桃源郷10

 じきに油が切れそうだった。浸された短い芯は時折り足掻くように爆ぜ、弱い光が部屋の隅にゆらりと陰を映している。
 その下、横になる半兵衛の体調はすこぶる良くなかった。肩で息をし、顔は青ざめ、苦しそうに咳をする。覗きこんだナナリーに、色々と物申したい様子だったが、言葉を選ぶことも苦痛のようだった。
 左近曰く、半兵衛は元来虚弱体質だそうで、肺を患っているらしい。ナナリーは断り、寝間着を開けさせ触診した。ずっと微熱続きだと言う左近の言葉に眉を狭めた。
 すぐさま左近に、薬屋と道具屋に駆けてもらった。この間、ナナリーは桶の湯を替えたり咳き込む半兵衛を支えたりと甲斐甲斐しく世話を焼くも、半兵衛は、ナナリーを腕で押しのけ、側にあった小さな紙袋をくしゃりと掴み手繰り寄せた。中には、普段から服用している薬が入っているらしい。だが、開いた包みを覗いてみれば、どうもただの咳止めだった。多少咳がおさまった所で、蝕まれる肺が良くなる筈もない。恐らく、半兵衛は医者にすら己の体調をごまかし、やり過ごしてきたのだろう。往診に否を答え続ければ、仕方なく患者を信じるしかない場合もある。
 だが、ナナリーは、一時の安心が得られるのならと、半兵衛の口元まで湯のみを持っていき薬を飲ませた。再び枕に頭を預けた半兵衛は、ひとつ大きな息をついた。

「…っ、左近くんは一体何をどこまで君に喋ったんだい」
「今は無理をしてしゃべらないで下さい。お辛いでしょう」
「僕の質問に応えてよ」
「わたしは連れて来られただけです…」

 半兵衛は手の甲で目頭を覆った。漏らした言葉に拒絶はなく、己の行く末を悟っているような口調で言った。

「この場所は誰にも教えるなと、キツく言っていたんだけどね…」

 外の木戸がぎいと音を立てていた。どうやら左近が帰ってきたらしい。後ろ手に襖を閉めた左近は風呂敷をナナリーの前に広げた。半兵衛の視線に気づくと、決意と寂しさが入り混じった様子で「すみません!」と座敷に手をついた。

「左近くん…」
「半兵衛様。俺、やっぱり路地での約束守れませんでした。こんな半兵衛様見てるのもう、辛くて…」

 いつからご存知ですかとナナリーが問えば、左近が詳しく話し始めた。左近が半兵衛の病を知ったのはつい最近のこと、丁度、ナナリーたちが堺港に入港した日であったらしい。
 外国船が到着したとあって、左近は三成より先に奉行所を出た。ところが興奮気味に港へ向かったまでは良かったが、前の晩、賭場で絡まれたゴロツキ連中を見かけ、相手をしてやろうとあとをつけた。しかし裏路地に入った時、薄暗い中に見知った人影が目に入った。半兵衛だった。酷く咳き込み、蹲っていたのである。地面には小さな水溜りのように血が滲んでいるのを見て、慌てて三成を呼びに行こうとしたが、引き止められた。そして肺を患っているのだと知らされ、一切の他言無用を仰せつかったのだ。
 今豊臣は、日の本を統べる一歩手前だ。秀吉の集めた強大な軍事力と、半兵衛の華麗な采配、その二つが揃い築き上げたこれまでの勢いを失速させる訳にはいかない。故に体を蝕んでも尚、采配を振るおうとするその一心から半兵衛は左近に黙っておくよう命じたのである。
 そんな半兵衛の強い意志に心を打たれた左近は、出来得る限りの手助けを決意し、他言はしないと約束をした。そのはずだった。しかし、城下から離れた庵で闘病する半兵衛は日に日に病状が悪化し始めたのである。処方されている薬は気休め程度の咳止め。当然効くはずもなく、朦朧とする頻度が増し、食欲もなくなっていく。半兵衛と約束を交わしたとはいえ、情に厚い左近は居てもたってもいられなかった。これ以上黙っていることが我慢ならなかったのだ。
 そこで、大谷吉継を看たナナリーなら何とか手を貸してくれるかもしれないと、藁をも掴む思いでこの庵まで強引に連れて来たのである。
 経緯をひと通り話す左近に、ナナリーは大阪に到着した日のことを思い返していた。時折苦しそうな素振りをしていた半兵衛や、吉継を看た後、庭先での左近との意味深な会話に合点がいった。

── あんた、医者って言ったけどさ、治せない病ってあるの

 あの時、左近が思い浮かべていたのは半兵衛だったのだ。病を知り得ながらも、手立てを講じることが出来ない。そんな歯痒さと藻掻きにナナリーは心臓が締め付けられる思いがした。
 左近は、顔を上げると半兵衛の枕元までにじり寄った。

「半兵衛様、俺、いくらでも今日の罰は受けます。でも、お願いだ。今はからだを休めてください」
「だからといって、長宗我部に命を助けられた娘を選ぶなんて、ね」
「半兵衛様の医者にこの状況を言えば、秀吉様の耳にも届いちまうと思って。でも見るに耐えなかったんです」
「全く、不器用にも程があるよ。少なからず賽を読むのが好きなら、行動ももう少し考えて、もらわなくちゃ…っ…」

 半兵衛は益々苦しそうに咳をした。ナナリーは、用意してもらった薬草や道具で、すぐさま半兵衛に合う薬を作りにかかった。左近には、病人の体が温まるような食事をと、竈に立って貰うことにした。
 乳鉢に必要な分量の薬草を入れ、ナナリーは医者としての責務を果たすためだけに茎や葉を無心に磨り潰した。全ての材料を使い切り、ひとつ、ふたつと薬包が出来あがる。手際よく調合を済まし、道具を片付けていると背に視線を感じた。陶磁器の重なり合う音へ顔を向け、ナナリーの心中を見透かすかのように半兵衛は薄く笑っている。僅かに覗いた瞳が医者のナナリーを捉えた時、淀んだ心底を覗かれたようで今にも部屋から逃げ出したかった。

「僕に毒でも盛ってみるかい」

 ナナリーはなにも聞こえ無かったかのように片付けを続けた。鉢を掴む手は僅かに震えていた。

「竹中様、暫く喧騒を離れ、清い場所での療養が必要なことくらい、ご自分でも分かっていらっしゃるはずです」
「それは、何か他に理由があって、僕にそう言うの?」
「違います!医者として、心より申し上げております!」
「そう。でも、自分の体は一番に分かっているつもりだよ。残された時間も少ないってこともね。僕は ── だろう?」

 半兵衛が己の病名を口にした時、軽快に響いていた包丁の音が一瞬止まり、またすぐに鳴り始めた。厨房へ僅かに視線を流し、息を吐いた半兵衛は目を伏せた。聡明な半兵衛のことだ。体の具合から医学書を片っ端から読み、ただの肺煩いでは無いことを早いうちから知り得ていたのだろう。故に、手の届く範囲以上の執務を短期間でこなしているのだ。
 淡々とした包丁の音は、先程よりも少し歪で間が詰まっている。厨房へ続く戸の隙間から左近のやるせない背が見えた。
 ナナリーは飲んで下さい。と半兵衛に出来たばかりの薬を一包、差し出した。半兵衛は体を起こすと、迷うことなく包みを開け、一気に口に含んだ。湯のみを盆に戻したその手はそのまま枕元に伸ばされ、横たわっていた自身の刀を取った。柄と鞘を三寸ほど引き、鈍色の直刃を眺めている。くっきりと浮かび上がる刃紋が行灯の灯りを掬い上げるも、返す光は弱々しい。唇を噛み、眉間に皺を寄せた半兵衛は更に柄を引いて刀身を露わにすると、切っ先を天井へ向けた。

「僕は武人だ。命を投げやる覚悟はいつも持ち合わせている。ただ、それは軍師として秀吉の側で、戦場でという話だ。床に臥せったまま命を落とすことだけは御免だよ。だから僕は誰が何と言おうと戦場に立つ。豊臣の軍師として采配を振るい、豊臣の治める世をこの目で見届けたいんだ」

 そう言い終えた瞬間、目の前で起きたことが瞬時に理解できなかった。ナナリーの真正面に半兵衛の顔があり、鋭い眼差しで睨んでいた。顎を持ち上げられ、さらされたナナリーの首筋には刃先が冷たく当たっていた。身の毛がよだった。半兵衛は更に顔を近づけると、耳元で囁いた。

「僕が何故、君たち親子を城から遠い屋敷へ移すよう勧めたか…。その意味はもう、分かっているはずだろう」

 ナナリーたち、ライトの商人は豊臣軍を支援する武器商人だが、不慮の事故によって四国長宗我部に助けられ、暫く世話になった身だ。つまり長宗我部は恩人である。
 故に半兵衛は、四国への行軍が商人らに知れ、万が一にも支障が出ることを危惧し、親子を城から遠ざけたのだ。
 ナナリーは慄き声が出ない。左近に助けを求めることも出来ず、緊張を保ったまま暫くまんじりともしなかったが、ふいにぐらりと半兵衛の体がナナリーへ倒れこんだ。半兵衛の手からは刀が手放され、座敷に転がる。支えた体は酷く熱く、呼吸は激しく乱れていた。

「竹中様…!」

 半兵衛は、何かを請う様にナナリーの肩を強く掴み、苦しそうに息を荒らげるばかりだ。急な興奮に、病んだ体がついていかなかったのだろう。物音に異変を感じた左近と共に半兵衛を抱きかかえると、布団へ寝かせた。

「…僕は、抗うよ。己のさだめにね」

 薬が効き始めたのか、半兵衛は急に落ち着きを取り戻し目を閉じた。呼吸も安定し始め、ひとまず眠りについたようである。枕元にいた左近は「粥、作ったんだけどな」そう言って立ち上がると、部屋の片隅に置かれた小さな机に椀を二つ置いた。

「人数分作ったから、飯まだならナナリーさんも食ってくれよ」

 行灯の明かりが届くか届かないかの薄暗い場所に、暖かな白い湯気がゆらゆらと立ち上っている。左近の向かいに座り、ナナリーも手を合わせた。
 どちらからも会話が始まらなかった。触れが出され、高札が出たことで左近もナナリーに気を使っていた。
 無言で箸を進めていると、業を煮やした左近が先に口を開いた。ナナリーの所作をまじまじと眺め、じいっときっかけを探していた。

「前から思ってたが、ナナリーさんはすっかり、たしなみが日ノ本の女のそれだな」
「女中さんの見よう見真似で…、四国に居た時にも教えて貰ったりもしたので」
「そ、そうか…そうだな」

 ナナリーはなかなか粥が喉を通らなかった。いまだに刀の冷たい感覚が首の周りにまとわりつき、鼓動は早鐘のごとく胸を突き続け動悸が収まらなかった。それとともに、半兵衛の一言が脳裏に蘇っていた。
 ナナリーにも、抗った過去など幾らでもあった。英国で嘆願書を書いた時、海に放り出された父親を助けた時、それは間違いなく医師として、娘として、当然のことをしたまでだった。何も間違ったことではない。これまでもこれからも医者として人を助け、商人として父の手助けをし、勘定をするのだ。それがナナリー・ライトが進むべき道なのだと己を納得させていた。そう、それがナナリーのとっての泰平であり、航海に出てちょっぴり芽生えた自身への自問自答に、いつだったか元親も大したもんだと言ってくれ、凪いだ波にまた身を漂わせたのだ。
 ナナリーは柔らかい米粒を上手く掬えず、箸が止まっていた。俯くナナリーを左近が呼んでいる。慌てて「美味しいですよ」と、とんちんかんな返答をすると、行儀が悪いと思いながらも箸で掬うことを止め、椀からそのまま粥をすすった。
 左近が急に頭を下げた。

「すまねえ。ナナリーさん。急に連れて来ちまって」

 ナナリーは首をふり、茶を一口飲んだ。湯のみの縁を落ち着きなく親指でなぞった。濁りはいつまでも澱んでいる。

「島様は、早くから知っていたのですか…その、四国への行軍を」
「俺が知ったのは、ナナリーさんたちが屋敷に移ってからだった。なんでか三成様は俺がナナリーさんを賭場に連れ出したことを知っててよ。接触すんなって言われてたんだ」

 まあ、こうやって隠れて会ったことが知れたら、こっぴどく叱れられるけどな。そう言って左近は乾いた笑いで誤魔化し、手を後ろに付いて満腹になった腹を擦った。寝息を立てる半兵衛を心配そうに見つめていた。

「ナナリーさんは、刑部さんや、半兵衛様のからだを診てくれた。それは本当にありがてえと思ってる…。あんたは本当に優しいお人だ。あんたの為なら何だって手をかしてやりてえ。あんたらが四国で大層世話になってたのも、その経緯もおおよそは知ってる。でもだからといって俺には、秀吉様の命に背くことだけは、絶対にできねえ。本当に」
「謝らないで下さい。島様のお心遣いは嬉しく思います。それに絶対に曲げられぬものも、私も少しは分かる…つもりですから」

 ナナリーは半兵衛の為に作った薬を左近へ差し出した。一日一包、服用すること。それ以外にも呼吸が苦しくなった場合、頓服も飲ませるようにともう一種類用意してやった。三つ、四つと数えて左近は大事に手ぬぐいに包み、懐に収めた。

「島様、ご馳走様でした。そろそろ私は屋敷に戻ります」
「送るよ、ナナリーさん」
「いいえ、一人で帰れます。竹中様を見ててあげて下さい」
「恩にきるよ」

 提灯を借り、ナナリーは庵を出た。橙色の明かりは足元を照らし夜闇に儚く揺れている。宵の口から時間が経っても城下にはまだまだ明かりが必要なようだ。煌々とする中心を目指し、帰路をたどった。
 今回、日ノ本の航海へ出てからというもの、ナナリーは長いこと魚の小骨のようにつかえる気持ちが片隅にあった。それは大阪に着て、商品の流れを目の当たりにし、ようやく理解できた。実感が沸いた。家の商売を知らないわけではなかった。知っているつもりだった。己の浅はかさには乾いた笑いしか出てこない。
 大切な人の命を、ナナリーが仕事をすることで奪ってしまうかもしれない。それが今の現実だ。
 父の仕事を手伝う傍ら医者を目指したのも、心の何処かに後ろめたさがあったのだろう。医者になり、戦場の兵士とは別の誰かを救うことで、償っているつもりで居たのだ。
 父に話してみようと考えが過った。だが根っからの商売人気質の父が、四国行軍を知ったとしてその先どう出るかは容易に想像出来た。もちろんナナリーの父親も人の子だ。一宿一飯の恩義はある。命を救ってもらった恩も元親に対してはあるだろう。だが、客に対してあれこれ文句をつけるのは、商売以上のお節介だ。はっきり言って四国行軍の中止を頼むなど内政干渉に値する。下手をすれば父親も首が飛ぶ。
 考えれば考える程胸が詰まった。とぼとぼと畦を進む度に、足元の青い真っ直ぐな草が素足に絡みついた。避けて踏み込めばぬかるんだ箇所に足を取られ袂が汚れた。
 そうしてあれこれ考えながら、いつの間にか屋敷に着いていた。正面より屋敷に入ろうとすると、暗い門扉の前にしゃがみこんでいる人があった。前田慶次だった。夢吉がその肩で怒った素振りをしている。きいと鳴いた声は叱りつける様だった。

「ナナリー!心配してたんだ。一体今までどこ行ってたんだよ」
「ごめんなさい。私の為に走って下さったのに、屋敷を留守にして申し訳ありません。あの、前田様こそお怪我はありませんか」
「俺は全然大丈夫だ。というか、追っかけてた奴は…まあ、俺の知り合いっつーか。とにかくナナリー目当てじゃなくて、俺目当てだったらしくて。とにかくそっちはもう何も心配いらねえ。にしても、なんだ。ナナリー随分元気ねえみてえだが。一体何があった」

 慶次は、ナナリーの頭から爪先まで視線を往復させ怪訝そうな顔をしていた。草履と泥で汚れた裾が気になる様子だったが、敢えて何も聞かなかった。

「ええと、病気の方をひとり、大急ぎで診察したのできっとそのせいで少し疲れて見えるだけですよ。そういえば、前田様。今晩の宿はお決まりですか」

 ナナリーは、慶次に部屋を一室用意した。今は、夢吉と二人で風呂に入っている。その間、酒に燗をつけ待っていた。
 暫くしてほかほかと頭から湯気を上げ戻ってきた慶次を、ナナリーは縁側へ招き酌をした。既に銚子は二つ目だ。酒が回ったのか、慶次は歯の浮くような言葉を面白可笑しくナナリーに浴びせた。ナナリーは思わずぷっと吹き出しそうになり、口元に袖を当てた。

「ナナリー、やっと笑ったな。随分とまあ堅くて酷え顔してたぞ。やっぱり女の子は笑ってなくちゃ」
「前田様…」
「夕方も聞いたが、何か、あったんだろ。話してみろよ」

 ほら、と慶次はナナリーにも猪口を差し出し、なみなみと酒を注いだ。一口含むと、熱の取れたほど良い温さにナナリーはぐいと猪口を半分にした。いい飲みっぷりだと慶次は口角を上げ、干した烏賊を口に突っ込んだ。ナナリーは、これまでの経緯を少しずつ話し始めた。
 日ノ本に商売へやって来たが、航海中に難破し四国へ流れ着いたこと。四国のとある城主に、親子ともども命を救われ、大変世話になったこと。そして無事大阪まで到着し、商売が出来たこと。ところが、取引先である豊臣秀吉は、売った商品(鉄砲)を用い、四国への進軍を計画していること。ナナリーは恩に背くことはしたくない、だが、父や家や店も同じくらいに大切だということ。
 出口の見えぬ悩みを話し終えると、烏賊を平らげた慶次は猪口を床に置いた。

「成る程、秀吉に武器売ってたのは、ナナリーの店だったのか…。それにしても辛えよなぁ。救って貰った人間を商売先が攻めるとはよ」
「何かの間違いであって欲しいと思わない時はありません。でも、手立ても思い浮かばないのです。一介の商人の娘が、豊臣秀吉様に進軍の即時中止を頼んでも…」
「ま、関わった連中は皆斬り捨てられて終わりだな」

 慶次はばっさりとナナリーに言った。そう、これはナナリーだけの問題では無いのだ。家、店、関わる全ての人間を巻き込んでしまう。だからこそ悩んでしまうのだ。

「ナナリー自身はどうしたいんだ」
「私は…、何とかして、元親やお城の皆さんに鉛が届かぬようにしたい。同じく父にも、店にも、白鉄が届かぬようにしたいのです…」
「やっぱりか…。ったく罪作りな奴だねえ、元親もさ」

 親しみを込め、呼ぶ名前にナナリーは条件反射ではっと顔を上げた。にやにやと笑う慶次は、四国の友人ってのは元親だよと呟いた。

「俺さ、旅人なんてナナリーには言ってたが、実は俺も元親みたいに一国の主ってわけじゃねえが、まあまあ名のある武家の生まれなんだ」

 慶次の叔父は前田利家といい、能登国を治める大名だ。本来なら慶次も甥であるからには縁者として利家を支えるべく、重臣の位置に収まるのが一般的であるが、慶次はそうしなかった。
 信長に仕えていた利家は、信長が本能寺の変により没すると秀吉に臣従した。慶次はこれに賛成ではなかったのだとこぼした。

「実は俺、秀吉と馴染みでさ。昔はすげえ優しい奴だったんだ。今みたいに、力が全てとか、強大な軍だとか。そう言う露骨に荒々しい気性じゃなかった。固執しちまう切掛が…まあ、あったんだけど…。とにかくそれから、気骨稜々に映っていたあいつの野心は、少しずつ色が変わっちまった」

 そうして圧倒的兵力に物を言わせ、次々に名だたる大名を配下に据え、天下統一を目指す秀吉に脅威を感じ、慶次は叔父の利家に豊臣の臣下にはなるなと反対したのだという。力で押さえつけることが全てだとしたら、秀吉に賛同すればいつかその報いが来ると唱えたのだと言った。だが、対する利家の言い分も慶次には十分理解できたのだという。

「利は、自分が頭を垂れて民を守れるならそれが一番だって言った。正直俺は何も言えなかったよ。秀吉に臣従せず、一人の信念のために不利な立場で真っ向から勝負して多くの血を流すことを避けたんだ。だから俺は家を出た。俺一人の正義で利やまつねえちゃんを危ない目に合わすわけにも行かないからさ。前田の名前を捨てたわけじゃないけど、利との関わり無い所で、国の皆を巻き込まないように、俺のやり方でできる方法を探そうと思ったんだ。誰かを守ったり助けたりするのに正しい解答なんざひとつとして無いから」

 利家は、その後秀吉の命で幾度となく軍の指揮を任されることとなったが、なるべく和睦へ持ち込むよう働いているらしい。その点で言えば、慶次も似たようなものだ。行く先々で薬莢の臭いを片っ端から嗅ぎつけては、火種を摘むに勤しんでいる。
 夕刻、慶次が四国の友人に会いに行くと言っていたのも、何処で豊臣軍の四国侵攻を知り、間を取り持つ予定だったに違いない。
 家を出奔してまでも信念を全うする慶次、半兵衛との約束を破ってまでも上役を救いたいと試行錯誤する左近、自らの命を削りながら己が信じる秀吉の天下を疑わずに抗う半兵衛。
 ナナリーに映る、三者三様の型破りは無茶の一言だった。だが、眼前に積み上げられる障壁をぶち破り、拳に傷をつけても、守りたいもの、掴みたいものがあるのだ。
 漂流し四国に流れ着いたナナリーは、その時と中村城とで二度元親に助けられた。難破した商船と父親を心配し沈みがちなナナリーをいつも笑って勇気づけてくれたのは元親や城の女中、兵士らだ。これから四国に起こることを知り得ながら、恩人を放り、本国英国への帰路へ帆は張れない。
 猪口を覗けばまだ半分酒が残っていた。揺蕩い映る顔は随分頼りない表情をしている。ナナリーは一息に残りを飲み干した。城下を照らす欠けた月も傾き、ほどなく山際はその枕になる頃だ。
 慶次は銚子を覗いていた。どうやら空になったらしい。膝の上では夢吉がすやすやと寝息を立てている。慶次が人差し指で頭を撫でれば、人の子のように身を捩り、今に寝言を言い出しそうだ。

「さてっと、ちと飲み過ぎたかもしれねえや、そろそろ寝るか。ナナリーさん一緒に寝るかい?」

 冗談交じりに言った慶次に、ナナリーは否を込め眼前で両手を振った。腹を抱えながら「寝床、ありがとよ」と言った慶次は、小さな友人を両手で抱えると部屋へ戻った。
 盆に皿や猪口を乗せナナリーは水屋へ向かった。片付けを済ますと自身も就寝する為に部屋に戻り、寝床を整えた。そして明日の準備をすべく長持ちから、万年筆とインク、そしてドレスと傘を引っ張りだした。これらは大阪に到着した時、全てスペイン船イサベル号の船長より贈られたものだ。
 文机に羊皮紙を広げると、愛するお父様への書き出しとともに、父親宛に手紙を綴り始めた。ひと通り書き終え読み返すと、父との思い出は噴泉のごとく溢れ頬には涙が伝っていた。ナナリーは今まで一度だって父親に背いたことなどなかった。このような別れの手紙を、しかも戦地に赴く旨を知れば卒倒するかもしれない。
 手紙に封をし、身の回りを片付け、ナナリーは久々にドレスを身に纏った。何ヶ月ぶりのコルセットは苦しかったが、時間が立てば慣れるだろう。
 気づけば、障子戸の外は夜は淡い青に押し遣られていた。そっと戸を開ければ白く輝き始めた雲が風に導かれている。本日の天候は良好である。港へ行けば、淡路や四国への定期船が待機しているはずだ。ナナリーはそれに乗船するつもりでいるが、その前に港でやることがあった。これはナナリーの一大決心の計画である。
 慶次が少し気にかかったが、昨晩は飲み過ぎたと言っていたし、起きて来ることも無いだろう。黙って屋敷を出るのも忍びないが、かと言って慶次にナナリーの一大決心に加担してくれ、手伝ってくれと頼み込むのも違う気がした。

「大丈夫、場所はわかるし。一人でできるわ。前田様まで追われる立場になる必要はないもの」

 よし、とナナリーは意気込み部屋を出た。そと廊下を渡り玄関を出て傘を差した。門まであと少し、ここを潜ればもう後ろを振り返ってはならない。傘の柄をしっかり掴みナナリーは一歩を踏み出した。
 すると、門扉に人影がぬっと現れた。

「ちょいと、ナナリー、水くさいじゃないの。前田慶次はそんなに頼りないかい?」
「前田様…、あの、見なかったことにしてください。私、港に行かねばなりません」
「ナナリーの考えること、分かるぜ。そんな大層なはかりごと、女手ひとつで本当にやっちまうつもりかい」

 慶次の方では夢吉が、鉄砲を構える仕草を真似ていた。ナナリーは随分参った。夢吉は慶次に褒められて嬉しそうに声を上げた。

「物を使えなくするってのは、まあ簡単だ。俺も四国にゃ用があるんだ。遠慮すんなよ手伝うからよ」

 馬を駆け、堺の港についた二人は貿易商船の集う船着場、その倉庫の前に佇んでいた。朝も早い頃なので、行き交うのは酩酊状態の外国の船乗りと、漁船の帰りを待つ海鳥だけだ。おこぼれは彼らの朝食である。
 ナナリーが敢えてドレスを着て来たのにはわけがあった。それは、倉庫の出入りの許可を簡単に貰えるからだ。西洋商人はその風貌故、詳細な身分証がなくとも、入庫時の記名で倉庫に入る事ができる。
 ライトの荷が保管されている倉庫は、レンガ造りの倉庫が連なる二棟目だった。各棟には一人ずつ鍵番がいる。法被に鉢巻き、長い棒を携え、退屈そうに壁に寄りかかっていた。

「Excuse me?」

 ナナリーは敢えて英語で声を掛けた。すかさず慶次が間に入った。

「お兄さん、悪いな。俺、彼女の通詞でよ。悪いんだがこの倉庫にお嬢さんの品物があるもんで引き取りにきたんだ。開けてくれ」

 鍵番の男は、慶次の派手な身なりに若干怪訝そうな表情を見せるも、ナナリーは港でよく見る当たり前の商人の風貌なので、直ぐ様帳簿を開き名前を書くよう差し出した。さっと、名前を書き終えると重い扉が鉄を擦り付ける音を立てて左右に開いた。中には幾つもの箱が整然と並んでいる。

「用が済んだら、さっさと出てくれ」

 ナナリーと慶次は、ライトと書かれた荷箱を探した。すぐに見つかった。間違いなく黒光りする鉄砲が詰められている。全部で三箱、数にして凡そ三百丁である。ナナリーはゴクリと唾をのみこんだ。これからナナリーの一大決心、否、人生で最大の罪を犯そうとしている。海へ放り投げるのだ。

「前田様、確か倉庫には裏にも扉があります。そこから運んで岸より投げましょう」
「よし、きた!」

 鍵番に悟られぬように、裏口の扉をあけると倉庫の裏は波止場の延長線上だ。ここからは淀川へ入ることが出来、水路の運搬が容易にできるようになっている。水深も深い。
 ここは力に自信のある慶次が役を買って出てくれた。一箱に約百の鉄砲が入っているにも関わらずひょいと持ち上げ、そろりと外へ出ると裏から静かに海に沈めた。一つ、二つと続き三つ目を抱え上げる。すると、鍵番が暇の掛かり様を不思議に思ったのか外から声を掛けた。

「おい、まだ掛かるのか?そろそろ俺は交代の時間なんだが……?!???」

 ナナリーが振り向いた時、慶次は既に三つ目を投げ終えた後だったが、鍵番は入口からそれを目撃していた。かっと目を見開き、怒声をあげると首から下がっていた笛を思いっきり吹いた。ピーっと甲高い音と共に、どうしたどうしたと鍵番と野次馬が次々に集まってくる。
 息を呑み、身動きの出来ないナナリーを咄嗟に慶次が手を引き、裏口から駆け出した。必死に走り、相手を巻くほどの広さがあるかと言えばかなり厳しかった。後方からは、奉行所から駆けつけた役人も何人が混じり、続々と追手が増えていた。

「こらあ!!なーにをやっているのだ!!止まれ!!なぜ荷を沈めたぁああ!!」
「こりゃ、奉行所の連中まで出てきやがったか…。あんの鍵番、思いっきし笛吹きやがって…」
「前田様、波止場に到着して連絡船はすぐに見つかるでしょうか」

 重いドレスの裾をひっ掴みながらナナリーも必死に走っていたが、このまま逃げ切るには直接、定期船に飛び乗るしか打開策が無い。しかし、そんな上手いタイミングで船が離岸準備を終えているのも僅かな望みにすぎなかった。

「行けば分かる!多分、獅子屋っていう商人の持つ船は日に幾つも淡路に出ているはずだ。取り敢えずはそれに乗れば経由して何とか…」

 最後まで言わぬうちに、突如慶次は立ち止まり、ナナリーを庇うように前に踊りでた。この道を真っすぐ進めば波止場だが、倉庫群故に、棟の間々からは幾つもの路地が伸びている。その路地から、ゆっくりと人が一人現れた。逆光ながらも、その人物はナナリーにもひと目で分かった。細身の体型、腰に下がったまっすぐの刀、そして言い表せない殺気と鋭い視線 ──
 何を隠そう、この交易の中心、堺政所を豊臣秀吉に任されている石田三成だ。
 相対する慶次も、笑ってはいるもののいよいよ以って背にする刀に手を掛けた。奉行所の追手は追い詰めたというのに、ナナリーと慶次から随分と離れた所で待機している。不思議に思っていると、瞬時に嵐のような突風が正面より道を割った。かと思えば、倉庫に取り付けられた外灯のランプが一瞬にして地面に落ちていた。瞬きをする暇も無かった。ニヤリと笑む慶次の額からは、つうと一筋汗が伝っているのが分かる。ナナリーも突然の出来事に背筋が凍った。
 刀を鞘に納めた三成は、既にナナリーたちの後方に後ろ向きで立っている。人間業ではない太刀捌きは三成にとっては特別なことでは無いらしい。

「瞬時に敵の息の根を止めねばならないからな…。露は落ち、地を固めるのが仕事、それをさせぬ為に私が居るのだ。貴様ら、覚悟はできているのだろうな」

 振り返った三成は、真っ直ぐに切っ先を向けていた。今度こそ慶次とナナリーを仕留めに掛かるに違いない。慶次の後ろでナナリーはどうすることも出来なかった。足は震え、一歩も踏み出せない。持つ傘も何の役にも立たない。慶次の肩に乗っていた夢吉が、そっとナナリーの肩に移ってくると、励ますように頬をぺちぺちと叩いた。
 慶次もとうとう刀を構えた、大きな太刀の刀身は慶次の背と同じくらいか、いやそれ以上だ。間合いは取れるだろうが、如何せん三成の動きは素早すぎた。慶次は構えると、ナナリーにそっと囁いた。

「ナナリー、ここは俺に任せて一人波止場に走るんだ。船があればすぐに飛び乗れ!」
「前田様…!それはできません!」
「大丈夫、俺を信じて。元親にあったら、うまい飯食わせろって言っててくれよなっ!!」

 慶次は、声を荒らげ正面切って三成に突進していった。ナナリーの肩で夢吉がキイっ!と声を上げ、走れと急かしている。問答している暇は無かった。ナナリーは後ろ髪を引かれながらも、慶次の言葉を信じ、駆け出した。
 三成はすかさず部下に「女を終え!」と指示を出した。ところが、ナナリーを追おうとした部下たちは、一歩踏み出したとたんへなへなと、魂の抜かれたように地面に倒れ込んだのだ。頬を地に付けすやすやと寝息を立てている。刃を交える三成と慶次も、異変に気づき、押し合う刃先を一度離し距離をとった。明らかに第三者の何者かが三成の部下を伸したのだ。

「前田慶次!」

 空から降った凛とした声に、慶次は胸が踊った。

「かすがちゃん!」

 倉庫の屋根の上に、一人のくのいちがまるで下衆を見下ろすように慶次を睨みつけていた。昇りきった朝日に照らされて金色の髪が風になびき、体の線がはっきりと分かる忍び装束は、気概を保たねば思わず鼻の下が伸びるようなあつらえだ。
 かすがは更にクナイを、慶次と三成の間に境界を作るようにタタタッと投げ地面に差した。すると、三成の後方からは血相を変えて再び部下が走ってきた。

「み、三成様!!すぐ奉行所へお戻り下さい!!火事です!!」

 空を仰げば、灰色の煙が晴天を汚し、火消しの野太い声が涼やかな朝に轟いていた。地に伏す部下を視界に入れ三成は凄まじい形相になり、舌打ちをすると刀を鞘に納めた。

「この程度で、豊臣を封じたと思うな」

 そう吐き捨てて、部下の後に続き踵を返した。慶次の隣には、かすがが音を立てずに舞い降り、直ぐ様波止場へ駆け出そうとする慶次の首根っこをぐいと捕まえ、引き止めた。

「か、かすがちゃん!お願い離して!ぐるじいいい…!!!!俺急いでんだよ!!」
「貴様を行かせるわけには行かない。謙信様の命を遂行するのが私の役目だからな」
「もしかして、奉行所に火を放ったのって…」
「勘違いするな。外に積まれたゴミを片付けてやっただけだ。これは貸しだぞ。だが、そうであるからには、越後まで来て貰おう」
「そんな!俺昨日も言ったけど、利は話のわかるやつだからちゃんと、会合をもってくれれば…!」
「そうも、いかない状況になっているから、また頼みに来たのだ」

 慶次がかすがと会ったのは、昨日のことだった。
 ナナリーが何者かに殺気を向けられ、狙われていると気づいた慶次は、ナナリーと共に屋敷群の角を曲がった後、その何者かの姿を捉え、成敗すべく後を追ったのだ。ところが、袋小路で追い詰め素顔を改めれば、その何者かはかすがだったのである。
 かすがは上杉謙信の忍であり、大変腕の立つくのいちだ。聞く所によると、甲斐武田信玄の忍である猿飛佐助と同郷で有るらしいが、それはさておき、かすががナナリーに殺気をむけた訳を聞けば、元々慶次に用があったのだとかすがは言った。
 慶次に接触する機会を伺うも、昨日はナナリーと離れる時が無かったので、仕方なく強行手段に出たらしい。かすが曰く「貴様のことだ。女に殺気を向ければ、私を追ってくると踏んでいた」だそうだ。
 ともあれ、かすがが謙信の命により、慶次を越後へ連れて行きたいのには理由があった。
 現在豊臣秀吉の臣下にある、前田利家は、秀吉の命により越後上杉謙信へ同盟を求めているらしい。勢力拡大のためだ。しかし、謙信はこれに応じる気はさらさら無かった。一時は、否を突き続け凌いだつもりだったが、つい先程状況が一変したのだという。

「柴田勝家を知っているか」
「柴田…ああ、信長の家臣だった。確か利とも一緒に戦にも出たことがあるとかで、随分面識はあるみてえなこと言ってたな」
「そうだ、その柴田勝家が兵を上げ、少々ややこしいことになっている。あの者は秀吉には与してはいないだろう?」
「うん、今は確か伊達に厄介になってるとか風のうわさで聞いたことがあるな」
「前田利家とかつて懇意にしていた柴田勝家が挙兵すればどうなると思う?普段から、行軍でも和睦を推進する戦嫌いの甥を持つ前田利家だぞ」
「やばいな…柴田勝家と結託して、秀吉に反旗を翻したと思われなくもない…」
「そういうことだ。今は家に帰ったほうがいいが、その前に越後へ寄れと謙信様のご伝言だ。きっと何か知恵を授けてくださるのだ。有りがたく思え」

 慶次は唸った。ナナリーは今ごろ波止場に着いているだろう。船があればすぐに飛び乗れとは先に叫んだ。今から追えば確実に間に合う。地面に腰を下ろし、慶次は家へ帰るか四国へ行くか、考え込んだ。