二、疾風春雷
まあ、一献。
白い徳利を傾ければ、部屋の明かりが斑に煌きを移して酒と共に猪口へと注がれた。それを掴む幾らも傷のある太い指、瘤がついたような強張る無骨な関節は、得物を握り戦場を立ち振る舞う者それに相応しい。が、勺をするには見事に情趣がない。
暗がりの、灯一つの部屋には影が三つ。膳を取り、酒を酌み交わしている者同士、低く囁くような会話は、先ほどまで深々と降っていた雪が夜に吸われるように、冷えた板張りに這うかの如く闇に染み出している。外ではとさりと落雪があり、割れた雪間に地面が覗いた。
「酒蔵の首代に新酒を持ってこさせまして」
誇らしげに呟いた小浜城城主大内定綱は、畠山義継、相馬義胤から色好い返事を聞き、熟れた烏瓜のような頬をほころばせた。
三者、口にした酒に喉を唸らせている。この面々が、一室に居合わせるのには理由があった。
伊達の嫡男がいよいよ兜をかむるぞ。その噂に、街道七家を始め、他家も今後の采配に皆予断を迫られている。これからの奥州の手綱、その結び目が、今まさにひとつ解かれようとしているのだ。緩めば勢いづくやもしれぬ。それを恐れているのだ。
冬季にあっては、白い擁壁によって守られる己が城も、春には紅梅に鶯がとまるか、その色に染まり花を散らすか、隔たれた運命を前に手練手管の限りを尽くしている最中である。雪消によってのぞく麗らかな陽光は慈しむ者が多いが、北国の武家にとっては残酷にも戦の焔を灯す合図であって、賞でる春など無いに等しい。故に、同じ方角を睨む者同士なれば、緻密な駆け引きも必要となってくる。虎視眈々とにじり寄り、隙さえあれば首を掠め取る策を練る。いわば腹の探り合いだ。
面々が、厄介と語るのはもちろん伊達輝宗であった。
輝宗の祖父稙宗が死去した後、相馬義胤が伊具郡領地と丸森城をその手中に収めたが、伊達は我が領土故、退かれるようと言い、使者を幾度も寄越した。しかし干渉がわずらわしくなった義胤は、伊達家から嫁いでいた我妻、越可御前と離縁し、実家へと付き返して丸森城城主に大河内外記を置いたのである。
これに青筋を浮かべた伊達側は、伊具を奪還せんと幾度も相馬へ兵を向け、互いに一歩も引かぬ一進一退の攻防を繰り広げていた。輝宗が伊具の土を踏む度、ふんぞり返る余裕があった義胤だったが、そこに聞こえたのが輝宗嫡男、藤次郎政宗の初陣である。
一方その頃、伊達家嫡男初陣を知った小浜城主大内定綱、二本松城主畠山義継もその報せにはいよいよ以って腹を据えねばならなかった。双方、過去伊達に臣属していたが、今は芦名へ臣従しており、寝返りを大義名分として次の戦で矛先が向けられるのは必至だったからだ。
三家とも各々思案していたところ、大内定綱が両家に使者を遣わせ湖面に一石を投じ、今回の会合と相成ったのである。同じ仇があるという事実は、三家が纏まるのに十分な理由であった。
かねてから輝宗の子煩悩ぶりは、耳を塞いでいても山を越えて届いている。まさに嫡男藤次郎政宗は目に入れても痛くはない秘蔵っ子なのだろう。又、こと初陣の陣振れというのは、熱を帯びた兵らの士気が尾を引くようにうねりを伴って次戦へと流れ込む。主、若大将に錦を飾らんとする部下の覇気は、劫火を吹き飛ばすほど並々ならぬ闘志を生み出し、例えそれが少数の軍勢でも油断はならない。義胤はなんとかして輝宗を退けたい。定綱、義継に至っては芦名の前線として楯を握り、己が城を死守せねばならない。これまで三者三様、通例通りの戦のやり方で良かった筈だったが、今回ばかりは領地を踏まれる前に運びを付けたかった。
口に含んだ焼魚の腸に、相馬義胤は眉を歪ませ酒で押しこんだ。
「早々から土手っ腹には撃つまいて」
「うむ、であるなら…」
「手始めは大森、小手森、金津、辺りに兵を向けるだろうな。輝宗のことだ、眼中にあるのは伊具奪還。その後、お父上の盛胤殿であろうよ」
「まったく、大人しく内地に引っ込んでおればよいものを。よいわ、領地獲得に狂奔したあやつの面を、真っ赤にして返してやる」
「ふふ、そうやって嫁御は突き返したのだろう」
「もちろんだ。侍女と共にな。食い扶持が増えたぞ」
「よう言うわい」
乾いた笑いを浮かべ、畠山義継は更に杯を重ねて煙管を取った。燻らせた煙は細い影を作ってふわりと天井に当たって消える。再度吸った煙に脳の内を思い起こさせた。
「聞けば、定綱殿。六条の娘を預かっているそうな」
それは初耳だと、義胤は弾く様に顔を上げ、赤ら顔を定綱に向けた。六条家に生き残りがいるのか。その問いに定綱は、領内に侵入した伊達の臣属だった故、問答無用で皆斬った。娘だけは連れ帰ってきたのだと口角を釣り上げ、悪怯れる様子も無く言った。
元々、大内先代はどこぞの修験者であって、定綱も多少なりともその教えを継いでいるにも関わらず、気にそぐわぬ者は易々と摘んでいく。そう言う思慮のない殺生には全く抵抗が無い人物だった。義胤は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あの娘、早う捨て置くべきぞ。其方も承知であろうが、あれは気味が悪い目をしておる。噂を知らんでか」
しかし、定綱は義胤の忠告など聞かず、腹の内では密かに思案していたのだった。
―― 養子に迎えることにした、と。
先刻部屋に訪ねてきた定綱が告げた言葉に、初穂は頭を抱えていた。まさか、己が手を掛けたその娘を懐に抱えるとは、只の惻隠ではないにしろ驚いた。
曇天から零れるものも柔らかな綿雪ではなく、おりから重い冷雨となり、所領の道々は開かれ、城内は人の出入りが活発になった。
日に日に物々しい雰囲気に包まれ、昼夜問わず胴丸をつけたままの兵士が多数行き来し戦の準備に追われている。しかし凍てつく寒さは変わりなく、朝晩はぐんと冷え込む。文を認めている手は悴み、また中々進まぬ筆にやきもきとしていた。
初穂は、田村清顕への返書に、小浜城脱走の幇助を断る旨を言葉を絞り出して綴っているところだった。
弱者が強者の餌食と成るのは世の常で、肉親を皆殺され、また捕らえられた身なれば、定綱の決定には抗えず峻拒することもできない。心優しい田村清顕がこの事を知れば、定綱の出陣後すぐさま小浜城へ助けを寄越し、縁組みを阻もうとするだろう。
しかし現在大内と田村は互いに刃は交えぬと和陸を結んでいた。
密兵を出し、初穂の脱走を手引きした事が明るみに出てしまえば、最悪の場合定綱が芦名へ話を持ちかけ、領地を広げたい芦名は「我が家臣大内の娘を田村が拐かした」などと幾らでも理由をつけて三春城へ攻め入ることもあり得るのだ。初穂はそれを恐れた。
縦横に知略を巡らすのはこの大内定綱の得意とするところであるが、それはあまりにも狡猾で、例えるならば下生えに身を潜め、右に左にと身体をくねらせる蛇である。その行く先はふらふらと誰も予想が着かぬぶれ良うで、美味そうな獲物があればいつでも狙い、その毒牙は磨き取っておいて、いざという時には忠心ではなく身を守る為に使う。
初穂を養子に取ることは一見何の特にも成らないようにも見受けられるが、きっと何か魂胆があるに違いないと、初穂の返書にそう清顕は返して来た。また、初穂が、田村家や三春を気遣ったことが大層心に触れた様子で、大内から出してやれないのは私の力不足だ本当にすまないと、いつもの何倍もの愛しみを紙に走らせていた。そして、生きなさい、と。
現田村も、子は愛姫が一人であり、婿を取らねば家は続かない。
清顕は、六条は初穂しか残ってはいないが、生きていれば必ずや良い事があるから、離れていてもいつでも私と愛姫は、田村はそなたを想っている。と最後を締めくくって、初穂と清顕のやり取りは終わった。
とかく初穂の目に映る武家とはこのようなものだった。
中央や将軍家と縁がある由緒ある家、兵力・財のある大家、それが世の中心となって小さき家々はそれに従う他ない。仮に謀反を働いた逆臣などあれば、一捻りで家ごと取り潰される。
大内の家にいれば嫌でもそれは目に付いた。何処の誰某が主人の御旗に泥を塗ったとあっては、領地替えに剥奪、斬首の申し付けなど挙げればきりがない。そうすることで、他家を服従したり降伏させたり、またそこから憎悪も湧いてくる。
武家に生まれたからには、死ぬまで混沌とした中に身を置かねば成らぬのかと、初穂は眉を寄せていた。
大内定綱の出陣前に初穂は養子入りを済ませ、名実共に大内の人間と成ったが、姿形ばかりの娘は相変わらず詮無い日々を送っていた。侍女とは会話を少しする程度で、恭しく姫の扱いはあっても城内で目を合わせる者は誰一人としていなかった。だが、ひとつ以前と変わったことと言えば、世情を問えることである。
雪が解け、定綱はやはり畠山義継、相馬義胤と共に行軍し、伊達軍を相手取っていた。
まず、嫡男伊達政宗率いる一隊が大森城を落とし、その後輝宗本隊と共に金津城を目ざしたと報告を受け、相馬、畠山、大内軍は雨雪の名残を伴った阿武隈川付近で待ち構え、応戦し、戦闘は熾烈を極めた。
両軍一歩も譲らず、河流を挟んでの睨み合いが続いていたが、痺れを切らした伊達成実が徒兵に突っ込んでいったのをきっかけに、川岸からは霙雨の如く鉄砲が放たれた。怒号と共に冷ややかだった雪解け水は血しぶきに変わって熱を帯び、砂礫に混じって肉片が宙に飛び交う。その様は残酷で惨い塊と、狂気に満ちた濁流となって下流へと押し流された。
双方大凡二万ずつの兵は幾隊にも編成され、頭数が減れば侍大将が号令を出し次の隊を繰り出す。それが延々と続いた末、寒々しい日没間近の暗い影が落ち始めた中に勝負はついた。
阿武隈川を突破し、金津城は伊達軍の手に落ちたのである。その後も伊達軍は破竹の勢いで丸森城、金山城と、短い間に属城と化していった。
この報せには、三家だけでなく、最上、会津芦名、佐竹、二階堂の家々にも轟いていた。その采配たるやもはや初陣とは呼べず、御大将の如しと、当主輝宗と政宗の判別はつかぬ程であったと聞こえ、戦力をごっそりと削がれた三家はその年の戦を終えたのだった。
初秋、戦から帰城した定綱に初穂は呼び出しを受けた。
広間に座す定綱は、負け戦であったにも関わらず一切の屈辱感は見られず、揚揚と煙管を吹かしていた。ひれ伏す初穂に、そう畏まるな、親子なのだからと背筋に悪寒が走りそうなことを口にして、初穂へ押し付けるように紫煙を吐いた。
「大人しゅうしておったようだの」
「お父上のご帰還を心待ちにして居りますれば」
「ふん、よく口も滑ることよ。田村清顕からの書状、わしが気付かぬとでも思うてか」
血の気が引いて見上げた側には、既に抜き身の刀が首筋に当たっていた。
「よいか、此度の戦で、大内は負けた。伊達に臣従することにしたわ」
「お言葉ですが、父上、会津芦名、佐竹殿はいかがなさるおつもりですか」
「なに、それも計算のうちじゃ。ともあれ、初穂。其方、わしと共に米沢へ参れ。明日発つ」
人質を引っさげて行かねば、あの単眼小僧も気は晴れまいて。
刀を鞘に納めた定綱は床を踏み鳴らして部屋を出ていった。畏まりましてと呟き、平伏した初穂は足音が遠くなるまで、それが聞こえなくなるまで暫くその場から立ち上がる事が出来なかった。
足が震えていたのである。
結局はそういうことだったのだ。定綱の魂胆とは、青い眼の珍しい人質として初穂を使う、それ以外に使い道がなかった。ただそれだけのことである。
外を眺めた。盛夏の頃には、葉と葉が折り重なるように、緑が眩しくひしめき合っていたが、それもすっかり枯れ色に染まり、地べたに這うように落ちきった様相は同じ木から落ちたものとは思えない。吸い込んだ空気に体の芯は冷たくなった。濡縁に座る侍女は表情を一切変えずに目を伏せている。
養子に入ったとは言え、心まで大内の人間になれる訳も無かった。定綱の言ったように、大人しくしていればよいのだ。人形のように身なりを整え、顔をすまし、主人の言う事に従って日々を過ごせばよい。
これをあと何度己で唱えればよいのかと考えて、初穂は思わず自嘲した。
◇
紙の重量とは知れたもので、重さが加わるとすれば墨や結った紐くらいのものだが、それでも高々知れている。差し出した位置からいくらか下がって受け取った厚い紙束は、政宗の想像とはまるでかけ離れていた。
初陣を終え帰城した政宗に待っていたのは、父輝宗からの家督相続の話だった。その報せが、駿馬が滑走するかの如く米沢城内に響き渡ると、腕に自信のある将らは我先に政宗に着き従いたいと申し出が殺到した。只今、政宗が受け取ったのはそれら家臣の名前が列挙された帳面である。
彼の右腕ならぬ右目、片倉小十郎は確かにお渡し致しました。その中から選びなされよ。お取り立て下され。と言うが、この厚さでは、相当数の名前が記されているだろう。目を通すだけでも日がな一日は掛かる。ぺらぺらと捲って煙管を口に寄せると、殿ー、帳面見たー?と家臣であり、従兄弟である伊達藤五郎成実が相変わらず暢気な声音で、これまた同じく更なる帳面を手に携えやって来た。正座する小十郎の傍らに胡座を掻くと、懐からそろばんを取り出した。
「基信殿に借りて来たんだよ。人数多いから割り振り数えるの大変かなって思ってさあ」
「んじゃ、お前が適当にやってくれ」
「梵が後から文句言わないってんなら、俺がお取り立てしてもいいけど?」
「てんめえ。今のわざとだろ梵はやめろ」
「駄々こねるなよ、殿。みっともない」
「うっせ」
雑談をしながら帳面を半分まで捲った時、思わず政宗は手を止めた。
紙を漉けばささやかに木屑が混じる事があるが、ちょうどそれと重なる様にして記された名前を目に入れて、ため息が洩れた。これは何かの間違いでは無かろうか。寧ろ謀反常習犯用の帳面でも作らせてそちらに名前を書かせたい人物である。阿武隈川では散々単眼などと政宗に罵声を浴びせたことを思い出せば今でも腹立たしさが蘇った。
「おい、小十郎」
「はっ」
「なんで大内定綱の名前がある」
「先日、取次ぎの者が大殿の元へやって参りまして、これまでの非礼を詫び、忠義を尽くしたいと」
「Ah?大内に至っちゃ、人質の一人や二人や三人でも足らねえぞ」
ったく。と政宗は頭を掻きむしった。
戦が終わってすぐ、輝宗の元へ、主人定綱より遣わされ申したと一人の家臣が訪ねて来たのだ。
具足も胴丸も付けず、また刀も持たない丸腰の武将に人の良い輝宗は、話だけでも聞こうと屋敷に招いたそうだが、その時改めた書状の内容は、主に降伏と忠誠を誓う文言がつらつらと書かれてあったのだ。
輝宗は随分と思案していた。武家というのは常に、調略や裏切りとは切っても切れぬ関係で、互いに憎しみ合えば、より憎悪の連鎖を生むというのを繰り返している。そのような悲しみを息子の政宗にはさせたくはない。そう考えて、輝宗は隠居をしても、今だ芦名か、伊達かと迷っている家々を説得しようと決心した故に、早々に家督を譲る気になったのである。
政宗は無意識に舌打ちをしていた。大内め、余計な事をしてくれたと。菩薩のような輝宗の性格では優し過ぎて、懐柔されかねないのだ。隠居と言っても皆からは大殿と呼ばれ、慕われ、やはりそれなりの発言権はある。大内定綱も、帳面に加えておいてくれ、暫く様子をみてもよかろう。と言われれば政宗も受け入れないわけにはいかない。
大内定綱は、しょっちゅう臣属先を変えては、己が保身にひた走っているときく。政宗は先々が思いやられた。だが、定綱の居城である小浜城は、会津芦名、佐竹に通づる土地に続いており、政宗にはふとひとつの魂胆が浮かんでいた。帳面を見た時の渋い表情が、みるみるうちに軍略、謀略を緻密に頭で巡らしている顔つきに変わっている。
長年使える腹心たちが、それを見逃す筈などなかった。
心中を思わずぽろっとこぼした政宗に、小十郎はまた小言を言い出し、成実はそれはそれは待ち遠しいと目をぎらぎらさせていた。