三、隻眼の竜

 金色に敷き詰められた穂の間、その畦道に荷を幾らか背に携えて辿る者たちがあった。
戦を終え、無事に伊達領内に帰還した山村の集落から、兵として駆り出されていた若者が稲刈りのために一時帰郷している。肥えた稲穂は労う様に頭を垂れ、帰参した者を見送りまた家族と共に出迎えた。それが五穀豊穣を祈願する秋祭りのを告げる風物詩であった。
 米沢城下では濃紺に染めた布に満月を思わせる金の丸印の幟が掲げられ、勝ち戦であった城主を讃えている。実りの秋をど派手に祝うこの行事は、伊達者を誇り、活気に満ち溢れた民らの印なのだ。
 更に今年は伊達家の嫡男伊達政宗が父輝宗に変わり、党首の座に君臨したことで市井では例年にない盛り上がりで喜びに湧いている。連日、鈴が鳴り響く様な笑いが絶えず、新しい当主の誕生を祝福し、各所で宴が開かれた。城下の店々も負けじと、呉服屋は反物をこれ見よがしに広げ、飯屋、酒蔵、米屋等も値引きの椀飯振舞いで客も羽振りが良い。

 安達郡を抜けた大内定綱家臣一行は、その光景をひしひしと肌で感じながら米沢城へと向かっていた。
 子息が家督を継ぐ際は、当主交代の旨を書状にしたため、家臣をはじめとし、近隣諸国の大名に報告するのが常だ。そうして書状を受け取った家は、己が臣属の確約を改めて心に刻みつつ、当代だったり代理だったりが皆々引き出物や特産品を携えて祝辞を述べに遠方から訪れる。普段は国境を挟んで睨み合う家々も、その時ばかりは血腥い空気を漂わせることはない。
 もちろん定綱も、その書状を受け取った内の一人である。
しかし定綱にとってはこの祝い事も、伊達領内に生気が溢れる様も、心から喜んではいなかった。引き出物は、懐にはなんら差し支えない人質の初穂であるにせよ、この好景気っぷりは敗北を喫した己の上に成り得ていることであるから、地団駄を踏みまた歯ぎしりする心持ちなのだ。
籠に揺られる初穂の耳には、しばしば定綱の舌打ちが聞こえ、連れて来た供にも八つ当たりする始末である。人の歓声と囃し立てる笛や太鼓の音、賑わいを耳にしつつ一行は米沢城に到着した。

 幾年ぶりに訪れた眺望は変わらず息を飲む程美しかった。
見晴らした先には碁盤のように整備された城下町、その奥には収穫を控えた広大な耕作地が広がり、遠く愛宕の山並みは夕焼けを浴び続ける紅葉が帯を成して延々と続いている。夕餉の支度を始めたあちこちの民家から立ち上った白煙は、赤々とした空と山とを縫いあわせていた。
 城内は軽輩の末端に至るまで、前代輝宗の目が届いている。兵はそつなく客人を案内し、廊下を歩いていると幾人もの他領の領主とすれ違うが、手が届く様に談笑の間合いを取ってくれる。
 定綱が言葉を交わせば、顔見知りの領主は伊達親子に祝辞を述べ終え、今から帰城するところなのだと言った。また大内一行がこの場に居る事に思いもしなかったと驚いている。伊達に下ったことを知って信じられんと喜ぶ者もいれば、訝しむ者もいた。そして、伴っている初穂を一瞥すると、一様にいつの間に年頃の娘ができたのだと問うた。

「いやはや、子が育つのは早いとつくづく感じておりますれば」

 二の丸大広間。上座には、輝宗、政宗親子、加えて遠藤基信に片倉小十郎、伊達成実と蒼々たる面々が鎮座している。廊下で領主らに問われたのと同じく定綱は答えた。
 日の落ちると共に炉には火も焼べられたが、広過ぎる部屋には晩秋の冷たい空気が肌を刺すように立ちこめている。主が座す上座は屏風や肘掛けなどが絢爛に飾り立てられ当主の威風があった。
 土産を広げさせた定綱は、お収め下さいと差し出し、祝辞の台詞を抑揚なく淡々と述べ始めた。
 ひれ伏す大内親子に、輝宗は、初穂が六条家の娘であることは既に気付いていた。その上でいつ子が出来たのだと訊ねたのである。もちろん、察しのよい小十郎も、基信も六条の娘だというのを確信していた。だが、輝宗はその事情までを今定綱に問うべきでないと判断したようでそこは敢えて追及はしない。折りを見て養子と成った経緯を聞こうという事なのだろうか。定綱の口上が終わって、面を上げた初穂と視線がぶつかると、輝宗は目尻に皺を寄せ、柔和に笑って見せた。
 ところが、当代政宗は全く逆の考えだった。伊達親子を前に、諂う定綱を鼻先でふんと嘲る様に笑うと、煙管を器用に回した。頬杖をつき、隻眼を細めて色気を含んだ視線の奥にぎらりと眼光が鋭い。眼帯を前髪で隠す事もなく、ふつふつと湧き出る完満とした自信に満ちあふれる様子には、幼き頃会った内気な男の子の面影は皆無で、今や雲泥の差だった。偉容たる風貌に、初穂は別人ではないかとさえ疑ったのである。
 父上はお優しい。政宗は独り言のように呟くと、小十郎の諫言も聞かずに煙草を咥えて紫煙を吐いた。
 伊達家は過去、政宗の曾祖父である伊達稙宗の代に於いて、大内に援軍を出し、一族の窮地に手を貸したことがあった。しかし、喉元過ぎればとはよく言ったもので、都合が悪くなればすぐ三春田村へ擦り寄り、ついには会津芦名に臣従する始末である。そして今定綱は、政宗の凄まじい初陣の武勇に触れては臣属したいと舞い戻っているのだ。大内家の幾代にも渡るその節操の無さが、政宗は実に気に食わないし、腹立たしい。苛立ちを抑えられず、煙管を打ち付けると亀裂を生みそうな金属音に定綱は肩を震わせた。

「追従も世渡りってか。随分立派な口上を拵えて来たもんだな。だが、詭弁を素直に聞いてやるほど俺は父上のように甘かねえぞ定綱。手前の腹ん中は何考えてるか分かりゃしねえ」
「滅相も御座いませぬ。先の戦、若、いえ、殿の采配たるや北の地、隅々までに轟いております。故に大内定綱感服し、ここに帰参した次第で」

 深々と平伏する定綱をあまりにも哀れに思ったのか輝宗は「まあ、政宗」と息子を宥めるが、本人は気にも止めない。更に追い打ちを掛けるように「なら、今ここで手前の嘘を一つ暴いてやろうか」そう言うと、おもむろに立ち上がって初穂の前に腰を下ろした。

「お前の娘と言ったが、元からそうじゃねえだろう。こいつは丸森城にて仕えていた六条家の娘だ。実父は伊具に相馬が攻め入った際、領地から遁走しやがった六条花康だ。違うか?」

 定綱は、過去に政宗と初穂が互いに面識のあることを知らないでいる。だが、それを当てられたぐらいでは狼狽える事もせず、いやはやお見事などと嘯いた。その開き直りを見せたのが、恩情と期待の諦めに繋がって政宗は項垂れた。

「大体、目えみりゃ分かんだよ」

 なあ?俯き加減の初穂の顔に手が伸ばされ、強引に政宗によって面を上げられる。
初穂は己の目について触れられるのが非常に敏感だ。父や母、田村領へ抜けるあの日の道中を思い出しては胸が詰まる。姫らしく目に涙を溜めるよりも先に、頬に触れる政宗の手を忌々しく感じ、すぐにでも振り払いたい衝動に襲われた。唇を噛み締めて着物の袖を握りじっと耐えていた。添えられた指先は冷たく、覗き込まれる隻眼からは刃が突き刺さるように攻撃的な視線が向けられ、どす黒ささえ感じる。
 世の中には物事を許す人間と許さない人間とがいるが、政宗は後者だと初穂は認め身震いがした。政宗には、どんな理由であれ逃げ果せた六条家が、過去の大内と同じように裏切り者としてその目には映っている。

「まあ、いい」

 政宗が座していた元の位置に座り直すと、輝宗は定綱に沙汰を言い渡した。
帰参したことで大内定綱には輝宗から直々に屋敷が与えられる事になったのである。といっても遠藤基信預かりで定綱監視の目的でもあるのだが、とはいえそれは改めて家臣とする一種の契りだ。定綱はありがたき仕合せと、恭しく頭を垂れた。
 基信、頼むぞ。そう命じた輝宗に、謁見を終えた大内一行は大広間を後にした。

 その後も政宗は畠山義継他数組との面会を済まし、本日の公務をようやっと終えた。
 日がな一日、家督相続を祝い、挨拶に来る連中は近臣はともかくとしても、国境を跨いだ遠方から来る輩の長丁場のおべんちゃらには飽き飽きしていた。
 輝宗は始終訪れた他領の話を真に受け、美辞麗句に逐一頷き、心から感謝の念を現しては嬉々として耳を傾けていた。だが政宗には化けた狐や狸が喋っているようにしか見えなかった。皆々、新当主はどんなもんだと冷やかしに来ているのだ。加えて御機嫌取りも度重なれば雑音にしか聞こえない。
 凝った肩を回しながら煙草を手に取り廊下へ出ると、従兄弟成実が饅頭を携えて現れた。

「あれ、いつもと羽織りが違うけど、どうしたの?新調?」
「Ah、解れてたんで今しがた針子に預けた。こりゃ替えだ」
「へえ、そう。あ、小十郎から伝言がある」
「No Thanks、遠慮しておく」

成実はその返答にお構いなく、普段の小十郎を真似る様に眉間に皺を寄せると、一度咳払いをした後に低い声を出した。

「政宗様、畠山殿と大内殿に対する揶揄は少々やり過ぎです。少しは抑えて頂かなければ」

 政宗の予想とちっとも違わぬ伝言に生返事をすると濡縁に腰かけた。
 幾人か、刃を交えた者を政宗は少々からかってやったのだった。揶揄で済んだだけまだ良い方だ。それが本音だった。
怒りの矛先は届きはしなかったものの、とりわけ先の戦では、散々罵倒と鉛を浴びせてくれたのだから、おいそれと登城して来た奴らにいちいち礼など述べるのは菩薩か輝宗だけで十分である。
気だるそうに煙草を弄ると成実も隣に腰を下ろして、手に持っていた饅頭を一つ政宗に差しだした。
 庭に見える今年の紅葉は例年になく色づきが早い。秋口の冷え込みが厳しかったせいだ。金色の葉の下で、銀杏の実を拾っている女中が夕映えの中にあっては情緒を感じる。その澄んだ笑い声を耳にすれば、そろそろ人肌恋しくなる季節でもある。雪深く白に覆われる頃は戦も無ければやる事も限られて暇でしょうがない。政宗のそんな考えを余所に、成実は茶を持ってくるようにと女中に声を掛けると、景色は味気なくなった。隣の成実は美味そうに饅頭を頬張り始めている。
 飄々として何も考えていない様子に思えるが、成実も六条家の娘には鼻から気付いて居た筈だった。どういうつもりだ。そう言った政宗に成実は何が?と戯けた。

「恍けんな。六条家の娘だ。最初から気付いてたんだろ。さっさと実父の花康を見つけ出して城まで連れて来い」

 そんな無茶言うなよ。人使い荒いな。一口茶を含んで成実はまた饅頭にかぶりついた。
 定綱を監視下に置く為とは言っても、わざわざ屋敷まで用意してやる必要は無いと政宗は断固として反対していた。しかし、輝宗は猶予をやろうではないかと言い、基信の屋敷へ預ける事にしたのである。政宗が一番に危惧しているのは、何も定綱本人を懐に抱える事ではない。伊達の内情が定綱から外に漏れることである。

「六条の娘が大内に養子でいるからには、裏切り者同士、何か小細工してるに違いねえと踏んでるんだがな」
「そう、かなあ…?それにしても初穂ちゃん。顔つきが武家の女になってたよねえ。あれは幾らも血を見て来た顔だよ」
「何が言いたい」
「六条家はとっくの昔に定綱が皆殺しにしてるってことだよ」

 意表を突かれ、危うく煙管を滑り落とすところだった。成実は最後の一口を放り込むと女中に茶の礼を言い、去り際ににっこりと笑みを浮かべて揺揺と手を振った。
 初穂がどうやって生き延びたのかは政宗には興味が無かったが、一つだけ思い当たる節がある。吐いた紫煙の中に思い出すと深淵の紺青色をした目は、今でも炎のように焼き付いていた。

「成実、六条家の目の噂は本当だと思うか」
「どうだろうね。そういうのは俺に聞くより本人に直接聞いた方が確実なんじゃないかな」

 政宗は成実に定綱を厳しく監視するよう再度念を押した。
夜の帳が覆う前に兵士は数ある石灯籠に火をつけている。闇を和らげ、足下を灯す筈の灯りは、心許なく揺らめいていた。