も早く知らせねばならない。
初穂は立ち上がり、襷を締め直した。
・
成実は初穂に政宗の元へ走るよう頼んだ後、己は主犯を先頭に、団子のように固まった伊達家臣の中にあった。
周りの家臣も慌てて出てきたために十分な戦支度ではなく、肌寒い中羽織も羽織らない者もいる。いや、これだけ気が立っていればそれも感じられないくらいには、血が踊っていた。隊の先頭には、政景、基信、そして綱元が見える。かき分け成実が躍り出ると、当然政景が驚いた。
「成実何をしている!政宗様のところへは誰をやったのだ」
「初穂ちゃんに頼んだ」
「あの娘に!」
「大丈夫、つとまる…」
定綱と義継その供らは、輝宗を人質に取り、じき小浜城の門を越えようとしていた。この場に居る誰もが城から出すまいとその距離をつめていく。ところが、門に到達した時変異に気づいた。兵が立っているはずの門扉から、明らかに伊達兵の篭手を付けた腕が地面と水平に伸びている。基信の表情が瞬時に曇った。門兵は既に息なく転がっていたのだ。成実が駆け寄ろうとすると、基信は遮った。
「待ちなさい、成実」
「基信殿、なにすんだよ!」
近づく蹄の音に成実ははっとした。地を擦る音とともに土埃が舞い、三十から四十名ほどの手勢が馬に乗ってわらわらと現れたのだ。どの武士も、立派な成りをしている。明らかに、賊や浪人ではない。武装した二本松畠山義継の家臣たちだった。
彼らは、狼狽する伊達勢を嘲笑うように馬上から見下ろしている。
成実は舌打ちをした。初めから、定綱と義継はこの機を図っていたのだ。二人が城へ入り、その間外では待機させていた手勢に逃走の用意をさせていたのである。まるで勝ち誇ったかの様に、定綱はやって来た義継の家臣より刀を一振り受け取った。
成実、政景、綱元も僅かばかりに腰を落とし、そっと柄に手をかける。注意をひくべく、基信が高々と声を上げた。
「定綱殿、義継殿、これがどういうことか分かっておられるのか。紛れも無く謀反だ。先頃政宗様とも和議がなったというのに、この振る舞いはあまりにも理解しかねる。今ならまだ、猶予を与えてくださるやもしれぬ。いますぐ大殿を開放されよ」
輝宗の首に腕を回していた義継は、更にぐいと引っ張った。苦しそうに輝宗は呻き声を上げた。
「ふん、和議とはな、基信殿。餓死の宣告ではないのだぞ。あの小さく切り取られた領地で、我が家臣が皆食っていけるとのたまうお主ではあるまい。わしはな、大人しく飢え死にする気はさらさらないのだ」
義継は、定綱に合図をすると輝宗の腕を縄で縛り、家臣の馬に放るように乗せ、馬の尻を叩いた。輝宗を乗せた馬は速度を上げて長い坂を下っていく。血の上った伊達家臣が「貴様ぁ!!」と叫び、成実の制止も聞かず一人また一人と定綱と義継の懐へ飛び込んだが、多勢に無勢、あっけなくかわされた。義継と定綱は己が家臣の連れた馬に跨がると、刃を交えぬまま走りだした。
成実は抜きかけの刀を鞘に納め、声を轟かせた。
「おいてめえら、何ぼうっとしてんだ!馬持ってこい!それから鉄砲隊!弓もだ!!」
既に空は夕暮れの端を掴み、迫り来る薄闇がますます伊達勢の不安を煽った。皆、駆り立てられるままに用意出来ただけの馬に跨がり、その他は走って後を追った。陽が沈まぬうちにけりを付けねば。皆がそう思っていた。
暫く走ると、敵の背中が視界に飛び込んだ。「居たぞ!」と、伊達勢は次々と後方より弓を射るが、畠山勢はかわすために松林へ進路をとる。
成実は、一頭だけ飛び抜けて走る馬だけを必死に目指した。鬱蒼とする中、速度を保ったままでは尖った枝葉を避ける事が困難だった。追いつくことに必死だった。命一杯鞭打ちつける度、肌の露出する箇所に次々に赤い筋を作っていく。幹と幹の間を蛇行し、近づいては離れるを繰り返すばかりで、距離が縮まらない。
後方を確認すれば、政景や基信、綱元が離れず続いていた。このまま進めば、じきに阿武隈川へ到達する。成実は、畠山勢を追い詰めるため、弧を描くように囲い込もうと、左手で合図を送った。重臣それぞれを長とし、その後ろから十、二十と追いついた兵が続き、等間隔に隊が分かれていく。
地面が土から砂礫に移り変わり、ようやく松林から河原へ抜けた。さすがに相手も、馬ごと川へ突っ込むことは無い。だがこの先、川を跨げば畠山義継の領地は目と鼻の先だ。敵地に乗り込めば相手の思う壺。輝宗の首を手土産に、芦名へ助けを求めるに違いない。
飛沫を上げ、敵方の馬は水際で止まった。川を背に、畠山勢と伊達家臣とが睨み合った。
義継は輝宗を乱暴に馬から降ろすと川の浅瀬に引きずり始めた。よもや入水かと、伊達家臣は「大殿!」「輝宗様ぁ!」と慌てふためく。その様子を畠山勢がせせら笑っていた。
「ははは、そう簡単に殺すわけなかろう」
薄闇に伸びた武士たちの陰は次第に、辺りとの判別が難しくなりつつあった。
成実は政宗が今だ到着せぬことに焦っていた。政宗と小十郎さえ到着すれば多少なりとも、相手は動揺する筈だ。今は時間稼ぎが必要だった。基信と政景に目配せをすると成実も馬を降り、隊から一歩前へ出た。
その脇には、ずらりと横一列似鉄砲隊が構えている。成実が合図をすればいつでも射撃可能だ。
「義継殿、あんたの要望、聞いてやらなくもないぜ?取引しよう」
「何を今更。わしの腹は、小浜城へ出向いた時からとうに決まっていたのだ!輝宗を芦名へ差し出す、とな!」
「それは、どうだか?この状況みろよ。あんたの逃げ場はもう無いに等しい。阿武隈川で行き止まりだ」
「私はつくづく舐められているようだな。言っておくが、定綱殿はこの辺りにずいぶん詳しいのだぞ」
成実と義継が問答を続けていると、その腕に囚われていた輝宗が突然声を上げた。
「成実!もうよい。わしを撃て!このまま連れ去られ、政宗の足手まといになる訳にはいかぬ!」
上流より流れてきた枯葉が白い波に揉まれ裏返った。木々のざわめきも、川の流れる音も、伊達家臣らには何一つ耳に入らなかった。輝宗の言葉は苦渋の決断とはいえ、承服出来るわけがない。
「大殿、何を仰るのです!」
「そうです!政宗様もじき到着されます故!」
刃を向けられる輝宗は半ば悟ったかのように、ゆっくりと首を横に振っていた。鉄砲を構える誰かが小さく嫌だと呟くのが聞こえ、輝宗をそのような決断に至らしめた畠山義継と大内定綱への憎悪が、家臣たちに一気に湧き始めていた。
河原に膝をつき、照準を敵方へ合わせる鉄砲隊は、怒りに震えている。成実は落ち着けと諭すが、伊達という大木の幹であった輝宗に、弱音のような台詞を吐かせたことがただ悔しかったのだ。
一人の若い兵が、成実に懇願した。
「成実様!畠山勢と大内定綱を撃てと我々にお命じ下さい。我々ならやれます!」
「落ち着け!大殿を義継から引き剥がすのが先だ」
「ですが!このままでは日もくれます。もたもたしてたら逃げられちまう…!」
「藤次郎がくるまで…」
辛抱しろ。
続けるはずだった言葉は、一発の銃声によってかき消された。向かい合う畠山勢の一人ががくりと頭を揺らしたかと思えば、体が傾き、落馬した。主を失った馬は前足を上げ、興奮している。
風に乗って薬莢の匂いが鼻をかすめた。隊列を辿れば、上流側、端の方からゆるゆると薄い煙が立ち上っている。
極度の緊張で、力加減を把握できていなかったのか、発砲した兵は顔が青ざめ呆然としていた。
伊達が、引き金を引いてしまった。
「馬鹿野郎が…っ!」
その銃声を合図に、白刃の打つかりは避けられなかった。
成実を先頭に、基信、政景、綱元も已む無く己が隊に抜け!と号令し、河原は大混戦となった。鬨か怒号かも判別つかず、敵味方入り乱れ、白鉄の甲高い音まもなくして血しぶきが舞う。刀身に最後の足掻きとばかりに真っ赤な雫が滴り、阿武隈川は次々と生死を振り分けていった。半分川に浸かりながら戦う者もあり、藻に足を取られたところで成実は八人目を絶命させた。
地獄絵図とはまさに今のことだ。憎しみにかられ無我夢中で戦う伊達側には、もはや統率の意味はなさなかった。瞳孔を開き、荒れ狂う兵士そのものが凶器と化していた。
成実は輝宗を探していた。畠山義継とともに姿が見えなかったのだ。五感のすべてを集中させ、上流下流、後ろの河原と何度も首を左右に動かした。
義継は、定綱とともに抵抗する輝宗を引きずり、浅瀬から中洲へ向かっていた。このままでは対岸に渡ってしまう。
成実は着いて来い!と幾人か従え後を追った。それに気づいた輝宗は、先ほどの言葉を繰り返していた。俺を撃てと。その意味は義継と共に己を貫けということだ。
膝半分まで川に入ったが、流れが早い。輝宗と目が合った。懐かしそうに成実を見つめていた。
「嫌だよ、叔父上。そんな目で見ないでくれよ!」
「お主が聞かぬなら…、そこの者たち、わしを撃て!これは命令だ!」
決してそれが合図ではなかったが、輝宗の声だけが恐ろしいほど響き渡った。成実は反して「撃つな」と声を荒らげたが、前方に装填を終えた鉄砲隊が助太刀にやって来たところで、既に手遅れだった。
輝宗の身体は何度も弾き、膝から崩れ落ちると、その後ろでは義継がすさまじい形相で成実を睨み返していた。
まさか本当に輝宗の命に従うとは思っていなかったのだろう。盾がなくなると義継と定綱にも弾は流れ、義継は頭部と喉に、定綱は脛に弾を受け倒れた。
成実はがくりと膝をついた。川石に強打するも今はその痛みを感じられない。冷たい川の水は容赦なく身体に被る。ふと、うっすら滲む視界に、見慣れた姿が入り込んでいた。輝宗の元へゆっくりと歩いていく人影がある。
── たった今、到着した政宗だった。