朝 顔 の 檻
第 一 話
広い座敷にむさ苦しい男たちが雁首揃え、賽を手にする男をじっと見つめている。中盆に座る男は、手慣れた手つきで賽を放り、目にも留まらぬ早さで壺を被せ、一二度敷物の上を前後させた。それがぴたりと止まった瞬間、待ってましたと言わんばかりに客らは弾けるように腰を上げ、丁だ!俺あ半だ!と威勢のよい声が飛び交った。壺振りの脇に座っていた仕切りの男は、手際よく掛け金としての札を預かり、そちらさんは!と幾度も手をかざしている。丁半賭博は、座につく人間の大凡半数ずつを丁半のそれぞれに賭けることが決まりである。今夜、泡銭を求め水際に集まった餓狼どもはざっと二十三名。今は丁に十一人分、半に十二人分の賭け札が積んであった。丁にはあと一口分の余裕がある。夜半過ぎから繰り返されていた賽転がしも、始まりの盛況時からすると、金を吸われ萎びた様子の者が多い。この振りが最後の一回となるようだが、だからと言ってあと一口に手をかける、そんな懐に余裕のある輩は、今夜の賭場には居ないように見受けられた。
だが、賽振りも商売だ。取り仕切る男は、おもむろに立ち上がると、左近の側までやってきて耳打ちをした。
「島様、丁にあと一口どうです?」
「俺あもう半に札二枚分積んじまった」
「今夜は丁半、両方、特別によろしゅうございますよ。お頭には黙っていやすんで。いっつも島様にはあっしらいい思いさせて貰ってんで」
男はにへらと笑った。この賭場で、左近の勝率はあまり良い方ではない。
「おい、そりゃ当て付けか?」
「滅相もねえ。双方賭けるにはまあ、倍の賭け札が必要になりやすが、どちらかは必ず当たりがきますでしょ。今夜もお頼みするからには、勝った暁にはせめて色付けて、掛け金持って帰って下せえよ。ほら、そうすると、半が来なかった時より損は少なくなりやすよ?へへっ」
そういった男に、左近は、大きくため息を付いた。結局は左近の負けが前提で話が進んでいる。
賭場の雇い人たちがこうして客を煽るのは、掛け金の達成額があるからだった。今夜はあいつの仕切りでいくらの売上げ、又別の日はいくら…といった具合で日々の仕事ぶりを計られるのである。手を揉みながら、男は再度「お願えしやすよ、旦那あ」と猫撫で声を出した。煩わしさも相まって、左近はあっちへ行けと追い払うように丁の方へも一枚札を投げた。これで丁に一枚、半に二枚と両方に賭けた事になる。金は飛ぶが、色をつけると言った男の言葉を左近は疑わなかった。以前にも丁半両方に賭けたことがあった。
「へへ、かたじけねえ。さっすが島様だ。賭け時ってもんわかってらっしゃる!」
男は調子の良いことを言うと持ち場へ戻った。双方出揃いました!ようござんすね。と、威勢のよい声を荒らげている。
左近は余計に入る金の使い道を考えた。勝った場合のことだけ考えるのは前向きな彼の性格故だ。まずは…と考えたところで、瞬時に黒田官兵衛の顔が過っていた。先日、一両借りていたのである。小生が穴暮らしだからって貯めこんでると思うなよと言うも、官兵衛は快く貸してくれた。
早々に勘兵衛に借金を返し、残った金は上等の酒でも買って城へ持って帰ろう。そう決めた時、壺振りが手首をくるりと回し、賽の出目を披露した。結果は一とニ、半である。
座は騒がしさが膨れ上がっている。頭を抱える者もいるし、可もなく不可もなしと言った具合で、涼しい表情を浮かべる者もある。
結局、左近が丁に掛ける必要はなく、双方へ賭けた己をつまらなく思った。やはり性分には合わない。一か八かの大博打こそ博打打ちの醍醐味である。とまあ、傾いたところで三成に賭け事ばかりに精を出しおって貴様と、どやされるのには変わりなかった。
賭場の雨戸が音を立てた。本日はお開きである。溶け出した朝がようやく部屋に顔をのぞかせ、客らは眠そうに立ち上がり、床を軋ませ場を去っていく。
左近への余分な払い金は、人の目があるので上階で受け取ることになっていた。壺振りの男が二階へ行けと顎でしゃくるのを確認し、左近は一旦長屋の外へ出ると、裏の階段を上った。
今は長屋の一部となっているこの建物は、元々料理屋だったようで、賭場の胴元がその店を丸ごと買いとって賭場にしているが、元料理屋の名残は二階にあった。何百年というよく磨かれた檜の大黒柱があり、床の間の調度品は、料理屋当時のそのままに、南蛮から仕入れたらしい「ぎやまん」という珍しい細工の香炉が飾ってあった。中からはいつも柑橘類と桃李の混ざった不思議な香りが漂っていた。行灯も螺鈿の縁が艶かしく光り、その後ろにはご丁寧にも女郎用のろうそくまで用意してある。恐らく二階は芸姑などよく呼ぶ上客専用だったのだろう。
大きなあくびをした左近は、男が金を持ってくるまでしばし横になった。体を投げ出した途端、大分疲れが溜まっていることに気がついた。賭場に来る前は、領内の見まわりでかなりの距離を歩いていた。意識が少し己から浮きかけた時、襖の外より「島様」と声がかかった。
「おー、きたか」
へい、と言って頭を下げ、男はふすまから再度現れた。
「どうぞ、旦那。色つけた分でございやす」
そう言って男が差し出したのは、金…ではなかった。後には女が一人、廊下に手をついている。顔を上げて「お相手つかまつります」と華奢な体から発した声にはまだ少し幼さが残っていた。見かけは十六、七、それくらいだろうか。無理に笑みを作ろうとしているが、ぎこちなく弧を描いた紅も、大柄の牡丹が染められた派手な着物もあまりに似合わない。ただ、所作は良いとひと目で分かった。礼や手の付き方はどこか大阪城の侍女たちと似ている。いいやしかし、左近はそんな事を言っているのではない。話が違うのだ。
「おい、余計に貰う約束じゃねえのか」
「い、いえね、旦那。それがちょいと、親分にバレちまいまして…」
「勘弁してくれ。俺は女を買うほど飢えちゃいねえよ。ったく、こんなことなら帰るぜ」
部屋から出ると、若い女は慌てて手をついた。背を向けた拍子、申し訳無さそうに「あの、」と声を掛けられるも、左近は無視をして階段を下りた。
外は既に明けきって、屋内との差に目眩がしそうな程だ。こんな陽がさんさんと昇る頃から、淫売の女の肌を嗅げとは、益々馬鹿にされていると思い、左近は頭に血が上っていた。一応は立派に健全な成人男性ではあるが、そういうのは時と場所とを弁えているつもりである。
むしゃくしゃする気持がどうにも収まらず、朝日の眩しさに耐えかね、身を隠すように路地へ入った。この道を真っ直ぐ行けば、城へ抜けられる。辻に差し掛かった所には、馴染みの乾物屋がある。店の前には道幅に掛かるまで、とろ箱が積み上げられていた。今は仕入れの時間なのだろう。道端にのら猫が一匹、干物を狙っていた。左近は追い払うために一蹴りした。思いの外振り上がった長い足は、積み上げられたとろ箱にぶつかり崩れ落ちる。盛大な音と、人のうめき声、猫の喫驚な声に驚いた店の主人が血相を変えて出てきた。
「なんでえ!なんでえ…!って島様じゃねえですか。何やってんです」
「わりいな、主人。ちょいとすっ転んじまって」
「怪我なさったら石田様にまたどやされますぜ。ささ、お手を」
「ああ、すまねえな」
乾物屋の店主に引っ張りあげられる時、左近の頭上へはぬっと人陰が押さえつけるように掛かっていた。線が細い体の影、そこには長い刀の形が沿うように続いている。左近はそれだけで人物を判別出来た。が、恐ろしくて顔を挙げられない。背中には嫌な汗をかいていた。降った言葉は相変わらず機嫌が悪そうである。
「左近、貴様またこんな所でどういう体たらくだ」
「す、すんません!三成様!」
「すぐ仕事だ。着いて来い」
「へい」
左近は店主に謝ると、三成の後を追った。
三成は早朝から左近を探していたらしかった。城内、左近の部屋を訪れたが、もぬけの殻であり、布団すら敷いていないのを確認した三成は、すぐさま賭場への道々を探しに歩いたのだという。だが、三成自ら左近を探しまわるのは珍しかった。いつもなら左近が早朝城へ帰った後に、くどくどとお説教が始まるからである。
甘味屋の角を曲がり、柳の下をくぐり抜け、架橋を渡って城へ到着した。通いの使用人や直参なども登城し始める時分である。左近たちが城内を闊歩していれば何処からとも無く声が掛かった。三成はそれに対して、今日も励めとぶっきらぼうに答えている。返答を受ける家臣たちは恭しく頭を下げては、嬉しそうに持ち場へ駆けて行った。
やがて、二人はとある広間へやってきた。ここはよく重臣らの会議で使う広間だ。廊下へ跪き、失礼しますと障子戸を滑らせると、中には豊臣一の軍師竹中半兵衛、それに三成の一番の友人である大谷吉継が揃って出迎えた。
二人は共に病持ちである。それ故か、よく会話の話題になるのは、医者の話か、薬の話、体に良いとされる菜だったりで、吉継に至っては近頃薬膳料理にハマっているというから、これまた各々体の具合を良く保つのには一層情報交換が欠かせないらしい。三成と左近が部屋へ入る一寸前も、薬がどうのと耳にした。
「三成くん、ご苦労様。左近くんは相変わらず夜な夜な、博打打ちかい?」
「いやあ…はい…」
「まあ、ほどほどにね。身を蝕むことのないように」
「へい」
吉継が、うぬらも座れと空いている座布団を指さした。
左近は腰を落ち着けて部屋を見渡した。もう空いている座布団はない。今朝の会議はこれだけなのだろうか。すると半兵衛が口を開いた。
「では、揃ったところで。朝早くから左近くんを呼んだのは、ちょっとお願いしたいことがあってね。暫く勘定方に入ってもらいたいんだ」
突然の命に、算盤で頭突きを食らったように頭を抱えた。左近は賭け事の金勘定は得意でも、事細かに金の管理をするのは滅法苦手だ。しかし半兵衛の様子は実に慎重で、その内容を三成は既知の様だ。切れ長の目はよく聞いておけと訴えている。どうやら、訳ありのようだった。
すると半兵衛は脇に置いてある一冊の帳簿を手にとった。これは城に掛かる経費、政務費等々主に記されたもので、帳簿の管理は勘定方の管轄である。大阪城は人が多い分物入りで、また遠方の属領へも家臣を派遣することがしばしばあるが故に、歳出入はそこらの大大名と比べ物にならないほど大きい額が動いている。
「今しがた勘定方に借りてきた帳簿だ。見て欲しいのはここ。五年前ほどから蔵の貯えがおかしいのが分かるかい」
「えーと…、本当ですね。帳簿見る限りじゃ前の年より相当な金が減ってます」
「そう。これね、明らかに記載がおかしいんだ。ここのところ城の大きな改修なんてやってないし、戦はあったけどどれも例年に比べて行軍は小規模で近場。それに城の使用人を増やした覚えもない。だから記載間違いだろうと蔵の千両箱を確認してみたんだけど、何故か帳簿の額と一致してるんだ」
「帳簿と蔵の千両箱の数はあってる…それって、あっ…」
「それをうぬに調べて貰いたいのだ」
「へ、俺に?」
今まで腕を組み黙っていた三成は溜息をつき口を開いた。
「秀吉様は内部の者の使い込みがあるとお考えだ。城の金を使うとなれば上役の許可が入る。だが、半兵衛様も秀吉様も多額の金の使用を勘定方に許可した覚えがないのだ。であるならばだ。帳簿に虚偽の記載を施し、蔵の金をどうこうできる輩がいるということになる。勘定方に詳しい人物意外にほかない」
「皆を疑うのは辛いけど、もちろん許すこともできないからね。左近くんは城の者とも仲がいいから、悪いんだけど勘定方に一月ほど就いて貰って、少し探ってみてくれないかな」
「ええ、俺に出来ることなら、なんなりと」
「ぬしならそう、言うと思った。頼んだぞ」
話はそれだけ。半兵衛が告げると、見計らったかのように女中が膳を運んで来た。皆朝食はまだだったようだ。左近も吉継に勧められ、手を合わせた後、湯気の立ち上る味噌汁をすすった。隣の三成はたくあんを頬張り、昨晩の左近の戦績を問いただした。左近は口から椀を離すのを躊躇った。勝っても負けてもお小言は投げられる。
「あーっと…」
「貴様も懲りぬな。ほとほと呆れる」
「い、いやあ昨日は勝ちましたよ!本当に!」
「官兵衛がはやく金を返せとこぼしていた。それから、あの長屋の賭場にはあまり出入りするな。悪いうわさしか聞かぬ」
「別に俺は何とも思ったことないですが…。仕込みの素振りも見せねえし、身包みも剥がされた事がない。何処にでもあるムサイ賭場ですよ」
「誰が貴様の心配をしていると言った。聞け、あの賭場の頭領たる奴はどうも裏で女の売り買いをやっているらしい。左近、いいか。貴様、賭け事まではまだ目をつむっといてやるが、何処の馬の骨ともしれぬ女に出し抜かれでもしてみろ。秀吉様に恥を欠かせようものなら、私が許さない」
「へ、へい…十分肝に銘じておきやす」
半兵衛は二人のやり取りを見て笑っていた。
「はは、三成くんに左近くんを付けて良かったよ」
「ひどいですって半兵衛様。俺だって、善し悪しの判断くらい出来ますよ」
「うん、その意気だ。じゃあ、朝食が終わったらすぐ勘定方の手伝いを装って、善し悪し見極めてきてくれると助かるよ」
しれっと半兵衛も人使いが荒い。だが勿論左近は期待を一心に受けているのだと意気込み、茶碗の飯をかき込むと張り切って広間を出て行った。
「あやつめ、調子に乗らねばよいが…」
庭を掛ける犬のように飛び出た背を眺め、吉継は茶をすすった。