九、移ろいの扉

 先程から耳元でぱたぱたと足音が聞こえる。人の行き来が絶えぬようだ。忙しない朝の頃だろうかと、初穂はいつ寝入ったのか思い出せぬまま床で目覚めた。重いまぶたをゆるりと持ち上げると、目だけを動かし部屋をうかがった。徐々に意識がはっきりしてくると、手足にも感覚が戻り始める。その時背に激痛が走った。息を吸う、寝返りをうつ、その当たり前の動作を試みるも、呻き声が漏れ、耐えられる痛みには遠く及ばない。その声を聞きつけたのか、廊下を通り過ぎた女中が、断りの言葉を告げながら障子戸を勢いよく引いた。
 掛け布団はひとつも乱れることなく掛かっているにも関わらず初穂は「寒い」とただそれだけを思うも、女中の質問がまともに頭に入ってこなかった。戻ったのは自分の感覚だけで確りと状況を把握するための思考はいまだ朦朧としているようだ。とにかく、慌てた様子で何かを告げた女中はすぐに部屋を出て行った。
 再び静寂が室内を満たした。軒の影が障子戸の半分に落ちている様子を見るに、外は陽が高々と上がっているのがわかる。
 こんな昼日中まで寝ている自分は一体…。再びそう思った時、廊下にはまた幾人もの足音が部屋へ近づいていた。軋む板張りの響きと共鳴するくらいにはひどい痛みがまた迫り来る。苦痛に耐えるも、部屋に入ってきた人間の多さとまたその人物にも驚いた。政宗を始め、小十郎、そして基信だ。その後ろには女中と、袈裟を着ている男性…僧侶が立っている。
 政宗と目が合い、初穂は全てを思い出した。政宗に襲いかかろうとした狂乱する小手森城の兵を止めようとしたのだ。その結果が今床に伏せる己だ。
 初穂の傍らに遠藤基信が腰を下ろした。実の娘を案じるようによかったと目をうるませながら声を詰まらせている。初穂の実の父親よりいくらか若い基信だったが、刻まれた笑い皺には、見ない間に随分と老けた印象を受けた。
 政宗と小十郎は基信より少し離れた位置に座っていた。初穂を見つめる政宗は、何処も怪我をしている様子はない。ほっと胸を撫で下ろし、ご無事で何よりですと告げたかったが、その一言は掠れた吐息にかわっただけだった。察しの良い政宗は、ああ。と呟いた後とぶっきらぼうに続けた。

「五日も眠ったままだったんだ。そりゃ、声もかすれる」

 ―― 五日。初穂は信じられなかった。
 女中は水差しを初穂の口元へ持ってくる。一口飲んで理解した。喉はからからで水差しから含んだ少量の水でもなかなか喉を通らない。苦しそうに水を飲む初穂に、政宗たちと一緒にやってきた僧侶は「無理して飲まずとも良い」と告げると、初穂の手首を優しくとり、脈をはかり始めた。

「うむ、大分落ち着いたようだ。今はぞろぞろとむさ苦しいのが部屋に居て気分は最悪だろうが、しばらく暖かくして、徐々に食事を増やしていけばいいだろう。背なの傷は…そうだな。お主はまだ若いから治りも早いぞ」
「虎哉和尚、むさ苦しいは余計です」
「何を言うか、お前たちからむさ苦しいを取ったら何も残らんだろうが」

 命一杯口を開けて笑う僧侶の名は、虎哉宗乙と言って、政宗の幼少時からの教育係だ。
 五経、政治、また医学も通じた僧であり、多少の破戒行為、いや破天荒な修行が目立つも敢えて誰も何も云わない。それだけ徳の高い僧ということだ。というのは本人の話す所であるが、政宗に至っては慕っているのか居ないのか、和尚への言質に少々首を傾げる時もある。ともかく、それだけ虎哉和尚と政宗は、父輝宗あるいはそれと同等には信頼のおける関係を築いている師弟だ。また、政宗の人生の師という位置にあり、伊達家には無くてはならない存在の一人なのである。
 虎哉が政宗直筆の書状を受け取ったのが四日前。急いできてくれと、僧侶使い弟子の頼みに只ならぬ状況を察し、夜中の海道をひた走りこうして小浜まで馬を駆けてくれたのだった。
 虎哉は、初穂の額に手をあてたり、よくよく顔色をみたりして女中にいくらか指示を出すと「安静にしておくのだぞ」と言い、皆に部屋から出るよう促した。
 虎哉が先に出て、その後に基信と小十郎が続いた。政宗は最後に部屋を出たが、複雑そうな表情を浮かべて初穂を一瞥するも、何も言わず部屋を去った。



 初穂を見舞った一行は廊下を渡り、小浜城のとある一室へ向かっていた。これからしばらくは、小浜城に逗留し、ここを拠点に大内定綱の捜索にあたることとなっている。また、政宗はその間、小浜兵の訓練をするよう小十郎や成実に命じた。在城の兵を定綱討伐隊に加える事は時期尚早だが、他国の牽制くらいには使えるだろうと早速戦線へ実戦投入を考えていたのだ。
 広間に到着早々、政宗は煙草を飲みながら、淡々と小十郎や政景、基信から現況と今後の報告を受けていた。
 とにかく今、定綱目的で小浜に到着したはいいものの、当の獲物を縄に出来なかったのは政宗にとっては相当の痛手だった。
 枯れ葉が落ちきるまでには定綱攻略の予定を立てていたにも関わらず、大幅に晩秋まで引き摺る可能性がちらついている。
 急ごしらえで二本松付近へ向かわせた一隊は、目下定綱を捜索中だが、既に五日と思うか、まだ五日と思うか、手掛かりは全くつかんでいない。定綱が逃げたのは、小浜城籠城から少し経ってのことだから、中々尻尾を掴めぬのが現状だった。逃げ足の速さは見習いたいもんだと悪態をついたところでどうしようもないが、定綱ばかりに構っている暇はないのが正直なところである。
 というのも、ここへ来て、また芦名が妙な動きを見せているのだ。
 一旦は、伊達軍の会津攻めを知り帰路を辿った芦名勢だったが、どこから漏れたのか『小浜進軍の伊達は定綱を逃したのらしいぞ』とせせら笑っているようで、お陰で、会津に引き返したはずの芦名勢は屈辱を晴らそうと、虎視眈々と伊達軍にしかける機会を今か今かと待ち望んでいるらしいのだ。
 報告を受けながら、政宗は煙管に葉を詰めているが、飛び出す様に苛々した。

「ったく、舐められたもんだぜ」

 また、今回の行軍によって、この小浜城の他にいくつも属城が増えた。せっかく勝ち取った城だ。また奪われてはたまらないから政宗は有能な家臣に落とした城を任せる。すると統率する将も、兵力も守備のためそちらに裂かねばならない。
 そんなわけで、今の伊達軍はあっちにもこっちにも、戦力を分散せねばならないのだ。ばたついた現状を一度落ち着かせ、仕切りなおす必要があった。やらねばならぬことの範囲が広がり山積している。
 ひと通り、小十郎が状況説明を終えると、今度は成実が大判の色あせた紙を広げた。描かれているのは山並み、渓谷、川。伊達領を中心としたこの奥州一体の地形図だ。成実は碁石の白黒を選び敵味方を配している。
 太い領地の境界線を改めて見てみると、やはり伊達領は他領に比べても小さい。手なづけた土地は多かれど、完全に支配下においているわけでもない。丁度この地図のように、ところどころ虫食い穴の空いたようにして、火種の残る場所も多いのだ。伊達領として確立するにはまだまだ時間がかかる。
 成実が投げた白い碁石が、勢い余って小十郎の膝まで転がった。それを小十郎は、小手森城と書かれた場所に置き、そのまま握り拳を口元まで持って行くとううん…と唸った。

「今回一連の討伐に置いて、既に政宗様は大小合わせて幾十余の城を落とされました。ですが、これより増やせば我らが手に余ります。今後は背後にも気を配らねば、人手が足りません」
「ああ、芦名がまた動くたあな…。大人しく留守番してろってんだ。それにしても芦名は一体どこから俺が定綱とり逃したことを知った。ったく…」

 すると留守政景が口を開いた。

「もともと、芦名義広殿は定綱殿には相当力を貸しておりましたからな…。手助けする者が他にも居るのを知っていたのかも知れませぬ」
「HA、俺に一泡吹かせたい家はわんさかいるってか。どいつもこいつもコソコソとみみっちいことしてんじゃねえよ」
「しかし、この期に及んで、再び芦名勢に手を焼かねばならぬとは…私の不徳といたす所でございます」

 わたくしも…と、小浜討伐隊だった政景と基信は揃って頭を下げた。

「気にすんな、定綱の野郎が全部わりい。ところでその芦名の連中は今どうしてんだ。つーかあいつら俺にばっか構ってる場合かよ」

 政宗の「構ってる場合かよ」は、芦名の内政のことを言っていた。
 今日日芦名家は、十六代当主芦名盛興の急逝から長きに渡る当主の不運により、家の土台がぐらついたままで、いまだ家臣同士のいざこざが絶えぬのである。
 死んだ盛興には一人娘がいたが、男子に恵まれ無かったため、すぐに芦名家と和睦を結んでいた二階堂家から、会津芦名へ人質となっている若干十四歳の二階堂盛隆を盛興の一人娘に婿入りさせ、一時は芦名家の世継ぎ問題は事なきを得たかのように見えたのだ。
 事実、古くから芦名家と敵対関係にあった二階堂家は、他家の当主を出したことで、両家のいがみ合いは和らいだものとなり、また、芦名に与する岩城や畠山など、海道諸家との関係も良好なものとなったのである。大内もその家のひとつだった。
 こうした海道沿いにのさばる家々の結束は、凡そ、この頃からあったのかもしれない。

 それはともかくとして、世継ぎ問題はとどまること無く、この養子入りに尽力した芦名盛氏が死去してからも続いたのだ。
 盛氏は幼かった二階堂盛隆を見込んで芦名家の当主としたが、実際、芦名の直系から当主を選ばないことに不満を持つ家臣も多かったのである。故に、長年抑止力となっていた盛氏がこの世から居なくなったことで、鬱積を溜め込んだ純粋な芦名家の家臣、つまり反盛隆派の声が大きくなり、反旗はますますたなびいたのだった。
 ことは盛隆が黒川城を留守にした際に起こった。城に居た芦名家家臣、松本太郎行輔と栗村下総守が謀反を起こし、あろうことが城主不在の城を乗っ取ったのである。盛隆はすぐに城を奪還し謀反者二人を処罰、それからも芦名家当主として戦国大名の座に在り続けたが、ある日、寵臣との関係がもつれた事により、当該家臣に殺害され、盛隆はあっけなくこの世を去った。
 その後は盛隆の嫡男、亀王丸が当主になるだろうと思いきや、悲しいことに幼い亀王丸は疱瘡により短い天寿をまっとうしたのである。

 こうなってしまえばもう芦名家存続は絶望的だった。世継ぎがなければ、もはや養子を取るしかない。残された家臣たちは、少しでも系譜に乗るような薄い血筋の人間でも、芦名の当主に君臨できる可能性があるとして、次々と、自らの親類縁者の名を挙げた。
 その度に派閥ができ、家臣団ももはや芦名家としての立ち居振る舞いというよりは、己の確固たる地位を守らんが為に策動していると言ってもいいくらいに、端から見ていてもその相続争いは大変殺伐と行われていたのである。
 芦名家にとって、唯一救いだったのは、芦名に与する周辺の家々が力になっていたという事だろう。とは言えそれも、内儀の整わない芦名家の失墜を今か今かと待ち望み、芦名という名の入れ物に、中身は全く違った家柄の人間が、入れ替わり立ち代りを繰り返して成り立っているのだから、下克上の機を見極めていた、飢えた鷹のような連中であったかもしれない。
 だが現在は、佐竹家から佐竹義広が、芦名義広として会津芦名を取り仕切っていることで一応は収束し、家臣団も少しはまとまりを見せつつはあるようだが他家に類を見ない派閥の混沌っぷりである。

 そんな芦名の暦表を頭で思い浮かべ、小十郎たちと話しながら、政宗はひとつ嫌なことを思い出してしまった。
 現在の芦名当主を決定する際、その候補に上がっていたのは佐竹義広の他に、実はもう一人居たのである。何を隠そう、政宗の実の弟、小次郎もその一人だった。
 どうしてその様な事態となったか、これに関しては伊達家の系譜を三代ほど、つまり政宗の曽祖父の代まで遡らねばならないが、兎も角、ここ数十年の間、奥羽の地で勢力を伸ばしてきた大名には、必ず何かしらの血縁関係が生じているのが原因だ。
 政宗の弟小次郎が、芦名家の当主に選出されていたのも、元を辿ると伊達稙宗の血が芦名家にも通っているというそんな理由からだ。
 当時、小次郎を芦名家当主として推していたのは、芦名家の策略名臣として名高い猪苗代盛国であり、おまけに政宗が伊達家当主となったことをよく思っていない実母義姫も、一枚噛んでいたのである。義姫は、次男小次郎が伊達家当主たるべきだと常々思っていたので、芦名家当主の話が持ち上がった際、それはそれは喜んでいたと聞いていた。
 現芦名家当主が義広で分かるように、結局は義広側に敏腕執政官、金上盛備が付いていたこともあって、小次郎が芦名家当主となることは無かったが、その後も猪苗代盛国を始めとした芦名家家臣と義姫との親交が途絶えたとの話は聞かない。
 今回、政宗の大内定綱包囲失敗がどうして漏れたのか、政宗は考えたくはなかった。
 政宗は、この行軍中、米沢に居る父輝宗へ近況などを逐一報告するようにと、その言いつけを守っている。輝宗は人がいいから、妻義姫に「わが息子はどうしているか」と問われれば、喜んで話すだろう。

「母上だ…」

 あからさまに、頭を抱えた政宗が複雑そうな表情を浮かべるので、小十郎も政景も基信も、輝宗の性格を十分に知っているからこそ居た堪れない気持ちになる。仕方のないと言えばそうだが、政宗にとっては死活問題だ。今後の行軍に支障をきたせば、今までの苦労は水の泡、元も子もない。
 輝宗への報告を今後どうするか…。暫し思案した後、ふと何かを思いついたような政宗は、小十郎に言った。

「小十郎、父上に属城を二つ三つ任せてえ。こっちまで来て貰うのはどうだ」

 小十郎は驚いたが、政宗の案は理にかなっていた。今は一人でも多くの家臣に城を任せたいのがこの場の総意だ。輝宗が加勢に来てくれれば、無闇に軍のあれこれも義姫に漏れることもないし、何より兵の士気も上がる。皆それは名案だと頷いた。
 そうと決まれば、政宗は早速、警備のため庭を闊歩していた兵に殴り書きの書状を渡すと、すぐさま米沢へ早馬を出すよう命じた。

「ひとまず、属城に関しては手立てはありましたな」

 基信がほっと顔を綻ばせた。ところが、隣に座る政景はまだしかめっ面を携えたままだ。

「基信殿、未だ、芦名勢の動きが読めませぬことには」

 すると、考えに煮詰まり碁石で遊んでいた成実がふと顔を上げた。

「どうにかして自領に貼り付けにしときたいよ。そっちに手を回してる余裕なんて無い」

 芦名勢を自領に貼り付けにする方法。そんなものがあったら苦労しねえ…。政宗はぽつりとごちた。
 今一度地形図を眺めてみる。今の伊達軍の戦力で、芦名勢を食い止める場所はあるだろうか…。どう見ても芦名周辺の領主は政宗の嫌いな連中ばかりだ。小蝿のようにぶんぶん飛び回って常より鬱陶しい。一度に押さえつけておくには、やはり峻険な山々や、川などの地形に頼る他ないのか。
 今、政宗がいる場所は小浜だが、大雑把に言うと猪苗代湖から水平線を引き阿武隈川と交差したその中間地点だ。
 幸い、芦名が伊達勢を目指し北上するにしてもこの小浜は通過点であるが故に、正面突破はされないだろう。だが、猪苗代盛国が芦名側である以上、盛国が行軍の手引きをしない保証は全くと言っていいほど無い。盛国だけ抑えても、きっと芦名は別の策を講じてくるに違いないのだ。
 もっと根本から芦名の首根っこを押さえつけていなければ意味が無い。何か大きい抑圧はできないかと政宗は唸った。

 会議を始めてから、部屋は随分と薄暗くなっていた。北国の秋口は滑るように日暮れが訪れ、陽の傾きに気づいた頃は既に染みわたる寒さが襲っている。大人数人の溜息が交互に白い吐息と化し、年長の政景や基信は手をこすり始めるとおもむろに立ち、火鉢を寄せ始めた。
 囲炉裏から火を分ける叔父御のような(ひとりは違わぬが)そんな二人を視界にいれつつ、政宗は更に芦名の西側、南側へと地図に視線を落とした。
 最上川の下流域はほぼ越後であり、そこを始点に「し」の字を書くようにして、信濃、甲斐武田、武蔵相模北条…と続いている。「し」の字のはらいの部分、つまり武蔵の北東には網の目状の利根川水系を挟んで常陸佐竹家がある。
 そういえば…と、政宗は灰を返した煙管でとつとつと、常陸佐竹の辺りを叩いた。武蔵と常陸は長いことこの川沿いの肥沃な土地を巡って小競り合いを起こしていると聞く。

「小十郎、俺らが会津へ別動隊として攻めた時、常陸佐竹の動向はどうだった。田村清顕から何か聞いちゃいねえか」

 田村清顕は現在伊達と同盟を結んでいる。田村領はだいたいこの安達郡の真下だが、四方を岩城、佐竹、二階堂と芦名勢に囲まれているので、当主清顕には、逐一報告を課していた。

「清顕殿の報告に寄れば、芦名はもちろん、二階堂からも援軍の要請があったと聞いております。丁度、我々が磐梯山の麓にいる頃かと」
「逆もありえると思うか」
「逆…、とは」
「常陸佐竹のピンチに芦名が兵を出すかってことだ」
「それは、勿論でございましょう。腐っても常陸佐竹は芦名義広殿の実家です」
「じゃあ、決まりだな。おい、小十郎。筆と紙貸せ」

 小十郎は言われるがまま再び一式手渡すと、政宗はさらさらと筆を走らせた。花押を書き終えると小十郎へ差し出した。小十郎はその書状に目を通すと、言葉を失った。
 政宗は、伊達家当主となってまだ二年足らずの若当主だ。正直に言うと、奥州以南の大国ではそれ程の知名度も無く、伊達家を継いだのはとんだ荒くれ息子で戦の作法もなっていないなどと、当たらずといえども遠からずな噂が大きな顔をしてひとり歩きしているのが現状である。
 いや、小十郎始めこの場に居る家臣は、政宗がそんなちんけな噂の器で収まるような人間でないのを一番にわかっているのだが、それにしても、この政宗のしたためた無礼極まりない内容の書状を、本当に北条へ送るのかと小十郎は再度政宗に確認し、帰ってきたYESに頭を抱えた。
 北条は、上杉に負けず劣らずの大大名であり鎌倉から中枢を握るほどの家格である。この書状はそんな家を手のひらで転がしているようなものだ。
 小十郎は、書状を政景や基信にも見せた。寒さに肩を震わせていた政景は、別の意味で震えていた。基信は今にも卒倒しそうな構えで思わず声が裏返る始末である。

「ま、政宗様?!こんなこと書かれては、伊達家が狙われまするぞ!北条に米沢まで兵を向けられては敵いませぬ!」
「左様、いくらなんでも、こう、もう少し、穏便な文句でですなあ…」

 幼子を諭すような二人の慌てぶりに、政宗は煙管に歯を立て、にいと笑って見せた。

「なに弱腰になってる。あの爺さんのこった。こんなん送りつけられたら、ご先祖様から受け継いだ土地を守る為に、すぐ常陸との国境まで兵を出すぜ。一方の佐竹は北条が攻め込んで来たと思い込んで、血相変えて芦名に援軍を頼むはずだ。そうすりゃ、芦名も佐竹も俺らに構ってられなくなる。防衛の為に自領に留まらざるをえねえだろ」

 うずうずしていた成実は、ようやっと基信から回ってきた書状に目を通した。

「なになに…。要約すると…“常陸はこの伊達政宗が取るから手を出んじゃねえ。今に小田原まで出向いてやる。首洗って待ってろ”」

 他の三人とは違い、政宗の少々無謀な考えに、ぷっと笑いを含ませると、再び基信へ返した。

「はは、これってつまり脅しかけるってことだろ。まあ、俺ならもうちょっとうまく書くけど…」
「Ah?何か言ったか」
「うそうそ冗談。書状に焚き付けられた北条は、国境を警戒する筈だ。軍は恐らく出すと思いますよ」
「しかし、これが我らの単なる揺動と知れたなら、北条は黙ってはいないかもしれぬぞ」

 上座に座る政宗は煙草に火を付け、肘掛けに身体をなげた。一度大きく煙を吸い込み、吐き出して紫煙を漂わせている。揺らんだ灰色を挟んだ隻眼は鋭さが増し、広げられた地図を前に舌なめずりをする獣のようだった。

「その前に全部片付けりゃ問題ねえ」

 一瞬にして、大きく爆ぜた火の粉が傍らの火鉢から僅かに宙に舞った。空気が震えたのはそのせいではない。皆息をのんでいる。勢いを増した赤い燻りは静かに地図へ落ちた。
 確実に政宗は次戦の勢いを持ち越し、奥州の覇権を握る気なのだ。大内定綱の翻意に端を発したこの行軍、噛み付くだけにはもの足らず全てを平らげようとしている。
 
「そういうこった。北条が気づくまでに何としてでも定綱を探しだせ。各々その覚悟で挑め、いいな。」

 それぞれ畏まってひれ伏した後、小十郎はすぐさま己も書状に一筆添え遣いを出し、また、政景と基信もすっと顔つきが変わり、装備の拡充をすると言って即座に席を立った。

「んじゃ、俺も兵の組み分けでも考えてくるか」

 成実は、まるで退屈から開放されたかのようにうんと背伸びをすると機嫌よく出て行った。
 そして、部屋に残るは小十郎――と、これまでずっと黙って隅の火鉢で暖を取っていた虎哉宗乙である。肩から袈裟が落ちそうになるのを虎哉は正すと、一度大きなくしゃみをした。この和尚の緊張感の無さたるや、先ほどの政宗の威厳もなにもあったものではない。

「よく飽きずに居ましたね。虎哉和尚」
「なに、お主が生き急ぎはしないかと、はらはらしておったところだ」

 虎哉は立ち上がると、先程まで政景が座っていた場所に腰を下ろした。成実が置いていった白い碁石を、ひとつ、ふたつ…と数え始めている。が、途中で数えるのをやめてしまった。

「よくもまあ、短期間でこれだけの城を手に入れたのだな。大したものだ」

 虎哉は悪びれもなく純粋に思ったことを口にしているだけなのだが、政宗は眉間にしわを寄せた。笑う虎哉とは裏腹に、傍らに座る小十郎は内心はらはらしている。鋭い左目の眼光がぎろりと虎哉に向けられ、小十郎が諌めるも虎哉は政宗の好きなようにさせていた。

「まあ、そう怖い顔をするな。二兎を追う者は一兎をも得ず。よく心得ておくことだ」
「……わかっています」
「急くな急くな。お主はまだ若い。地に足をしっかりとつ着けよ」

 正座をしていた虎哉は、座り直しあぐらをかいた。碁石を取ると手のひらでくるくると回している。

「そうだ…。あの六条の娘…、瞳は本当に青いのだな。初めて会ったが驚いた。噂はまことか」
「いいえ、本人は何も、そんな特異なことは出来ないと言っています」
「ほう、傷の治りが“異様に早い”のはどうだ」
「傷の治りが…?」

 政宗は眉を片方上げた。虎哉は食指を動かし頬をかいた。

「背なの傷、あの畳についたおびただしい血の量でお主たちが分からぬ訳がなかろう。完治には一月も二月も掛かる、とても深い傷だったはずだ。にも関わらず、さっき診た時はとうに塞がっておったわ。ただ若いというだけであんな治癒力を持つ者はおるまい。娘から何か他に聞いていないのか」
「…いいえ、てっきり眼ばかりに」
「まあ、六条は昔からよくわからぬ謎の多い家だからな…。娘自身、何も知らぬのかもしれん。あまり化け物などといじめてやるなよ、政宗」

 何かを言いかけた政宗だったが、ぐっと堪え喉元まで出かかった言葉は飲み込んだ。



 山並みが、真っ赤に染まっている。紅葉だ。
 清涼感のあった盛夏と青葉の風景はすっかり様変わりしていた。冷え込みは厳しくなり、風は冷たくともその色により一気に暖かみが増した心地である。
 今、初穂が過ごしている所は、初めて小浜城に来た時、定綱に与えられ、米沢に行くまで過ごした離れの庵だった。
 怪我を負ったばかりの時は母屋の一室で治療をしていたが、この程伊達軍と傘下となった小浜兵らが共に訓練を積むというので、静かな所の方が身体には良いと勧められ、移ってきたのである。
 この庵に初めて入った頃は丁度真冬の頃だった。深い雪に覆われ、閉ざされた空間に一人たださめざめと泣く人形のようにして過ごしていたのは、つい一年ほど前で有るにも関わらず、遠い昔に感じていた。
 当たり前だが部屋は何も変わっていなかった、使っていた文机も、床の間の小さな花器も小浜城を離れた時のままだ。ただ、当時と少し違うのは、花器に生けられた楓の枝が部屋を彩っていることだろうか。
 初穂の居室、その庭にある楓は、遠くの山の紅葉同様、子供のように小さく真っ赤な手の形を命一杯広げ、冷たい秋晴れの青空を仰いでいる。空の青と対比する赤色は決して交じり合うことは無いが、濡縁の低い位置から見上げたその鮮やかな風景が、近頃初穂のお気にいりだ。
 背中の傷の経過も良好で、起き上がれるまでになり、最近は庭先へ出るのも許されている。これも虎哉宗乙の治療のお陰だった。あれから虎哉は度々初穂を訪れては、話し相手になってくれている。
 虎哉はよく修行の話を聞かせてくれた。
 若い頃、滝修行の翌日に風邪を引いたことや、断食修行の期間中こっそりまんじゅうを食べたことなど、初穂の知らぬ僧の世界を面白可笑しく話してくれるのである。
 今日もそろそろ虎哉が来る頃だった。初穂は濡縁に腰掛け、楓を見上げて待っていると、石畳に草履が乗る音が聞こえた。

「お待ちしておりました。虎哉和尚」
「…なんだ、随分元気そうじゃねえか。虎哉和尚は落ち込んでるとか何とか言ってなかったか」

 政宗は聞いていた話と違うと頭をかきむしっている。一方の初穂は、急な政宗の訪問に固まっていた。政宗とこうして会うのはいつ以来だろうか、恐らく最後に顔を合わせたのは、虎哉和尚たちと見舞いにきた時以来だ。そして初穂は慌てた。
 何より、伊達家当主を迎える格好でもなければ、気の利いたものなど用意していないのだ。女中を呼ぶべく、濡縁からすっくと立ち上がると突然の目眩に襲われ、態勢を崩した。手をつこうとするも濡縁の板ばりはそこにはなく、手は空を切って徐々に身体が倒れていく。

「ったく急に立ち上がるからだ…。それに、俺は熊かなにかか、Ah?」

 政宗は初穂の腕を掴み、背から落ちぬように初穂の身体を抱きかかえていた。呆れたように溜息をつくと「まだ完治してねえんだから座っとけ」と初穂を再び濡縁に腰掛けさせた。初穂の礼もそこそこに聞き届けた政宗は、一人分の隙間を空け、己も隣に腰を下ろした。今、二人の隙間を埋めるものは沈黙しかない。緩やかな風が吹いてもそれが取り除かれるわけもなく、袖を通さず羽織っただけの政宗の羽織りからは、微かに煙草の匂いが漂った。
 大人しく初穂の座る目の前の手水鉢には、楓と青空の風景が反射し、水面に映し出されている。弱い風が幾度も波紋を作り写景は整わず、広がった波紋はずっと揺れている。

「毎日何してる」

 先に政宗が口を開いた。初穂は問われるままに答えた。

「書物を読んだり…、女中や虎哉和尚に話し相手になって頂いたり、あと…最近は庭先を少し歩く練習もしております」
「へえ…。そりゃ…、退屈だな」

 初穂は返事ができなかった。再び、どちらも口を閉じた。遠くで鳶が鳴いている。無意識に初穂は見上げていた。赤い楓のその向こう、雲ひとつ無い青い空にひとつ黒い小さな点が輪を描いて飛んでいるのが見える。そっと気取られぬように政宗へ視線を流した。政宗は正面を、遠くの山並みをじっと見つめていた。が、初穂に気づき一瞥するも今度は足を組んで頬杖をついた。

「定綱が見つからねえ。あんた本当に何も知らねえのか」
「申し訳、ございません…」

 畏まった初穂は膝の上で両手を握りしめた。覚悟をしていた。初穂は既に大内の人間として家臣の矢面に立ち、伊達家当主である政宗と盟約を結んだ謂わば頭である。意を決し、初穂は「政宗様」と声を震わせた。

「定綱殿が…、いえ、父上が戻らぬ時は、覚悟は出来ております」

 政宗は頬杖を付いていた腕からがくりと頭を落とすと、面食らったように目を見開いて初穂を見つめ返した。初穂はいつになく真剣な表情で政宗から目を逸らさなかった。

「あんた、生真面目だよな。いや、そんなこと言わせたいがために来たんじゃねえ」

 独り言のように口にした政宗は後手に手を着くと、空を仰いだ。

「…あんたのお陰で助かった。恩に着る」

冬の匂いを伴った風は、二人の隙間をゆっくりと通り抜けていった。