暗闇コンチェルト 2
空高くに、悠々と鳥が輪をかいて飛んでいた。青い空に、一点の黒であるが佐助はそれが自分が使いに出しているカラスではないと分かっている。
ここのところ首を長くして、カラスの帰りを待っているのだが、諜報に出して早十日、一度報告に戻ったきり帰って来ていないのだ。
心配になった佐助は自身が現地に赴こうとしたが、それは信玄から許しを貰う事が出来なかった。
どうやらまた奥州伊達政宗が水面下で動きをみせているらしい。いつでも出れる様に待機しておけとの事だった。
今現在、佐助は任務をいくつも受け持っているが、その中でも十年という長期間に渡っている人身捜索任務があった。元家臣の木村藤吉郎と、東条慎之助の末娘の捜索だった。
事の発端は東条慎之助と木村藤吉郎という二人の家臣の議論からの出来事だった。
お互い、国策を語り合ううちに過熱し言い争いになった。とうとう、藤吉郎は信玄と幸村への不平不満まで口にしたのだ。それに腹を立てた慎之助は、藤吉郎が「抜け!」と言った瞬間切り掛かり、藤吉郎に大怪我を負わせたというのだ。東条慎之助はその口論の場に居合わせた女中や、兵士の制止を振り切って館内での粗相と仮にも同じ家臣である藤吉郎を斬りかかってしまったことを詫び、その場で自害したのだ。
その後、事の顛末と慎之助の死を知った慎之助の妻と子供五人は行方知れずとなっていた。
ところが、慎之助に深手を負わされた木村藤吉郎が恨みとばかりの執念で行方知れずとなっていた慎之助の妻と五人の子供を天狗岳奥の小さな農村で見つけだしたのだ。
人相も慎之助の妻で間違いなかった。あろうことか、藤吉郎は見つけた妻とその場に居た子供を全員皆殺しにしてしまったのだ。その後木村藤吉郎は姿を眩ました。
知らせを受けた時の信玄の悲しみと言ったらなかった。家臣同士のいざこざを己の不届きだと悔やんでいた。
佐助はその後、東条慎之助一家の死体検分に回された。しかし、ここでおかしな事があった。慎之助の子らの亡がらが一人足りなかった。それもたった一人の末娘だ。
村の者に聞けば、一家は山で山菜や薬草を採っては売りに行っていたという。佐助はその辺りも探したのだが、末娘の詳しい手がかりはつかめなかった。
信玄は、行方の分からない木村藤吉郎の所在、また東条慎之助の末娘を見つけ次第、生活に難儀しているようであれば、甲斐で最低限の生活ができるように計らうと言って、身寄りの無くなった一人娘と、両人の捜索を佐助に任せたのだ。
しかし長い間探し続けているにもかかわらず、全くその足取りが掴めない。小さな娘が一人で生きて行ける訳も無い。佐助は半ばあきらめていた。
ところが意外にも、その末娘の手がかりがひょんなことから出てきたのである。
近頃、遊女屋が頻繁に店を構えだして非常に繁盛しているらしく、金を持ち、暇をも持て余している商人なんかは喜んで遊びに出向いているとの評判が常々あった。
新たな産業が生まれるのは、信玄も大変結構といった具合だったが、あまりにも急速に店が建ち過ぎていた。信玄はそれを不審に思い、また警戒し始めていた。外から賊が紛れて民に危害を与えないとも限らない。
その実態を探るべく佐助に花街へ情報収集の任へ就かせたのだ。
しかし、それと同時期に他国の情勢が不安定になり、佐助はそちらの動向も探らねばならなくなった。佐助の身体は二つある訳でもなく、仕方なしに花街の情報収集の方をカラスに一任したのだ。
カラスは頭がいい。人の言葉も分かるし、記憶もできる。カラスの心を読む事が出来るのは読心術を会得している佐助とごく一部の忍だけだ。
情報収集だけなら大丈夫であろうと踏んだ佐助はすぐにカラスを花街へと飛ばした。
それから一度戻ったカラスの報告に佐助は「よくやった!」とこれでもかと褒めた。
カラスはその実態を掴んで帰って来たのだ。
遊女屋の出店を何軒も後押しし、その売り上げを懐に入れているとある人物が浮かんで来たのである。松永久秀だった。
花街にある多くの遊女屋は松永に献金し、また松永はあまつさえ間諜すら送り込んでいるかもしれないというのだ。これにはさすがの佐助も戦慄を覚えた。
それから、カラスはもう一つ情報を持ち帰った。
十年前に行方不明になっていた、東条慎之助の末娘らしき女がどうやら遊女屋で働いているかも知れないというのだ。
それも、見つけた切っ掛けというのがたまたま、カラスが寝床に丁度よさそうな大きな楠に休んでいた所、その木にほど近い部屋で女が外を眺めていたらしい。その横顔に東条慎之助の面影があったというのだ。
その大きな楠がある遊女屋は樟月楼だという。
と、ここまでがカラスが一度戻って来た時の報告だった。
佐助は、信玄に報告するには松永久秀と店側との関係を裏付ける物的証拠が欲しいと思い、もう少し探りを入れさせることにして、またカラスを向かわせた。
しかし、カラスはその一度目の報告以来帰って来ていないのだ。
焦っていてもしょうがないのだが、カラスの身に何かあっては正直困る。一番に困るのは、羽の内側に付けたままの武田と真田の紋だった。これは迂闊過ぎた。
普段カラスを使うのは、急ぎの書簡を送るのに使うので、紋が無ければ相手方に書簡を受け取ってもらえない。だから、常にカラスの内側の羽には紋の刺繍を施した赤い布を縫い付けている。
しかし、今回カラスを諜報に使うのは恐らく半年ぶり以上の事で、佐助はその布を外すのをすっかり忘れていたのだ。
久しぶりにカラスを使ったからと言い訳をさせてもらえばそれまでだが、諜報活動を行うのに、家紋の入った布を付けていればわざわざどこどこの国の者ですと自己紹介をしているのと変わらない。
もし敵国や松永に捕われてしまっては大事になりかねない。佐助はそれを一番に心配していた。
屋根に寝そべる佐助の頭上を、輪をかいて飛んでいる鳥は急に旋回して、左へ逃げる様にして飛んでいった。
右の方から何か来たらしく、そちらを見遣ると黒い大きな羽を広げ、佐助が待ちわびていたカラスが屋根に降下して来る。
佐助はやっと落ち着いた心地がした。
佐助はカラスを労って、それから遅い!と叱った。
屋根に降り立ったカラスの足にはなにやら白い包みが括り付けられていた。
カラスは遅くなった詳細を話し始めた。
もっとも、話すと言っても視線を交わして佐助がカラスの心を読むのだ。
なんでもカラスは甲斐から再度遊女屋へ向かう途中に沿岸を飛行していたらしく、演習中のどこかの水軍に鉢合わせして、足に矢が刺さってしまったのだという。
己の寝床に帰り、それを手当してくれたのが遊女屋の東条の末娘と疑わしき女だと言うのだ。
遊女の名は小夜というそうで、十年程前からこの樟月楼で働いているのだという。近頃はどこかの武家の当主が小夜を妻に迎えたいと、度々使用人を寄越し縁談をまとめ、小夜はもう直きそのお武家様に買われ、妻になってしまうのだとも言った。
彼女は本当は好きでもない男と一緒になりたく無いのだと言う。
カラスは佐助が聞いてもいない事までをも淡々と目で訴えた。その小夜という遊女に随分とほだされている様子だった。
佐助はカラスの足から包みをとって目を通した。
「なになにー。カラスの怪我を処置しました。キズに効く薬です。大変頭の良いカラスですね。これからもどうぞ大切になさって下さい――?!」
カラスは得意げになって、身体をピンとのばし一段と身体を大きく見せた。
「あのね、お前何しに行ったの?この遊女に情移しちゃだめでしょーが。もしかしたら、松永の密偵とか考えなかったの?」
すると、カラスは言う。
「彼女を自由にしてやってくれ。俺よりも長く鳥かごに居る」と言った。
「あのさ、何いっちょまえの男みたいなこと言ってんのさ。大将には確かに甲斐に連れて帰る様には言われてるけど、どっかのお武家様の妻に収まるなら万々歳じゃん。生活には困らないよ」
大将にもそう報告するよ。と言うと、カラスは俺が帰れたのは小夜のお陰だといい、羽を大きく広げて佐助が外し忘れた内側の赤い布をこれ見よがしに見せつけた。
それから、小夜の客に伝説の忍、風魔小太郎が居ると言うと佐助は一瞬にして表情を強ばらせた。
「おい!カラス!それを先に言えって!!ったく、わかった!わかったよ!その縁談何とかするよ」
と佐助は面倒くさそうなため息をついた。
それから、小夜を妻に娶るというその男を調べてみると佐助は何の因果なのだと、小夜を気の毒に思った。
* * *
店も終わり、小夜は 窓を開けて外の空気を入れた。
もやの薄く掛かった裏庭の楠にはいつもの影はない。これでよかったのだと自分に言い聞かせた。
カラスが発ってから三日ほどして小夜を娶りたいと言っているお武家様と対面した。
そのお武家様は木村藤吉郎と名乗った。
少しばかり歳は取っていたが、温厚そうで、笑った目尻の皺は随分と優しそうな印象を受けた。しかしいつ客として座敷に迎えたか小夜にはまったく記憶に無かった。何故自分を妻に迎えたいのかすら疑問に思った。
小夜はため息をついた。吸った空気は湿っぽい。もう腹をくくるしか無いのだとそう考えていた。
樟月楼での十年は随分と長い様に感じたが、時の流れる感覚は何とも早く、いつの間にか自分の年齢も大分いい年だ。
このまま、樟月楼で第一線にいられるのも後数年だろう。この木村藤吉郎ならもしかしたら自分を鎖から解いてくれるのかも知れない。とそう思う事にしていた。
樟月楼に居るのはあとどのくらいなのだろうと考えながら小夜は今日も今日とて、窓辺にだらしなく襦袢を羽織って前も合わせずに涼んでいた。
小太郎はカラスが去ったのと同じ頃から、店にとんと姿を見せなかった。流行の柄でも見つかって店が忙しいのだろうかと思った。小太郎にも自分は嫁にもらわれるのだと伝えなければと思っていた。
小夜は小太郎の事を思いながら考えていた。今まで、客の要望は再三聞いて来たが、小夜の要望を聞いてくれた客は小太郎が初めてだったかも知れない。
お互いあの狭い空間で、もの言わずただそれぞれの時間を過ごして空気のようだった。
無くては困るのかとそう思ったが、小夜は頭を振った。
手すりに腕を乗せ、枕にして空を見上げた。相変わらずこの部屋からは星空は見えにくい。楠の葉がただ風になびいて、葉の音と風音が交互に空しく聞こえるだけだった。
夜闇にふと視線を感じて、小夜は楠の中心を見遣った。黒い影の輪郭が二つも浮いていた。
一つは小夜がよく知っているカラスのものでもう一つは分からない。ただ、カラスよりも丈は大きいという事は確かだった。
しばらく、眺めていると枝を伝ってカラスと共に現れたのは派手な橙色の髪をした男だった。
「やあ、こんばんわ。小夜さん。いやー、すっかりこいつが世話んなったねえ。ありがとう。今日は礼を言いに来たんだ。俺はこいつの飼い主。佐助。よろしく」
カラスは手すりから勝手知ったる様子で小夜の部屋に入って来た。久々の再会に小夜に勢いよく擦り寄った。小夜も嬉しく思わずカラスの首に腕をまわして抱きついた。顔が自然とほころんでゆっくりと何度も頭を撫でた。
小夜は今だ、枝に居る佐助をまじまじと見た。佐助はにっこりと笑いを貼付けている。笑っているというよりは作った笑いで、小夜は自分が観察されているのだと気づいた。
こんな夜分にこの大きな楠に登っているのも何だか人間離れしている。小夜は注意を払いながら声をかけた。
「あんたが、このカラスの飼い主?随分と歌舞伎者ね」
「そ、飼い主」
と佐助も枝を伝って「邪魔するぜ」と小夜の部屋に入って来る。
小夜は思わず、カラスにまわす腕にぎゅっと力を込めた。
強張る小夜をなだめる様にしてカラスは頭を小夜の頬にすり寄せる。大丈夫だと取れるカラスの仕草に小夜は安堵した。
佐助は腰を下ろすと、あぐらをかいて何やらカラスに呆れているようだった。それが何故なのか小夜にはさっぱり分からない。佐助はカラスと視線をかわして、それだけで会話をしている様な雰囲気があった。
「小夜さん、文は受け取ったよ。遊女には珍しく文字の読み書きできるんだね」
「小さい頃、母に習ったの」
「薬草の効能はどうやって覚えたの?」
「私の生まれは山奥の農民。山歩きは仕事だったから薬草や山菜には詳しい」
「なるほどねー」
佐助は後ろに手をついてくつろいで居た。天井に視線を這わしたかと思うと、今度は部屋の隅々を見遣っている。それからうん。白だね。と訳の分からない独り言を言っている。かと思うと、一瞬のうちに小夜の目の前に移動していた。
小夜は何が起こったのか分からずに、眼前にある佐助の顔に驚いてぱちぱちと目を何回も瞬きした。
「さてと、小夜さん。カラスから聞いたんだけど、樟月楼から出たいんだって?」
その問いに小夜は息をのんだ。返答せず緊張した小夜に佐助はまあまあそんなに敏感にならなくてもと笑っている。
「いやあね、こいつも助けてもらったしお礼もしなきゃと思ってるんだけど…ただね、一つこっちもお願いしてもいいかな~?なんて!」
と佐助は懐から薬包を取り出して小夜の顔の前に掲げた。
「小夜さんに求婚してるお武家様?色々調べてみたんだけど…まあともかく、奴が明日の夜、店にやって来るだろう?徳利の酒に混ぜてくれるだけでいいんだ」
その言葉に小夜は身の毛がよだった。
小夜は恐る恐る、その薬方を受け取ってそっと中身を開いてみた。少し匂いを嗅げば分かる。抹香のような匂いは、樒の粉末だった。
つまり、この佐助は木村藤吉郎に毒をもってくれと頼んでいるのだ。何も言わない小夜に佐助は構わず続けた。
「それ、やってくれたら小夜さんを樟月楼から出すよ。働き口なら俺、知り合いの団子屋に頼んでやってもいいぜ?」
笑う佐助に小夜は人間としての倫理的な何かが欠如しているのではないかと思った。全く人の死という物に対して酷くドライでそれを何とも思っていない様子だった。
小夜はカラスの首に顔を埋めた。突然そんなことを云われてもどうすればいいのか分からないのだ。
自分の自由を選ぶか、その為には人を殺めなければならない。選択しろと言われても決められる訳がない。
近頃小夜は、なるべく、自分が鎖に繋がれるというものではなく、木村藤吉郎の申し出は自分は大切にされているのだと考える様に努めた。そうでなければこんな遊女風情を妻に娶るなど普通の人間なら考え無いと言い聞かせ始めていたのだ。
そう考えを改めようとした時にこの佐助はその藤吉郎に毒を盛れという。
神様は何て意地悪なのだろうと思った。ここまでしなければ樟月楼から出られないのかと問いつめたかった。
カラスにしがみついたままの小夜に佐助は言った。
「言っとくけどね、小夜さん。あんたの為に言うけど、あいつと、木村藤吉郎と一緒にならない方がいい。あいつは人を殺めてる」
真剣な顔つきで言ったかと思うと、佐助はまた最初の調子に戻った。
「いやー、俺様ここまで言うつもりじゃなかったんだけど、カラスが言え言えって五月蝿いからさ~ごめんね。まぁ後はあんたが決めてくれ」
じゃ、と佐助はその場を後にした。カラスは一緒に立ち去らずに小夜の側に付き添ってくれている。
「ねえ、私…どうしたらいい?」
その問に、カラスはまた小夜の頬に頭をこすり付けた。