※注意事項※
少しシリアスです。幸村は後半から出て来ます。











背に恋情 2

 源次郎もとい幸村が上田を離れてから、一月が経とうとしていた。
そろそろ梅雨が近づき始め、ここの所降り続く雨は、町からの客の足を遠のかせたが、旅人や行商人は雨宿りのために赤松屋に寄って濡れた身体を休めた。
 客は店に様々な話を持ってくる。長雨で増水した川に子供が流されたという悲しい出来事や、山崩れの話、国境界隈で行軍を見たとか、下流では洪水で田畑が水に浸かっているなど、ここのところはそういった話ばかりだった。
お香はこの鬱々としたまだ始まったばかりの時季が早く過ぎ去ってしまえばいいのにと軒から空を見上げた。
昨年のこの季節には、じめじめとした気候にさほど不快感はもたなかった。
それは、毎日その空気を散らすように、暖簾から大きな声を出して店にやってくる甘味好きが居たからだろう。
他の客が肩を震わせて驚くほどに、その声は店内に響くものだから、お香は毎度茶を出す度に「もうっ!」と一言言うはめになる。だが、雨の日でも毎日赤松屋に通い、美味しそうに団子を食べる源次郎とのそういったやり取りは、梅雨の鬱陶しさを忘れさせてくれたのだった。
 お香はそんなことを考えながら、窓枠に肘をついてぼうっと空を眺めていた。


「はあ。源次郎さんはどこまで行ってるのかしら…退屈しちゃう。あ、お土産でも頼めばよかったかな」


厨房からは女将がお香の後ろ姿をそれは見守るように微笑んでいる。
店主松乃輔は旅の客を見送って、ひっそりと女将に言った。


「お香ちゃん、近頃どうしたんだい?」

「さあね、あんたは分からなくてもいいの」

「いいのか?」

「いいのよ」


女将は、松乃輔に明日の仕込みの準備をするよう促して厨房へ引っ込んだ。



 翌日もまた雨だった。
昨日来た客はもう梅雨に入ってるんじゃないか?と言っていて、それはあながち間違っていない様に思った。ここ何日もお天道様は顔を出さずに、雲の後ろに身を潜めている。
お香はいつものように店へ行く準備をして長屋を出て、井戸の脇道を通ったが、珍しく米問屋と女性陣が井戸端会議をしていなかった。濡れた桶だけが縁に静かに伏せられている。
大通りに出ると、いつもは小間物屋とか、金物屋など何軒かの店は暖簾を掲げて開店の準備をしている時分であるのに店々の戸口はぴたりと閉まったままだった。
お香ははて、自分はいつもより早く家を出てしまったのかと思いながら赤松屋の裏口へ入った。


「おはようございます!」


木戸を開けてお香の声に、いつもなら女将の声が一番に掛かるのにその声は返ってこなかった。厨房の竈には既に釜から湯気が上がっているはずなのに、それもない。
お香は首をかしげながら厨房に入ってみたが、店主の松乃輔も女将の姿も見えなかった。
静かな土間には店の裏から持って来たと思われる薪が何本か落ちている。
違和感を覚えたお香は「旦那さん?女将さん?!」と声を上げた。すると、上の階から階段を降りる足音が聞こえた。この店を構えた時に、松乃輔と女将は上の階に住み始めている。
お香は胸を撫で下ろして、厨房へ下りている階段へ目をやると、女将はお香へ駆け寄った。


「ああ、お香ちゃん!よかった。今から長屋までお香ちゃんを迎えに行こうと思ってたのよ」

「どうかしたんですか?」

「明け方にね、旅の人が宿屋で…」


とある旅人が昨夜、城下の宿屋に泊まったらしいのだが、明け方発つ際、主人に


『皆、ニ三日のうちに城下から離れた方がいい、このことはすぐに誰か城主様に知らせてくれ』


と妙な事を言って立ち去ったのだという。
宿屋の主人は半信半疑だったが、これこれこういうことを旅人が申しておりましてと、米問屋の主人に相談したらしい。米問屋はすぐさま城主不在の上田城に掛け合って、物見を遣わすと、十里ほど離れた山中の群落で略奪行為が行なわれていたというのだ。

 その報告を聞いて上田城内に残る家臣は戦慄した。
その頃上田城では戦況を知らせる伝令が定期の報告へやってきていたのだった。
報告に寄れば、武田軍は北条軍を制圧、武田信玄の好敵手である上杉謙信率いる上杉軍は真田隊の猛攻に一旦、戦線から引いたのだという。
ただ今川軍は戦場から退却したかと思いきや、温存させて置いた残りの兵と共に、その矛先を上田城へ変え城下へ向かっているとの情報があったのだ。
すぐさま武田軍は今川軍を追跡した。しかし、この雨で山中の霧は濃く、行軍する位置の特定を急ぐも正確な情報は得られず、未だ尚、今川軍を捜索中だという。
武田軍は先の戦で兵士は疲弊し、今川軍の捜索は困難を究めるばかりであった。略奪行為のことを含めれば、今川軍の仕業である可能性もある。
上田城内ではすぐさま、留守役で対策が練られたが、まずは最悪の事態を想定して城下の人間を安全な場所へ、寺へ移すことになったのだ。
その知らせを米問屋が触れて回ったのが今しがたの話だと女将は言う。
 女将は店で接客をする時とは違った着物を着ていた。質素な、すこし薄い色みの小袖だった。ただ、襷だけはいつもと同じように背に掛けてわきの下できっちりと結び目を作っている。


「お香ちゃんは私たちと一緒に、寺まで行きましょう。そこは安全だって、さっき米問屋の旦那が知らせて走り回っていたから」

「女将さん!お店はどうするんですか?」

「それは当分お休みするに決まってるじゃないの。そんなに長くはならないわよ。今川軍を真田様が見つけてくれるまでの辛抱だから。ささ、お香ちゃん、まだ一時は暇があるから、早く荷物まとめてきなさいな」


女将は笑って「店で待ってるからね!」と、お香の背を押した。
お香は急ぎ足で長屋への道をたどった。河原の土手に差し掛かったときに、ふと歩みを緩めた。
あれから一月程経った川岸の植生も随分と入れ替わっていた。今では菜の花はすっかり雨に打たれ、茎は地に横たわり、それに変わって紫陽花が大きく葉を広げている。雨上がりの晴れた日にはその葉が随分と色鮮やかになる。よくよく見るとがくの部分はほんのりと色づき始めていた。
あの時、源次郎から戻って来たらまた団子をよろしく頼むと言われたが、今川軍を警戒しているこの期間に帰ってくる事が無い様にと祈るばかりだった。

 家に帰ったお香は金銭を巾着に入れて帯に挟んだ。帯留めをなぞって、しっかりと付けている事を確認し、風呂敷には櫛と書物を数冊包んだ。
長屋を出たお香は通りの人の波に少々驚いた。皆まで知らせが行き渡ったのだろう。忙しく行きかう人は雨の中、不安の表情を浮かべ、子供は風呂敷を背負い老人の手をとって、若者は重い荷車を引いて皆寺の方角へと向かっていた。
 お香も赤松屋まで急いで戻った。女将と松乃輔も待っている。
店へ着くと、松乃輔は荷車に大量の米粉を積んで、それにみたらしの入った壷と、あずきの入った袋を乗せているところだった。なんとも松乃輔らしいと思った。おおかた、寺へ着いたら皆へ振る舞うのだろう。
お香は、松乃輔と女将の荷物を荷台に乗せ、自分の風呂敷も積んだ。松乃輔が荷車を引き、その後ろを女将と二人で押し、支えながら寺までの登坂を雨が降る中、登った。


 城下から半里離れて寺の参道口に差し掛かった時、急に松乃輔は歩みを止めて周りをきょろきょろと見回した。
雨脚は強まり、緑樹の葉に当たった雨音は参道に絶え間なく聞こえてそれは馬が駆けた時の蹄の音に近いほど、次第に大きくなり近づいて来る。
松乃輔は荷台に積んでいた鎌をおもむろに取り出して、女将とお香を背にやった。


「いいか、二人とも。何があっても寺まで駆けるんだぞ」

「あんた…」

「お美代、聞こえるだろう?真田様の兵士である事を願うばかりだ」


そう松乃輔が言ったのと同時に、お香達が来た道を追いかける様にして、二頭の馬に乗った兵士が現れた。松乃輔は「ただいまか!」舌打ちをして持っていた鎌を構えた。
下から駆けて来た馬は激しく叩き付ける雨音の半分程に速度を落として立ち止まった。


「おい、そこの三人、何をしている。どこへ行く」


馬上から見下げる兵士の馬具には丸に二引きの紋が入っている。今川軍の兵士だった。
雨に濡れ、着物は重く、お香は思う様に身体が動かない。掛かった声に松乃輔は噛み付いた。


「お前さん達こそ、ここが真田様がお治めになる土地と知ってんのか?!」

「ははは、その真田様は何故帰城せぬのだ?」


我々の方が到着が早いぞ!と、今川の兵士らは城主真田昌幸を揶揄し嘲笑した。
遠くでは雷鳴が雲の中で唸る様に轟いている。お香は、この土地の城主を馬鹿にしている今川兵に腹が立った。
参道沿いの草花には、今川軍がいましがた駆けて来たせいで泥はねが酷かった。威嚇する様に馬上の兵士を力の限り睨むと、今川兵はにやりと黄ばんだ歯を見せて言った。


「おうおう、年頃の女子が居るではないか。行軍は間もなくこの上田に到着するであろう。我らがもてなしてやる。そこの女こっちへ来い」


すると、それを阻む様にして松乃輔は持っていた鎌を振り上げて突如として今川兵に襲いかかった。馬は驚き暴れて、兵士は落馬したがすぐに体勢を立て直し、ゆっくりと刀を抜いた。


「お主、後悔するでないぞ」


雨にぬれた刀身はぬらりと鈍い色を放って兵士の笑みが映った。
お香が「旦那さんっ!」と叫んだのと同時に、二人の今川兵は容赦なく松乃輔に斬りかかった。
鎌一つの松乃輔は立ち回りは乱暴だったが、それでも二人同時の攻撃を曲がった刃で受け流すことしか出来ない。
足場はこの大雨でぬかるんで、時折松乃輔は足元を取られてよろけ、ひやりとする。次第に松乃輔のすねは泥だらけになった。


「こら!お美代!お香ちゃんを連れて早く走らんか!!」


松乃輔が叫ぶと、もう一人の兵士はそうだったと思い出したように、坂を流れる泥水を踏み、びちゃりと足音を鳴らして荷車にしがみつく女将とお香のもとへ迫ってくる。松乃輔はもう一人と対峙しながらしきりに逃げろ!走れ!と叫んでいた。
お香は、女将に立つ様促されるが、体がいう事をきかない。迫る恐怖と、この冷たい雨の中で着物は重く足が竦んでいる。
腰が抜けたように地面から離れられなかった。


「お香ちゃん!立つのよ!」

「女将さんごめんなさい。足、挫いちゃったみたいです…女将さんだけでも、早く!」

「へははは、こりゃあ上玉じゃあねえか。さあ!」


兵士はお香の腕を乱暴に掴んだ。
が、どういったわけか、その先の言葉を発することなく、しばらく時が止まったかのように動かなくなった。その代わり、その兵士の口からは、雨の雫と混じって赤い水滴がつうっと流れ出た。途端、目をひん剥いて、腹に手をあてがったところからは槍の先端が突き出していた。その先からも、とつとつと赤い雫が滴っている。落ちた雫は水溜りの中に濁って、茶色い水溜りはどす黒い赤になった。
 お香は息を呑んだ。言葉が出なかったのだ。
今一瞬この兵士に襲われたことに恐怖していたのに、其の槍が抜かれ、兵士が後ろ向きに倒れると、そこに植わっていた紫陽花の木は其の重みに耐えられずに茎は倒れた。
そして目の前に現れた人物を認識した途端、心臓をぐっと握りつぶされたかのように苦しくなった。
ずっと頭の中を占有して、帰りを待ちわびていた源次郎が目の前に血塗れた槍を持って立っている。
言い知れぬ不安と恐れとが入り混じって命を救われたはずのお香は、源次郎が「大丈夫であったか?」と伸ばしたその手を取ることが出来なかった。

源次郎もとい幸村はしゃがんでお香の顔を覗き込もうとしたが、お香は顔を逸らし、女将の肩に埋めて、しがみつくように着物を握っている。
その震えるお香の肩を幸村はそっと撫でた。足元をみると、随分と足首の辺りが赤く腫れている。幸村は女将に言った。


「お美代殿、申し訳ござらん。大事無いか」

「そんな、源次郎さん。いいや、幸村様とお呼びした方がいいのかしらね。やっぱりねえ。薄々もしかしたらとは思ってはいたけど…。うちのも助けてもらって本当、ありがとう」


間一髪、ほっとした女将は、亭主松乃輔が地面に仰向けに寝そべり、大きく息をしているのを眺めて言った。其の隣にはもう一人の今川兵が息無く沈黙し倒れている。


「直、応援が駆けつけまする。お香は足を痛めておろう?くるぶしが腫れて…しばらくの間城に留まれるように配慮致しまする。どうかお香の傍に居てくだされ」


幸村は未だに女将の肩にしがみつき、顔を会わせないお香を気遣った。女将は頷くと、ぬれた地面にいつまでも大の字になっている松乃輔に「ちょっとあんた!」といつもの調子で声を掛けた。

 やがて援軍が到着すると、お香たちは一旦幸村たちと共に城へ行くことになった。
松乃輔が引いていた荷車は真田の兵士らが代わって引いてくれ、お香と女将はその荷台に腰掛けた。松乃輔は真田兵と共に談笑しながら歩いている。
お香の足首には幸村が添え木をし、頭に締めていた赤い鉢巻きを巻いてくれた。それは不恰好な蝶々結びになっている。
 到着した軍は馬に乗った兵と足軽兵が半々に列をなして、幸村はその先頭に居た。お香は荷台に座りながらその後姿をぼうっと眺めていた。
赤い戦装束に身を包んだ後姿は、一軍の大将であり、重箱を危なっかしく持つ源次郎は垣間見られなかった。その赤は先ほどの出来事を鮮明に思い出させた。
荷車は道の悪いところに差し掛かって、がたりごとりと車輪は落ちた石ころの上に乗って、揺れが大きくなる。女将はお香の肩を抱いて言った。


「お香ちゃん、源次郎さんは…幸村様は何も悪いことなんかしちゃいない。それだけはわかるでしょう?」


お香はこくりと頷いた。なにも女将は源次郎が素性を隠していたのを言っているのではない。お香は幸村がいや、源次郎が命を奪った事実が恐ろしかったのだ。
しかし、あのまま誰も助けが来なかったなら今頃こうして荷車に揺られる事もない。ただ、受け止めきれずに動揺していた。
いつか女将は、真田様のおかげでこうやって店を構えていられると言っていた。その時はその実を知る事無くそうだそうだと安易に首を縦に振っていたが、民を守り、戦をするというのはこういうことだと今更ながら思い知らされたのだ。

馬の頭一つ分後ろを併走していた兵士はゆっくりと追い越して幸村と話をしはじめた。
何度か頷いた兵士は、列から抜けて先に駆けて行ってしまった。


「お香!部屋を用意させる。ゆっくり休め!」


そう言って振り返った幸村は、やはりいつもと変わらぬ源次郎の笑みだった。


 城に着いたお香は、濡れた着物を着替え、怪我を見てもらい、城の女中に世話をしてもらった。
この部屋は中庭を囲むようにある部屋の一つで、お香は女将と二人でこの部屋を使ってくださいと女中に言われた。
隣は松乃輔の部屋で、女将は現在松乃輔の傷の手当てをしている。
縁側に座ったお香は、出された茶を飲み、中庭を眺めていた。雨は弱まって、風が作った雲間からは陽が差し込み、小奇麗に整えられたつつじの葉には雨粒が輝いている。

 ぎしりと廊下が踏み鳴らされて、音のした方を見るとそこには幸村が先ほどの真っ赤な戦装束を脱いでいつも店に来るような出で立ちで、袴を着て立っていた。
お香は慌てて、縁側から投げ出していた足を引っ込めて居住まいを正そうとしたが、捻った足を正座させるのには無理があった。よろけたお香に幸村がすかさず寄って肩を支えた。


「お香、無理をせずともよい」


顔を上げたお香の前にはいつもの源次郎が笑っている。幸村は静かにお香の隣に座った。


「お香、黙っていて悪かった。俺も、何度も言わねばと思っていたのだ」


お香は首を振って言った。


「源、じゃなくて幸村様。こちらこそ命を救って頂いてありがとうございました」

「お香…」


幸村は源次郎と呼ばない、他人行儀なお香に、眉が下がり物寂しい表情を見せた。


「怒られないかしら…?」

「誰が怒るものか!」

「そう?源次郎…さん」


幸村は満足げに「うむ!」と言うと庭の草木が揺れるのを眺めた。木漏れ日がきらきらと池の水面に映って光っている。池の鯉はぱくりと口を開けて、浮かんでいた虫をひと飲みにした。
しばらく沈黙が続いて、二人は庭へ視線をむけたままだった。緩やかな風は雨雲が遠のいているのを感じさせ、幸村は大きく深呼吸をして後言った。


「お香は…俺が人を殺めたことに心が咎めているのだろう?」


お香は困りながらも、そうだと頷いた。


「本当言うと怖かった。源次郎さんがお侍って知らなかったし、目の前で起こった事が信じられなくて…」

「戦とは、そういうものだ…。俺も来る日が来ればああなるやも知れぬ」


そう言った幸村にお香は息をのんだ。幸村からこんな弱音事のような台詞を聞くなど思っても見なかった。だが、当の本人はあっけらかんとして相変わらずお香に笑みを見せている。一体、どうしてこうも平静でいられるのか、武士の考える事はお香には分からなかった。


「実は、お香と以前に土手で話しをした時、俺の初陣が決まっていたのだ。だが、その時の報せではあまりにも武田軍は不利な立場だった。圧倒的戦力差だったのだ。俺はこの六文銭に誓って死に場所は戦場と決めていた」


 いつか、土手で二人して話したときの様に、幸村は戸惑いながらもそっとお香の手を握って、向き合った。何か意を決した物事をいうようなそんな様子だった。


「だが、お香が…城下で楽しく暮らせていられるのも真田様のお陰だと言って気づいたのだ。俺も武士だ。いつでも死ぬ覚悟はある。それは戦場でなら寧ろ本望だ。だが、そればかりではないと気づいた。振るう槍は己の為だけであるならばそれは戦場で死ぬ事かも知れぬ。だが、誰が為に振るう槍は生き延びる事なのだ。お香はそれを教えてくれた。だから俺はこうしてまた上田に戻って来れたのだ」

「源次郎さん…」

「俺はこの城下、いや領内の民が落ち着いて心安らかに暮らせる様、勤めを果たす。も、もちろん!お香もだ!」


幸村はそう言うと、急に顔が真っ赤になった。恐らく、夕焼けがその色を隠してくれてはいたが、陽の色よりも少々赤い。それを見てお香はくすくすと笑った。幸村もつられて笑みがこぼれた。


「源次郎さんって本当に真っ直ぐで、正直で…。私もずっと待ちわびてたわよ。源次郎さん」

「まことか!」

「ええ、だってまた団子食べに来てくれるって約束したじゃないの」

「そ、そうだったな」


頭をかいた幸村は、お香の足下に目をやった。裾から伸びる色の白い素足は怪我の処置が施されていてなんとも痛々しい。


「お香、足は痛むか?」

「少しだけ。今は大分いいみたい」

「そうか。完治するまでとは言わず、す、好きなだけ城でゆっくりしてくれてもいいのだぞ!」

「そんなことしたら、昌幸様にお叱りを受けるわ」

「な、それならば!ずっと俺の側に居ればいい!」


幸村がそう叫んだのと同時に池の鯉が跳ねた様な音がして、隣の部屋ではがたりと何かが落ちたが、それはお香の耳に入る事は無かった。目の前の幸村は真っ直ぐにお香を見つめて、それは団子を選ぶときよりも真剣な眼差しだ。
 雨が洗い流した夕焼け空は澄み、雲は綺麗に取り除かれて、その景色は遠くの山まで続いていた。