画策08

 水面にじいっと目を凝らしていると、鮎が紛れていることがある。川が増水した時に一緒に流されてくるのだ。淀んだ堀ではそう長くは持たないが塩焼きにでもすれば酒の肴にはなった。蔵から網を持ってきた元親は、手慣れた手つきで塀の上から体を乗り出しひょいと掬いあげた。小ぶりの鮎だが割りと胴は太く身は引き締まっている。今夜もまた旨い酒が飲めそうである。通りかかった女中に網を預け、夕飯に出して貰うように頼んだ。
 岡豊城では対豊臣軍との決戦に向けて行軍の準備が進められていたが、そちらは大方目処が付いたので今度は浦戸で準備を図るべく元親は只今戻ったのである。城の外周をぐるりと歩けば、堀には野郎どもが小舟を浮かべ、櫓へ仕込んだ「からくり」が上手く働くか試験中であった。万一の場合、籠城を考えての備えだ。
 からくりは、櫓の壁に埋め込んだ鉄砲の自動射撃機だ。足らぬ兵力を補うために女子供でも扱えるよう、杙を抜けば軽々と一斉発砲できるすぐれものである。もちろん、対策は丘ばかりに施しているのではない。海には富嶽も構えている。この程、最終兵器もとい新兵器百鬼丸が完成した。正面からの外観は暁丸の胴の部分と似たものであるが、これは単体で動くのではなく、富嶽に搭載されている。船上の戦闘になった際、百鬼丸から大きな足が木槌のように甲板を叩き、敵兵を蹴散らすことができるのだ。また、何と言っても一番の見所は百鬼丸本体の口から人工的に暴風を出せることだ。大人一人はいとも簡単に飛んで行く風を生み出すことができる。これらを駆使すれば、帆で進む水軍に向かい風を吹かせ、退かせることは容易だ。加えて船に積む大筒の準備もぬかりない。首尾は上々である。
 城から城下への架橋を渡ると、元親は腕を組み、兵らが作業する姿を堀の対岸から眺めていた。時折、声を上げ「アニキー!向きはこんな具合でいいですか」と問われる。そうして何度か応え、指示を出していると、紙束をいくらか抱えて「段々と暑さが厳しくなりますね」と福留隼人が颯爽とやってきた。

「よう隼人。抱えているそりゃ何だ」
「本土へ行っていた際、つてを作ってきまして、豊臣と本土の今現在の様子を送ってもらいました」

 どうぞ御覧ください。畳まれた厚手の紙を広げると、そこには豊臣の組織図に加え、従える大名が列挙されていた。
 元親は腰を下ろすと土手に生えていた猫じゃらしをぷつりと千切り、口に咥えてごろりと横になった。寝そべりながら頭の上に紙を掲げ、その名を目で追ってみる。
 出雲からは銀山を持ち灰吹法の技術を有する尼子晴久、嘗ての織田信長が近臣柴田勝家、加賀百万石とも言われる広大な領地と民を有する前田利家そして豊臣家へ姉が嫁ぎ婚姻関係による後ろ盾が名家ばかりである京極高次などなど…列挙された名前に思わずぎりと奥歯で茎を噛んだ。穂先は元親の溜息とともに大きく揺れている。
 豊臣は元親が想像していたよりも遥かに巨大な連合軍を作るに至っているのだ。更に南は島津へ手を伸ばし屈強な水軍を手中に収め、東は北条や徳川もいよいよ豊臣につく構えを見せている。何でも、西国攻略時に於いては、豊臣軍の穴熊もとい黒田官兵衛が大層な地下道を持っているとかで、その道は日ノ本全土を自由に行き来できるとの噂まである。嘘のような話だが、それが真実であれば多少なり諜報活動は容易いに違いない。故に遠方の鬼島津と名高い大大名に首輪をつけ、手綱を握ることが出来たのだろう。しかし、どれだけ軍を太らせれば良いのか。元親には天下を目指す男が人垣の中に身を置く様が少々滑稽に思えた。

「こりゃ旗本まで入れりゃすげえ数になるな。ちったあ堂々と手前で采配取れと言いてえくれえだ」
「親泰が言っておりましたが、豊臣の軍師は末端の一兵卒にまで目が行き届いているのだとか。故に秀吉殿が直接命を下さずとも兵の判断は隊内で規則化されているのでしょう。訓練は大変厳しいと聞きます」
「ああ、そうらしいな。だが兵の気概ならこっちだって負けちゃいねえぜ。野郎どもは一番にいい働きをするさ」
「ごもっともです」

 小舟の上で騒がしくいや、真面目に仕事をしているのかいないのか…ともかく元気な我が兵の声を聞きつつ、元親は更にもう一通を取り中を見た。そちらは、豊臣が拠点とする関西一円の関所の様子が綴られている。周辺から堺へ出入する問屋の船、外国商船、街道を行き交う行商人。これらを知ることで敵の軍備の全貌が見えてくる。鉄砲に必要な鉛類、弓矢に必要な竹、弦、その原材料の取引は問屋を超えた物量だった。ざっと見るだけでも長宗我部軍の三倍はある。元親は自軍も更なる強化を念頭に置いた。
 加えてよく注意せねばならないのが怪しい旅人等の報告である。これには関所を通る者の名簿がちゃっかりあった。どのようにして手に入れたのか、隼人はよくやってくれていた。紙をぺらりと捲るといきなり前田慶次の文字が目に入った。加賀前田利家の甥子である慶次は、家に帰らず放浪癖のある人間で、武家の生まれであるにも関わらず全く武士らしくない。最近も相変わらず各地を点々としているらしい。が、ほんのひと月前に京から堺へ入ったそうで、珍しく長期滞在しているとのことだ。あの大きな図体でおまけに派手な身なりであるから、どこに居たって目立つに決まっている。また、大名の親類が堂々と大腕を振って歩いていれば、首は賊の良いカモである。だが慶次は、腕っ節は強いので元親はそちらの心配はしていない。心配なのは慶次が現れた処がもれなくきな臭くなることだった。
 前田慶次は戦が好かないので、その家の名を以てしてしょっちゅう諸国の戦場へ出向いては講和の仲介役となっているのだ。今回も、どこかの大名に頼まれ和議の申し出として堺入りしたのか、或いは近々各国へ兵を上げる豊臣秀吉自身にこれ以上無駄な人死にを出すなと直談判に来たのか…どちらにせよ慶次が堺に居ることに元親は眉をひそめた。
 以前、前田慶次は豊臣秀吉とは旧知の仲だと言っていたのを思い出していた。そのよしみで秀吉と何らかの接触を持つことには間違いないと思われた。元親は前田慶次の友人である豊臣秀吉は知らぬが、今の秀吉は、幾十もの大名を従える程の力を持ち、またその上に君臨している。人一人の話をまともに聞くとは到底思えなかった。溜息をつき、深く呼吸をすれば紙に硝煙の匂いが染み込んでいる気さえする。豊臣の覇道は日ノ本中へ隙間なく張り巡らされつつあるのだ。四国への挙兵はいよいよ以って待ったなしである。
 案じつつ、さらに名前を下ると、次に外つ国より入国した者の名前がずらりと並んでいた。長宗我部という名も大変珍しいが、外国のそれに至っては舌が絡まりそうな名ばかりである。元親はさらりと目を通すだけに止めておくつもりだったが、覚えのある名にこれまでの思案が一瞬全て持って行かれた。「ナナリー・ライト」と書かれているのは、間違いなく四国から堺へ入ったナナリーだ。今頃、彼女はどう過ごしているのだろうか、元親はがばりと体を起こし空を眺めた。隼人は怪訝そうな顔をして、主の視線を追っている。その先はもくもくと喚き立った雲が膨らんでいるばかりだ。

「元親様、いかがなされましたか」

 元親は黙って紙束を隼人へ返した。

「いいや、ナナリーはどうしてるのかと思ってよ」
「立派に堺でお勤めに励まれているのでは」
「ああ。そうだな。俺らはその先に勝たなきゃならねえ」

 元親はいつになく険しかった。いつかの晩、地下室で親泰が言ったことは正論であり、また元親の言うことも正しかった。隼人は主の選択した方を素直に尊重していた。

「元親様らしくないですよ。いつものように、着いて来いと仰るだけで良いのです」

 城の櫓からは、兵士たちが作業が終わったと叫んでいる。元親は立ち上がると次の櫓に向かうべく架橋へ足を向けた。夕焼けが迫る空には帳の端がいつもくっついている。厨の方の煙は一層太く勢いが増していた。
 背を向け歩き出した元親に、隼人は半分冗談のように言葉を投げた。

「元親様!近頃は飲み過ぎだと、女中が心配しておりましたよ!」
「わかってらあ!」

 振り向かずに応えた元親だったが、今夜も銚子を一本余計に頼む羽目になりそうだと自嘲した。近頃寝付けぬのは、何も戦のことばかり考えているからでない。
 顔を上げ、大手門へ近づくとにこやかに大きく腕を振る兵士が幾人も視界に入る。元親は、隼人の言いつけはやはり守らねばと思い直し、次の櫓も行くぞと声を張り上げ、野郎どもと残りの作業へ向かった。



 左近とナナリーが中庭を見物し終えた頃、帳は太陽の引いた雲にぶら下がり、滑空せしめんとする勢いで山から城へと迫っていた。厨では、夕餉の支度が早々に済まされ、藁葺の屋根から立ち上る竈の煙も細く小さくなっている。女中は膳を抱え廊下を忙しく行き交い、あちこちの部屋を所作良く出たり入ったりしていた。
 左近は、吉継が大事でなかったことにほっとしてか、庭を回りながら何度も腹が減ったと嘆いていた。飯にありつけるのを心待ちにしていたので、膳を運ぶ女中を見るなりすぐさま庭から濡縁へ上がるようナナリーの手を引いた。
 秀吉始め、半兵衛や三成、そしてナナリーの父親が居るという広間へ近づくと、賑やかな声が外へ漏れている。家臣一同集まった中に、早くも酒宴となっていたのだった。幾人もの将が部屋を埋め尽くし、無礼講のもと上機嫌に酒が酌み交わされているのだ。左近が障子戸を勢い良く開け放つと、驚いた家臣の視線を一斉に集めた。

「あれ?秀吉様いらっしゃるかと思ってたんすけど、三成様も居ないんですね」
「秀吉なら先に部屋へ戻ったよ。どうも疲れているみたいだ。三成くんは付き添い」

 盃を傾けたまま半兵衛は答えると、ナナリーにこちらへ来るようにと空いている座席に視線を流した。居たたまれない視線をひしひしと感じつつも、丁寧に頭を下げればたちまち騒がしさは下のように膨らんでいく。父親も隣でにこやかだ。ナナリーと左近は言われるがまま腰を下ろした。
 大阪城へ着いた時、半兵衛も疲れたようなやつれたような、おまけに苦しそうな様子だと感じていたが、今はそんな片鱗など見られず半兵衛は普通だ。気分が悪ければ酒も進まぬことだろうが、他の将から酌をされ、若干頬を赤くして会話を楽しんでいる。
 昼間のことは気のせいだったのかもしれない。そう思い直したナナリーもいい加減空腹が襲っていたので、手を合わせた。膳の上には焼き魚、白飯、それに汁物と漬物がある。どれも味の良いものだ。舌鼓を打ちながらナナリーは耳をそばだてた。
 半兵衛と父親は仕事の話をしている。荷が遅滞していた理由について、秀吉への申し開きは上手くいったようだった。お咎めも無く鉄砲の購入は継続が成り、商談破棄には至らなかった。今後は、仲買を通さず直に豊臣へ武器を流すらしい。父の仕事は上手く行っている。ナナリーは己も少しは把握しておかねばと話の続く間はゆっくりと箸を進めた。
 その間、隣が静かだったのは、お櫃を空にするのに忙しかったかららしい。「あのさあ」とナナリーの存在を思い出したかのように口を開いた左近はすっかり満足した顔で、食った食ったと腹を擦り、湯のみに口をつけていた。膳の上にはもう何も残っていない。完食の早さに驚くナナリーを尻目に、今度は素早く彼女の膳から沢庵を一枚引きぬいた。口を尖らせたナナリーに左近は弁解するように尋ねた。

「ナナリーさんこの後予定ある?」

 何のことか分からず首をかしげると、左近は「ちょっとだけ俺に付き合ってくんね」と親指と人差指で輪を作り顔の前に掲げて笑った。

 宿屋が軒を連ねる通りから少し奥まった一角には長屋があったが、町の外れなこともあって人が長く住み着かなかった。こういう空き家を根城にするのは専ら博徒やそこいらのごろつき連中だ。人の寝静まる頃からぞろぞろと不機嫌そうな顔を携え、火に入る虫のように何処からとも無く湧いてくる。
 井戸のある共用の水屋の下には、長い腰掛けがあり、ガラの悪そうな中年男性が三人どっかり腰を据えていた。通行人もとい、この縄張りにやって来る連中一人ひとりに目を懲らし、まるで検閲をしているようでもある。その面々へいかにも親しみを込めて手を掲げた左近だったが、軒下からぬっと出てきた男は射るような目つきでギロリと睨んだ。額には真一文字に刃物傷の痕があり、丁度今宵の月に引っかかれたような傷跡だ。男から発せられる気や視線や声は何もかもが恐ろしく鋭く冷たい。

「島様よう、昨日のツケは十一って約束だ。今夜はもう貸せねえと兄貴からも言われてんですよ。その辺わかってらっしゃってまたのこのことお越しになったんで?」
「大丈夫大丈夫!今夜は俺には神さんが付いてっから勝てる気がすんだって」

 そう得意げに答えた左近の背にナナリーは益々身を隠した。ついちょっと前の己の返答を今すぐ撤回したい心地だった。
 酒宴の座敷にあったナナリーは、付き合ってくんね?と問われた左近に、どこに行くのかと聞いたのだ。ところが「月を観に行かないか」と言われたので、一見お調子者の彼は随分とロマンチストなのだなと弁え、さて、どんな素敵な場所だろう、丘だろうか、天守に近い処だろうかと着いてきてみれば賭場である。ツキ違いだった。

「島様、私帰りたいです。今すぐに」
「待ってくれよ!俺、今日勝たねえと今度こそ三成様から鉄槌が!いや、それ以上!なっ、頼むよ。お医者様が人一人救うと思ってさ!あんたが居れば何か勝てそうな気すんだよ!」
「救うって、島様ぴんぴんしているじゃないですか!」
「俺の病気は万年金欠病」
「自業自得です!」

 二人がそうこう言い合ううちに、辺りは次第に人が増え始めた。人々は井戸から続く路地を皆同じ方向へと進んでいく。手にする提灯はそのまた先の提灯に誘われるようにして、奥へ奥へと暗がりに吸い込まれている。
 男性が多い中、幾人か女性も混じっていた。綺麗な黒髪は、大きく開いた衿より伸びる項に垂れ、派手なかんざしは振り向けば落花の如くひらひらと揺れている。ナナリーがその女性と視線が交わると、一度大きく見開かれた瞳はすぐに弧を描き、紅の引かれた口元は艶かしく開かれた。

「あら、島様。同伴なんて珍しい。しかも南蛮の方なんて。いい人なの」

 どうやら、この女性も左近の知り合いらしい。

「違えよ。この人は大事なお客さんで、今日の俺の神さん」
「へぇ」

 女性は口元に持って行って袖の中にふふと笑い、肩を震わせていた。すると、人々が消えた暗がりの方から、始めるぜーとの掛け声に呼応の低い唸り声が空を伝った。左近は慌ててナナリーの手を引くと、真っ暗な道をどんどん先へ進んでいく。着いた場所は戸板、雨戸などすべて取っ払った柱と座敷と屋根だけのすっぽんぽんの長屋だった。縦に長く、その五分の一ほどの場所に立派な座布団が置いてあり、床を軋ませやって来た大男が鎮座した。この場に吹く風は端から端まで通り抜ける按配となる。その風の通り道に沿うようにして、少々気の弱そうな男や、つるりとしたふくよかな顔の大店主のような身なりの人、また、女を両脇に抱えた遊び人のような男まで様々な人が座っていた。皆、本日のこの賭場の客なのだ。
 左近も急いでその輪に加わろうとするが、ナナリーはたじろいだ。

「島様、お月さまじゃないなら本当に帰りましょうよ」
「ここまで着いてきてそれはねえよ!頼むよ。三成様が言ってたぜ。あんたすんげー遠くから流されて四国に着いたって。そっから船乗って大阪迄来れたんだろう?そりゃすげえ運だ。だからその運を俺に少し分けてくれ!」
「分けてくれと言われましても…」

 ナナリーに構わず左近はさっさと座った。ここまで来てしまったら付き合うほかない。一人で帰れるわけもないので、周りに怯えながらも大人しく従うことにした。折れたナナリーに左近は満足気である。

「さ、盆がしかれるぜ。今からやるのはサイコロ転がす丁半だ。偶数の丁か奇数の半かを当てるだけなんだが…」

 進行役の男が一声投げると、場の中にいる壺振りが「かぶります」と癖のある構えで腕をあげた。その瞬間しんと静まり返る。無音の中、壺を振る音だけがからからと満たしている。叩きつけるように壺が伏せられると座敷には緊張が張り詰め、客は目を血走らせて視線は一点集中した。伏せった壺が幾度か床を行ったり来たり滑ると、場の頭も釣られて動く。逆さの壺がピタリととまった。同時に、身を乗り出しながら客は我先に丁半を叫ぶ。進行役の男は手を掲げると、客の出す札と出目の予想を攫っていった。

「丁半、出揃いました。勝負!」

 シニの丁!と、叫ばれると隣の左近ははあ。と溜息を付いた。
 賽の目は四と二その和は六。故に丁だ。左近はよし、次だ、次!と頭を切り替えるも、その後何度と無く負け続けた。硯箱四つ分の厚みがあった賭け札は、手元からどんどん減っていく。そうして、札を買う金を借りる為に、左近は入口の井戸に居た連中に金を借りていたのである。手元に残るはあと二枚。さすがの左近もこれほど負けが重なると顔が青ざめていた。

「なんで勝てねえ!ああ、もう次はナナリーさんが丁半決めてくれ!」

 自棄になりつつある左近は座敷に寝そべった。明日、星になったら…とかなんとか呟いている。大方三成に裁かれる運命を覚悟しているに違いなかった。今にも背を丸くしそうな左近をナナリーは放っておける筈もない。初めての賭け事は人を救うと思い、残りの札を握りしめて次の場を待った。
 息の詰まりそうな面持ちで待ち構えていると、目の前に座る若旦那風な男性も、どうやら負けっぱなしであるらしかった。手元に残る札はもう既に無い。金を借りるよう胴元の子分たちに煽られているが、それには決して応じなかった。男性は腰を浮かせ、結局退席するのかと思いきや、おもむろに懐から紙束を出した。

「今夜の俺の札はこれで終いだ」

 見物していた外野の荒くれ者が「またか!紙問屋!」とやいのやいのと声を上げている。男性は紙問屋の若旦那らしい。そしてこのよくわからない紙束を、札の代わりに賭けるのは今回が初めてでは無いらしかった。ナナリーは状況があまり掴めず、ことの流れを見守ることしか出来ない。左近は相変わらず落ち込んで、この場に居るはずもない三成に背中を丸めて懺悔の言葉を呟いていた。

「この紙、いや地図を売った親分さんは随分といい思いしたと聞いてますよ」

 壺振りが太い腕を組み、紙問屋を見下ろしている。

「それはそれ、これはこれだ。ここにはここの決まりがある。そんな紙束で賭け事なんか出来ねえのはそこいらのガキでも知ってるぜえ旦那」
「そうか、仕方ないな。今回もまた、地図だったのだが…。金銀財宝が眠ると言われる、四国の地図だ」

 場に居た客は、金銀財宝に反応して激しくどよめいていた。左近も勢い良く飛び起きた。掛け金に加え、あわよくば財宝の在処が記された地図、いや四国まで行けば財宝までもが手に入るかもしれないのだ。ところがナナリーは違った。四国、その地図であることに惹かれた。なんとしてでも手に入れたいと逸る気持ちを抑えつつ、左近から預かる札をギュッと握りしめた。
 若旦那はしたり顔であったが、元来商売人であるからか柔和な笑みに隠れてそうは見えない。壺振りは地図の興味を隠しながら若旦那をせせら笑っている。客は盆に乗った紙束をじっと見つめているばかりだ。左近といえば、決まり意外の札を賭ける若旦那が少々気に食わない様子だった。

「ちょいとちょいとお兄さん。こかあ賭場だぜ?有りもしねえ宝の山チラつかせたって、そうは問屋が卸さねえ…って、あんた問屋じゃねえか!」
「島様はあいも変わらず面白いお方だ。だから言ったじゃありませんか。本当にあるんです。なんてったって家の先祖が残してきたものですのでね。私では見つけ出せなかったのでどうぞ、この場で地図を勝ち取った方が探しに行って下さい。差し上げます」

 ざわめく場に収集がつかなくなり、壺振りは大きな体を揺らし一旦裏へ引っ込むと暫くしてまた戻った。どうやら裏には胴元が居るらしい。溜息をつき、賽を手に取ると何度も宙に浮かせた。

「はあ。うちの親分も大分酔狂なお人でよう」

 たちまち歓声が上がった。壺振りはより一層声を上げ、癖のある構えを取りかぶります!と賽を振った。
 それから半刻ほど、ナナリーは左近に代わり座にあった。地図という目的があったからか壺を見る目は真剣そのもので、改めて戦績を思い出しても、初心者にしては上出来も上出来だった。今夜左近が擦った分は全て取り戻せたのである。とはいえ、結果はとんとんではあるが、ナナリーの収穫といえば、この己の手で勝ち取った四国の地図だろう。帰り道、月の弱い光に浴びせて広げてみると、聞き覚えのある地名が沢山並んでいた。目で追うだけでも、四国の、いや元親と過ごした日々が蘇っていた。かの地を離れ凡そ七日程であるが、ナナリーには随分と時が流れたかのように感じていた。この地図は、またいつか必ず四国を訪れようという自分自身への決意だ。
 左近といえば、最初は無理やり連れてきたことに、少しの申し訳無さがあったが、上機嫌なナナリーに結果良しとした。先ほどまで三成の剣幕に怯えていた左近はもうどこかに行っていた。
 そうして帰路を辿り、二人はようやく城門を潜った。見張りの兵が、二人が連れ立って戻ったことに驚くも、左近は気にせず大きなあくびをし「ご苦労さーん」とひらひらと手を振った。時刻はとっくにに夜半過ぎだ。星もひと仕事終えたような具合で眠そうに瞬いている。ナナリーも長時間の移動や応急処置などめまぐるしい一日に睡魔と疲労が一気に襲っていた。
 当たり前だが、城内は殆ど明かりの灯る部屋はない。敷地内の砂利道をなるべく音がせぬよう、二人は忍び足で歩いた。左近は、ナナリーの客間への行き方を教えてくれた。ここから建物に入り、真っ直ぐ天守の方向へ進んで突き当りを右。女中が宿直で居るだろうその部屋がナナリーの部屋らしい。その建物は男子禁制であるから、ここまでしか送れねえんだ。と言った所で歩みを止めた。

「それにしてもあんたあよっぽど、四国が気にいってたんだな。まさかあんな真剣に賽の目みるなんざ、正直俺も驚いた。いい面構えだったぜ」

 ナナリーは恥ずかしさのあまりそのまま俯いていた。心なしか頬が熱を帯びている。左近は声を抑えてくつくつ笑っていた。

「あまり、からかわないでください。石田様に今日のこと言ってしまいますよ」
「そりゃ勘弁してくれ」

 へへと鼻の下を擦り、左近はあくびをして目尻を拭った。ナナリーは礼をして濡縁に上がり、教えられた方角へと歩みを進めた。後ろから声を落とし、左近はまだ何か物を言っている。

「ナナリーさんよ!次い、暇のある時は月見と行こうぜ!」

 手を振る左近にナナリーは振り返すと、屋敷の突き当りを曲がった。

 その筈だった。
 左近に教えられた通りに、屋敷の廊下を真っ直ぐ天守の方角へ向かい、突き当りを右…。ナナリーは言われた通りに廊下をたどってきたのだ。が、宿直の女中など何処にも見当たらないし、部屋もそれらしい客間の雰囲気が感じられない。どこも堅く古い戸が閉ざされていて、人の気配がしない。不安になったナナリーは、もう一度、左近と別れた場所まで戻ってみることにした。
 真っ暗な何もない中庭よりも、しんと静まり返る建屋を行き来する方が見えぬ壁の向こう側に変な想像を抱き、何倍も不安にかられる。迫る何かに自然と足早になり、己の行く軋みにすらびくりと肩を震わせる始末だ。ところが、その軋む音はナナリーのそれと別の物が段々と近くなり、重なりつつあるのが分かる。堪らずナナリーはぴたりと立ち止まった。もうすぐ廊下の角に差し掛かる。ところが、足音はまだ近づいて聞こえている。ところが、その主の姿が見えないのだ。しかしぎしりと軋みは近くなる。ナナリーは息を飲んだ。すると覚えのある声がした。

「秀吉、少しいいかい」

 半兵衛の声だ。ナナリーは濡縁の柱に体を預けきょろきょろ辺りを見回した。だが姿が見えない。

「半兵衛か、そちらの段取りはどうだ」

 低い声が空から降っていた。上の階からだった。軋んだ音もどうやら恐怖心による勘違いだったようである。向かいからやって来る軋みは上階の廊下を歩く半兵衛のものだったのだ。ナナリーはしばし柱に身を寄せとどまった。

「鉄砲も手に入ったしね。順調だよ。機動力はこれで少しは西海の鬼のからくりに近づいたんじゃないかな」
「ふん、だが侮るな。相手もこちらの出方をそろそろ気にし始める。籠城の前にはけりをつけたい」
「ありとあらゆる状況は想定済みだよ」

 西海の鬼という言葉を忘れるはずもない。聞き間違えるはずもない。ナナリーはその場を動けなかった。
 初めて元親と出会った日、ナナリーが助けてもらった夜、元親がナナリーに名乗ったそれが「西海の鬼」だった。汚い身なりのナナリーにも構わず、その頭を優しく撫でてくれた記憶は今でも昨日の出来事の様に覚えている。加えてからくりなどど聞こえれば、元親に違いなかった。

「南東の方から水軍を出すよう命じてある。あとは…果たして毛利が動くかどうかってところかな」
「弱き者、従わぬ者は豊臣の世には要らぬ。我が拳で捻じ伏せるまで。いずれ長宗我部の四国は我のもの」
「そうだね、秀吉」

 口元を両手で多い、ナナリーは廊下にしゃがみこんだ。まだ頭が混乱している。ナナリーが世話になっている豊臣はナナリーの命の恩人である元親を、四国を、攻めようとしている。
 何とか出来ないのか、何か、何か、何か…。祈るように考えてみてもナナリーに出来ることは何一つ浮かぶ事は無かった。