十、果て無き道
いつの間にか外は雨が降り出していた。驟雨だった。
第一報が飛び込んできたのは、子の刻。草木の眠りを遮らんばかりに、廊下を踏み鳴らした家臣が常陸佐竹の挙兵を告げた。
動向を注視しておけと言われていたが、まさかこれまでまんじりとも動かずにいた佐竹が、行軍の準備を進めているとあっては一大事である。目的地はどこか。暴れようを見ていれば否応無しに自ずと答えは出る。きっと小浜の伊達政宗に違いない。悠長に硯に墨を溶いている場合ではなかった。咄嗟の判断で、部屋の明かりもそのままに飛び出した。すれ違った女中へ理由も端折り、愛馬にまたがり駆け出した。
自領を出てから雨脚は益々強くなった。蓑を被り雨滴を弾いても芯まで凍えるような気塊は、更に厳しく押し寄せる。近頃は一粒肌に触れただけで、鳥肌が立つ冷たさである。
地を弾く蹄は初冬の入口で踏みとどまるが良いに越したことはないが、駿馬の如き政宗の急躍進と、軍の勢いは本人が一番にその手応えを掴んでいるに違いなかった。だからこそ、今やり合うには――時期が悪い、そう思うのである。
川沿いの道にさしかかり、萎えた雑草の横たわる土手へ手綱を引き馬を導いた。増水し濁った川は、巨岩をも転がしそうな凄まじい勢いで下流に流れていく。それを尻目に鞭打ちますます奮い立たせ、小さな峠を二つ越えた。その頃には、雨もすっかり上がっていた。次第に民家の屋根が霧の中に見え隠れし、霜よけの藁が敷き詰められた田畑が近づいた。
その後方、山の斜面を枯れた雨雲が通り抜けると、立ち込めた靄の中に政宗の逗留する小浜城が姿を表した。
小浜城は、山の中腹辺りから段状に斜面を整地し、その一段ごとに館がある。周囲は立派な櫓が外郭をなし、更に本丸は頂に近い場所に四棟の館を四方に配し、建っている。
橋を渡り、入った直ぐの所に三の丸、そのほぼ北の位置に北の丸、敷地の西に西の丸、そして本丸を挟み南の位置に二の丸だ。
うち一番小さな建屋である西の丸の一室で、政宗と近臣たちが軍議を開いていた。
ところが開始早々、大広間で政宗を襲った小手森兵が、息を引き取ったとの報せがあり、気鬱な空気が漂っている。
あれだけの怪我を負いながら、己を顧みず大鉈を振り回したのだ。「そりゃ、事切れるさ」と、抑揚なく言い放った成実を小十郎が諌めた。
小十郎がそう言うのも無理はない。正々堂々立ち向かった士魂に敬意を払うことも勿論だが、大広間にはいまだに、抗った者の痕跡が静かに染みを残しているからだ。
傷口が裂けるのも厭わず、無念さと屈辱を残したまま絶え果てた。故にその事実が、折角に伊達兵としての兆しを見せつつある小浜兵に、僅かながら波及しうると小十郎は考え、気を揉んでいるのである。
小浜兵が座敷の褐色を視界へ入れる度、複雑そうな表情を浮かべていることは、この場にいる家臣たちは皆承知であった。
確かに、定綱は家臣を見捨て、また降伏は、重臣らの話し合いによって決められたことだ。伊達に恭順する選択でよかったのか、それとも小手森兵のように最後まで抗い、己が灯火燃え尽きるまで、役目を果たし散るべきだったのか―。
今日から主はこの俺だと、政宗が声高々に宣言したからといって、昨日の今日で、はいそうですかと、容易く忠義を持てという方が無理な話である。
現に、小十郎と成実が預かった兵は、最近まで伊達兵との小競り合いも多く、たしなめるのに苦労していた。城が落ちた日「武功を取り立ててやる」と言った、政宗の言葉すら信用していなかったのだから当然とも言えよう。
しかし、歯ぎしりをしながら自問自答する兵らを、いつも気にかけるのは初穂だった。
彼女は怪我の回復が思いの外早く、既に一人で動けるまでになっている。歩く練習も兼ね、時折離れた庵から出てきては、籠城中となんら変わらず、仕事をする兵や女中に調子はどうだとたずねていた。
政宗と小手森兵を食い止め大怪我を負った娘より心配されればどうか。結果、皆無理をさせてはなるまいと、少しずつ心境に変化が現れた。
初穂が庵から出てくる回数が増えるに連れ、小浜兵の刺々しさは次第に和らぎ、また政宗への不信感は目に見えて変わり始めていた、小手森兵の死はその矢先の出来事なのである。
身を挺し敵大将に立ち向かった小手森兵、そして小浜兵の葛藤が今より薄まるには、まだまだ時が必要だろうが、初穂が伊達と小浜の者との仲を取り持つ、いわば橋渡し的な役割にあるのは違いない。
故に今回の、小手森城の兵の死によって、再び濃い渦を作り出すといった危惧は、きちんと弔いさえすれば心配することはないだろうと、基信は心配症の小十郎に言った。
「All right、そっちの方は基信に任せる」
「承知致しました」
「――で、本題だが…」
指に挟んだ煙管をくるりと回した政宗は、広げられた地図を視界に収めた。
大内定綱の潜伏先に目星をつけ、手当たり次第に探させている。しかし、神社仏閣、谷、廃城と、各地に赴いていた兵や草は、尽く水泡に帰すばかりだ。そろそろ万策尽き始めていた。地図に増えるは墨印ばかりで見つかる兆しは少しも無い。
手を貸し、匿う者がいるのは間違いなかった。面倒くさそうに政宗は頬杖をついたが、隙無く、地図を俯瞰する様は実に楽しげである。見え透いたように口を開いた。
「どこを探してもいねえんなら、やっぱ二本松しかねえだろうな」
腕を組んだ政景が唸り、続けた。
「二本松城へは、斥候を出しましたが、戻った兵は皆一様に、臭うと言っておりました…。しかし、その後、草の報告では定綱らしき姿は見つからなかったと」
「見える所に出てきてねえだけだろ。叩けば埃も出てくるってこった」
政宗は煙管の灰をひっくり返した。眼帯の紐を確かめるように撫で、わずかに口角を上げた――その時、「お待ちください!」と女中の悲鳴のような懇願が突如部屋に響いた。
政宗は殺気を放ち、障子戸を睨みつけた。誰かの気配がそこにあるというわけではないが、ただその一点に向けられている。小十郎も、開きかけた口を閉じ、静かに五感を研ぎ澄ませ様子を伺った。
部屋の外が何やらざわついていた。西の丸の遠く、本丸との渡り廊下より、騒がしく踏みつける足音がこの部屋へ向かってきているのが分かる。女中の注意も聞かず、足音の主はお構いなしに進むようだ。徐々に緊張した空気が練り上げられ、軍議は一転して急迫の雰囲気に包まれた。
この場にいる小十郎、成実、基信、政景も何事かあったかと、傍らに寝かせていた大小をそろりと静かに掴んだ。唾に親指をかけたまま、上座の政宗の盾になるようにして背を向け、しかし障子戸は十分注視したまま主を守るように後ずさりした。
肘掛けに体を投げた政宗は、相変わらず余裕の様子だったが、煙管の灰を返したことに舌打ちをしている。
「小十郎、一体なんだ」
「来客、ではありませんでしょう…」
「誰も門で止めなかったってことは、俺らの顔見知りかも…あ。もしかして定綱殿、だったりして」
戸に近い政景が、一文字に刀を掲げ、柄と鞘を左右に離し、ゆっくりと鈍色の刀身を引き抜いた。その間も、大股に前後する袴の音が近くなってくる。皆、陣に詰めるよりも神経が高ぶってた。
柱と横に長い障子の境より人影が滑り込んだ。誰ともわからぬそれは迷いなく、政宗たちのいる部屋の正面にすっと立ち止まり、両手が戸枠にかけられた。
「政宗様、動かれますな」
小十郎が、そう低く呟いたと同時に、威勢よく戸がすたんと開かれた。
「政宗殿!!」
逆光となった暗がりから轟くような声をあげ、現れたのは、三春城主田村清顕だ。
眉の太い精悍な顔立ちの清顕は、政宗の父輝宗よりも若い。が、随分くたびれた顔を携え、額には汗をびっしょりとかき、肩で息をしている。
直刃を向けていた基信は狼藉者でなかったことに胸を撫で下ろし、「急な用向きでござろうか」と今だ警戒心の解けぬ政景が問うと清顕はそうだと頷き、早口で告げた。
「一刻の猶予もない。常陸佐竹が挙兵した!急ぎ戦支度を整えられよ!」
清顕の慌てぶりとは裏腹に、政宗は太ももを叩いた。
「聞いたか小十郎。北条が乗ってきやがった」
ようやく好機が巡ってきたと喜ぶ政宗に、とうとう気でも触れたかと、清顕は驚愕していた。冷たい雨の中を必死になって峠を超え、小浜までやってきたのである。嘘ではないと、今一度、繰り返した。
「そのように喜んでいる場合ではなかろう!この小浜まで押し寄せるやもしれぬのだ!急いで準備を!」
「まあ、落ち着け。清顕」
てっきり常陸佐竹が政宗へ挙兵したものと思っている清顕だが、冷静な政宗にあっけにとられるのも無理は無い。
佐竹の挙兵、つまりその意味は、先日北条へ送った書状が明らかに有効的に働いたということだ。要は脅しが効いたのである。恐らく北条氏政は、政宗からの書状を受け取った後、領地を守らんがため常陸との国境に兵を進めたのだ。しかし、はためいた三つ鱗に佐竹は血相を変え、慌てて具足を身につけたといった所だろう。それを清顕は伊達への挙兵と勘違いしたものの、知らせてくれたのである。
北条、芦名、両家共々、足並み急かつく様が容易に想像できた。政宗は手のひらを見つめ、可笑しくて堪らない。
そうと分かれば、伊達軍がこれ以上、背後を過分に用心しながら定綱捜索を遂行する必要は無くなった。政宗が一番に面倒と思っていたのは、定綱を探しつつ、芦名勢に背後をつかれることだ。
北条の進軍と勘違いした常陸佐竹は、恐らく会津芦名へも援軍を頼み、自領に留まらざるをえないだろう。さすれば定綱の潜伏先に疑わしい、芦名に恭順する二本松城主畠山義継へ援軍を裂く余裕はなくなる。
北条が芦名を引きつけている間、手薄の二本松を叩くなら今だ。
「出るぞ」
状況を素早く飲み込んだ清顕は、ひとまず小浜への進軍は無いと心休まるも、訝しげな表情を浮かべたままだ。皺の影は益々深く写り、何やら考え込んでいる。廊下に突っ立ったままの清顕は、敷居を跨ぎ、どっしりと腰を下ろした。
「政宗殿、二本松へ行くということは、ついに定綱殿は見つかったのか」
「おおよその検討ってとこだ。どこ探しても居なかったんでな。二本松が臭いとの報告だ」
「正気か…。冬季は目前だぞ。確証ないまま侵攻すれば、長引かぬとは限らぬ」
「分かってる。だからだ、清顕。あんたのとこからも、兵を出してくれ」
清顕は、基信と政景へ視線をやった。二人は輝宗から使える年季の入った伊達家臣である。輝宗に仕えていた頃の彼らなら、初冬に掛かる行軍は一番に反意を述べるはずだ。しかし、今の二人には寸分も異を唱える様子は見受けられなかった。
政宗の戦運びは常より巧みだとは聞いてはいるが、これまでの戦績は、眼を見張るほど家臣たちをも変えていたのである。気宇壮大な当主はまさしく昇竜だと期待しているのだ。冬季の入り口だからといって、政宗には関係無いのである。
清顕は初穂のことも気に掛かっていた。ここで出さねば、嘗ての友人、初穂の父、六条花康の敵も取れまい。
「…田村から兵を出す分には、構わぬ」
「助かるぜ。頼りにしている」
勢いをつけて荷駄が斜面を転がるように始まった清顕の騒動も一段落した時、開け放たれた戸から女中が顔を覗かせていた。それに気づいたのは政宗だ。廊下に手をつき、恐る恐る中を伺うも、なかなか声をかけられなかった様子である。おどおどと幾度も口を開きかけては閉じるのを繰り返していた。
「おい、そこの。どうした」
肩を震わせ、深々とお辞儀をした女中は告げた。
「輝宗様が只今ご到着なされました」
陽気に煙管を仕舞った政宗は立ち上がると、父親の待つ部屋へと足を向けた。
・
小浜城は少々異様な雰囲気に包まれていた。田村清顕の突撃訪問に加えて、更には伊達家先代のご到着と、立て続けに客があるからだ。
女中や兵は、もちろん輝宗と一度も顔を合わせたことは無いから、皆どのような御仁だろうかと通された部屋が気になって気になって仕方がない。厨で湯を沸かす際も、誰が座敷へ茶を出すかとそわそわ相談する有様である。
なにせ、あの、政宗の父親だ。
小浜の者たちからすれば、城へ突如としてやって来た新しい主は、自信家で、気性の激しいおおよそ春雷のように気まぐれな人物に写っている。ということは、だ。輝宗は何倍にも癖のある人物なのではないか、政宗以上に気むずかしいのではないか…と様々な憶測が飛んでいるのだ。
一方、輝宗はそんな周りの考えなど知る由もない。たまたま部屋を通りかかった若い女中に「すまぬが、厠をお借りしたい」と頼み、場所を教えて貰ったことに丁寧に礼を述べると、人好きのする笑みを浮かべて廊下の角へ姿を消した。
輝宗の後ろ姿を見送り、なんて、物腰の柔らかい人だろう。と呆気にとられ、客人の世話を仰せつかった女中数名は、後方よりやって来た、政宗一行に気づくのが遅れた。
「部屋はどこ?」と後ろから顔を出した成実に問われ、客人の待つ部屋へ案内したが、勿論、輝宗は厠へ行ったので今部屋には誰もいない。
輝宗のマイペースさは相変わらずである。政宗は暫し部屋で待った。ところが待てど暮らせど輝宗は帰ってこない。
その時、またひとつ、影が政宗の背後に現れた。長きに渡り、捜索と諜報へやっていた黒脛巾組である。瞬時に空気が張り詰めるも、満足行く報告に、政宗は勢い良く煙管を打ち付けた。
「大当たり、だな。小十郎、出立は二日後。皆を集めて伝えておけ。鬼ごっこは終いだ」
今や遅しと待ち構えていた成実は、先陣を切るように「お先に失礼!」と一番に部屋を飛び出した。「大殿はまだ戻っていらっしゃらないぞ!」と小十郎の制止も聞かず、ばたばたと煩く廊下を駆けぬけた。足音が遠のく間際「きゃあ!」と出会い頭の女中の声が響いた。
「ったく、成実のやつ…。どんだけ刀抜きてえんだ」
「政宗様は、どちらへ」
「Ah…、いくらなんでも遅すぎんだろ。父上を探してくる」
小浜城は確かに広いが、厠を探して迷子になるとは童でもなかなか有ることでは無い。城内を闊歩しているのは見回りの兵士に、夕煙の中忙しく駆けまわる女中ばかりだ。皆、政宗の姿を視界に入れれば、たちどころに深々と頭を下げる。
そんな中、厨を出たり入ったりする女中の中に、見知った人物がひょこり姿を表したのを認め、政宗は歩みを止めた。
水仕事をするなとは虎哉宗乙からも言われていないようだが、相変わらず己がやっていいことの範疇を理解しているのかいないのか…。呆れたようにため息をつき、大きな桶に手を突っ込む初穂に後から声を掛けた。
振り返った瞬間、予想通りの反応である。尻餅をつく初穂へ手を伸ばすと、短い躊躇いの後、初穂はすぐに手を伸ばした。引き上げると、前掛けを払い恥ずかしそうに俯いた。
「いい加減慣れろよ」
「申し訳ありません、ありがとうございます…」
「前々から思ってたが、そろそろ女中仕事は辞めたらどうだ。一応は小浜の姫だろうが。それに怪我人がうろうろするもんじゃねえだろ」
「仰る通りですが。私も何か皆の役に立てればと思いまして…」
前掛けを救い上げ、初穂は濡れた手を拭った。秋も終わり間近だ。冷たい水に触れれば、多少なりとも手は痛む。乾いた赤い手の甲をさすり、はぁと暖かな息を吐くと、手を口に当てたまま遠慮がちに眉尻を下げた。
「十分、たってんじゃねえのか」
政宗のふいをついた言葉に初穂はきょとんと見上げている。返した蒼い瞳は、じいっと穴が空くほど政宗を映し、ひとしきりにその意味を探していた。
真っ直ぐに向けられた求めにいたたまれず、政宗は頭の後ろをかきむしり視線を外した。
その先は、冬支度の藁を屋根に積む小浜兵らが見える。庇に登った兵が政宗に気づくと深々と礼をした。すると傍らに初穂も佇んでいると分かると「姫様ーっ!」と握った藁を大きく揺らし声を上げた。側にいた者も、手を止め振り返り、礼をしたり、ご無理なさいませんようにと、前掛け姿の初穂に告げた。
「そういうこった」
止まり木を探す雀が横切った。戯れながら輪を描き飛んでいる。
初穂は、政宗と手を振る兵とを交互に見遣った。怪異な目のことで周囲から遠巻きにされ、視線を集めるのは幼い頃より慣れているが、人の歩み寄りをいざ目の当たりにするとどうにも狼狽えた。
返してやれよと肩をすくめた政宗の視線を追い、屋根の上、その下に積み上がった藁の前へと、初穂も胸元で小さく手を振り返した。会釈をした兵は、再び軽々と藁を担ぎ上げ仕事に戻る。夕空に笑い声が響き渡り、初穂は心のつかえが取れた気がしていた。
定綱の養子となって数ヶ月の娘が、伊達と刃の交じり合いを避ける為に投降を決した。これは、初穂が、城の者の命をむやみに散らしたく無かった本心からだ。
しかし、開城した日、小浜兵の悔しさと無念さを含んだ苦々しい表情を思い出しては、ずっと複雑な心持ちだったのだ。小手森兵の訃報を聞いた時は、益々それが顕著になった。武士らしい最後を遂げたかった者も居るのだと―
そう考えると、日々女中仕事に精を出し、手が荒れかじかんでも、城の者の痛みに比べればいくらでも我慢できたのである。
顔を曇らせた初穂を眺め、政宗は自嘲気味に笑った。
「あんたのそういう誰も、彼も、憂う所は父上にそっくりだな」
俯き加減の初穂の頭にはいつの間にか重みがあった。政宗の手のひらが置かれている。片手で軽々と頭部が掴めそうな程、大きい武人の手だ。
「だが、皆の前でそんな面見せるな。毅然としていろ。あんたがそういう顔してっと、今、生きながらえている連中はどう思う。選んで決めたのはあんただ。振り返んな。それが大将の背負うもんだろ」
「政宗様…」
初穂は頷き、微笑んだ。
寒風に緩んだ襷が漂い、初穂は手際よくきゅっと締め直した。その姿が政宗には以前より逞しく映っている。恐怖と不安に苛まれていた米沢での日々は、今はいずこであった。
ところで政宗も、うっかり本来の目的に手を振ってしまうところだった。
「そういや、父上を見なかったか」
「大殿が、小浜に参られたのですか」
「あぁ、厠へ行くっつって部屋を出たらしんだが…。あと田村清顕も居る」
初穂は、無意識に袖の端を掴んでいた。同盟城主の到着に加えて、先代輝宗まで出てくるとは、聞かずとも近く戦になるのは分かる。乾いた風は刺すように吹きすさんだ。
「定綱殿が、」
「案の定ってところだが。二本松だな」
「そうですか…」
ともかく父上を見かけたら、客間に戻るよう言っといてくれ。そう言い、背を向けた政宗は本丸の方へと引き返していった。
一振りだけを腰に下げ、後ろ姿に迷いはまったく見られなかった。伊達家のみならず、この大内を始めとし、他家他領をいくつも背負う当主は、確かにいつでも毅然としている。
真っ赤に輝いた夕焼けに当たり、伸びた建物の影が次第に城内を覆い尽くしていった。政宗が、母屋へ入ったのを見送った後、初穂は再び桶に手を伸ばし、残りの椀などを洗い始めた。すると、いつの間にやら政宗の探し人が、にこにこと笑みを浮かべ初穂の前に佇んでいた。
・
朝焼けとともに鯨波を轟かせ、巨濤のようなうねりを伴った伊達軍が小浜城より出陣した。一路目指すは、畠山義継が城、大内定綱が潜伏する二本松城である。
二本松城は、小浜城からすると、阿武隈川を挟んだ対岸にある。攻めるには、無論、絶えず流れ横たわる川を越えねばならない。
蒼い拵えの一団は、山道を何里も歩き、落葉に足を取られる斜面を進み、細く冷たい沢を伝った。日没は日に日に早まり、夕日は初冬の青白い稜線に届いた途端、溶けるように落ちていく。それを三度繰り返し、ようやく阿武隈川の主流、二本松との堺へと到着した。
川岸の松林を抜け、政宗はわずかに陽の残る開けた川辺を野営場所に決めると、早々に炊煙を上げさせた。
この時季は、阿武隈川のせせらぎに逆らって鮭が大量に遡上する。晩飯のため、兵らは声を上げながら川に入り、熊のように暴れ鮭に踊らされていた。川面にくねる黒々光る魚群を見つけては、水しぶきを上げて成実が突っ込むので、床几に座る政宗はそれを遠目に、度々呆れている。戦でも一番に目立ち猛々しいが、成実の闘魂は鮭には向かぬらしい。
今回の進軍は、小十郎、成実、政景、田村清顕、そして途中から鬼庭綱元が合流した。
まず手始めに、二本松周辺の城や道を密かに封じ、定綱の退路を断つことが必要だ。目標の定綱ばかりに気を取られ、追いかけるだけでは後手にまわり、またも、小浜の二の舞いとあらば流石に立つ瀬がない。
小十郎の推察では、慌てた定綱が次に庇護を請うなら間違いなく会津黒川城だという。黒川城は二本松城の西方、猪苗代湖よりもまだ西である。何を隠そう芦名義広の居城だ。
現在、芦名勢が北条に手を取られていると言っても、黒川城の背後には猪苗代盛国が控えている。仮に黒川城へ定綱が逃げたならば、後を追い、匿うことを理由に城攻めしたいところだが、前門の虎後門の狼、間違いなく挟撃にあう。前途は険しかった。政宗は義姫の顔がちらついた。
「突っ込みすぎると蛇の巣だな。どうせ阿武隈川を渡るならまどろっこしい真似しねえで、いっその事二本松へ直に攻め入ったほうがいい。叩いて出すには変わりねえ」
木々の枯葉はどこからとも無く舞っていた。炎の先端がそれを掴み、飲み込み、葉は一瞬にして灰と化した。
火を囲んだ面々は顔を見合わせた。政宗の言うように時間を掛けたくはない。互いの覚悟を確かめた。それが総意である。
その輪に、寒そうに肩を震わせ、濡れた体を拭きながら成実が加わった。それを見遣って小十郎が口を開いた。
「二本松へ突撃とは行かぬまでも、脅すだけでも良いのではないかと。城に直接乗り込むより、少し距離を置いて、城を囲めばあの定綱のこと。一目散に飛び出してくるやも知れませぬし、退路も断てます」
腕を組み唸っていた清顕が口を開いた。
「確かに。片倉殿の言うように、切迫させた方が、相手の余裕は削がれるだろう。あからさまに包囲が分かるようにすればあるいは…」
「危機を察して出てくるか」
政宗は拳を口元に持っていった。
今回政宗本隊率いる主力兵はおおよそ二千だ。
二本松へ大挙して突撃、急襲をかけたとすれば、城内での乱闘は絶好の逃走機会を与えてしまう。小十郎や清顕の言うように、外から威嚇し、罠を張るように待ち伏せし、引きずり出す案が最も理にかなっている気がした。兵をむやみに減らす必要もない。
弾けた火の粉に、政宗の眼帯が鈍く光った。
「小十郎の策をいく。各々、隊を率いて、これみよがしに幟を立てろ。二本松周辺に兵を這わせて、向かってきたら交戦しろ。だがこちらからは一切手出しはするな。城下にもだ。いいな」
そうして、政宗は夜のうちに阿武隈川を渡り、二本松城に近い龍泉寺の裏山からその裾野へと、蜘蛛が糸を張り巡らすかのように小隊を分散させ、城を目視できるぎりぎりの位置まで兵を進めた。夜闇の山林に月を思わせる金色の丸印が高々と掲げられ、侵攻は静かに始まった。物見櫓に近い位置まで小隊を出すと、当然、幟に気づいた二本松兵は大慌てで斥候を寄越した。伊達の小隊は一度引き、山中の暗がりにおびき寄せ、出逢えば即座に斬り合いとなった。
枯葉を舞い上げるほど激しい太刀の応酬は、じわりじわりと包囲網をたぐり寄せ、今に城攻めせんとばかりに兵を配し、二本松城の出方を待った。にも関わらず、不気味なほどに城は静かなままでまったく動じる気配がないのだ。一夜明け、覆われた濃霧が晴れれば、闇間の死闘など無かったかのように、また次の二本松兵が少数で繰り出されてくる。緩慢で無理の無い、さも相手に合わせているかのような迎撃─。
何かがおかしい。敵兵の最後の一人を地に伏し、血油のついた刀身を懐紙で拭った政宗は眉をよせた。辺りの枯葉は紅葉の色ではない。ここ幾日かの戦闘の残痕である。
小十郎も余りの手応えの無さに、不審がっていた。政宗は倒れた兵を尻目に、手頃な切株へ腰を下ろした。
「ありえねえな。義継の野郎、出し惜しみしてやがんのか。いちいち癪に障るやつだ」
「我々からしてみれば、少数の方が一隊一隊まともに相手を出来ますから、対処は容易いですが…。そろそろ、畠山勢もこちらの戦力が分かっているはず。それでも断続的に少数とは、なんとも解せませぬな」
「他の隊も似たようなものか」
「は、どの隊も力尽きる戦力ではないと─、政宗様っ!」
小十郎が叫んだ時、今しがた斬り伏せた筈の兵が、己の血まみれになった刀を振り上げ、政宗に襲いかかっていた。小十郎は咄嗟に政宗の肩を掴むと、薙ぐように枯葉の山にふっ飛ばし十文字に太刀を受けた。
「小十郎!」
甲高く乾いた音と共に、二本松兵の刀は高速に円を描き後方へ高々上がり地に落ちた。尻もちをつく兵の鼻先に、尖端をつきつけるも、上体を起こす体力すら残っていない様子で、血濡れた体に、粉々に踏みつけられた葉屑をまとい、ぱたりと倒れた。
それでもなお、ぶつぶつと、念仏を唱えるように「よしつ、ぐさ…は、こ…ふくへむか…われた…のに…」と奇妙な文言を繰り返している。
もはや、覇気無く、ただ主の命により生を繋ぎ止めているだけだが、小十郎は追求した。
「てめえの主がなんだって!最後の言葉、この片倉小十郎が聞き届けてやる」
兵は眼球をごろりと動かし、小十郎を見上げた。
「義継様は…、定綱殿と小浜へ降伏へ向かわれたのに!なんだ!お前ら!何で伊達軍が攻めて来てんだ!義継様は和睦に小浜へ行ったのだぞ!」
政宗も小十郎も息を飲んだ。迂闊だった。「Shit!」と政宗の舌打ちが響くのも当然である。
この兵の言う和睦の書状など一度も政宗の元へ届いて居なければ、覚えもないのだ。常日頃より、伊達と敵対している畠山義継、加えて元城主定綱が、わざわざ小浜城へ出向く用事はひとつに決まっている。
政宗は怒りと悔しさが渦を巻いていた。良くも出し抜いてくれたと、今すぐにでも、ここに横たわる二本松兵にとどめ刺したかった。その理性を保つことがやっとだ。抜きかけた刀を鳴らし、政宗は立ち上がった。
「小十郎!皆を集めて帰還の準備を急げ。俺は一足先に小浜へ帰る」
「政宗様!」
その時、小十郎の叫び声を聞きつけた成実が駆けつけた。この半死半生の兵は何事だと、小十郎に問おうとするも、政宗が一目散に山を下るのでそちらの方が気になる。状況が全く掴めない。小十郎の慌てふためく様も珍しかった。
「成実、丁度良かった。急いで政宗様のあとを追ってくれ。俺は皆をまとめて、小浜に引き上げる」
「は?引き上げるだって?!何言ってんだ」
「兵が静か過ぎるのは、恐らくは畠山義継がいくらか率いているからだ」
「小浜に向かってるってことかよ!」
「いや、まだそうとも分からねえ。分からねえが、とにかく政宗様をたのむ」
「おう、任せろ」
成実は、政宗のあとを追って滑るように山を駆け下りた。軍馬をつないでいた川辺へ着くと、既に政宗は愛馬にまたがり単騎飛び出していった。
「藤次郎おおっ!!…ったく、身の程弁えろって言ったのは、どこの、どいつだ、よっと!」
成実も自分の馬にとび乗り、力いっぱい手綱を締め、ひたすら鞭を叩いて政宗の後を追った。
日の傾きかけた川べりを、全速力で走る二頭の馬は、土埃をあげて次第にその距離は縮まっていく。馬具は悲鳴を上げそうなほど軋んでいた。政宗は既に、鎧も何もかも脱ぎ軽装だ。驚きつつも成実が並走させると、怒りの矛先定まらぬ政宗は一瞥し、激しい揺れに耐えながら叫ぶように声を荒らげた。
「畠山義継が定綱と共に素直に降伏しに来ると思うか!」
「いいや!思わない!」
「俺としたことが、完全に、踊らされた」
「小十郎はまだ、分からないって言ってたぜ!少しは落ち着けよ!そんなに早いと馬が潰れる」
「ったく舐めた真似してくれやがる…」
追い詰めたかと思いきや、先手を打たれていたのか、はたまた二本松兵の言葉が誠か。怒りのままに駒を走らせた政宗には、成実の言葉もまともに届いていなかった。
二人が駆け抜けた道には、迫り来る闇と共に、霜の化粧がうっすらと地表を覆い始めていた。