七、見えない謀計

「ったく、…そりゃどういうこった」

 政宗は走らせていた筆を止めた。顔をあげると入口付近に鎮座する右目の表情もまったく腑に落ちない様子だ。
 小次郎とゆえの一件を受け、政宗はすぐにゆえを探させていた。ひと目を盗んで逢瀬をするくらいだから、早々に米沢界隈から居なくなる筈はないと高をくくっていたのが間違いだった。既に二日が経過している。人を割いてはいるもののゆえらしき女は見つからない。それどころか、監視役としてゆえに同行させていた黒脛巾は『ゆえは無事に出羽国へ入り、病の両親共々家族穏やかに過ごしている』と全くもって時系列を度外視した定時報告を上げてきたのである。政宗と初穂が抱擁していた時分も、彼女は宿場の暖簾を潜ったところであったらしい。
 報告の為帰参した忍は、こちらの状況を知らないとはいえ小十郎から聞かされた内容に顔を青くしていた。「己は狐か狸に化かされていたのでしょうか…いいえ、しかしこれは失態には変わりありませぬ!今ここで!」などと言い、おもむろに短刀を取り出そうとするので、政宗は慌てて止めた。しかし米沢にも出羽国にもゆえが二人居るような塩梅はまったく奇妙な話である。
 侍女が城を出たのは逢瀬前日の昼前だった。政宗と初穂が遭遇したのはその翌夕刻。この間、一日と三刻ほどだが、米沢から峠の宿まで一日少しで往復することはまず男の足でも不可能だ。ゆえが手練の忍をも凌駕する脚力の持ち主か、あるいは空を飛ぶとか、人知に及ばぬ異能の力を持っているなら話は別だが、非現実的過ぎて到底ありえない。

 一方の小次郎といえば、義姫の政の補佐をしたり、茶会と称した会合を開いたりと当たり前の日々をつつがなく過ごしている様子だった。
 近頃、東の客人は中野宗時が連れてくる連中が多く、素性のしれない浪人だったり、各地を転々とする行商人など、伊達には全く縁もゆかりもない人間ばかりが訪れている。不特定多数の人間が城へ頻繁に出入りしていては、建屋や蔵、武器庫の場所など手の内を明かすのも同義だ。それ故に、義姫が誰彼構わず招き入れることが政宗はどうも鼻持ちならない。小次郎とゆえの一件も相まって、また何かこそこそと動いているのではないかと、懐疑ばかりが頭をもたげる。
 小次郎に「いついつ、なんどき、お前はどこで何をしていた」と、直接問いただす事も出来たが、政宗を伊達家当主の座から引きずり降ろそうと年がら年中模索しているような母である。義姫の耳に入るのが心底嫌だった。輝宗の死後荒んでいた内儀は今小康状態であるのに、わざわざ波風を立てるのが億劫だったのだ。
 筆を硯に寝かせると、政宗は煙管を手に取り天井に向かって紫煙を吐いた。視界を覆い尽くした煙は冷たく乾いた空気に混じり余計に目がしみぎゅっと左目を閉じた。
 自分たちが遭遇した事実も、黒脛巾からの報告も、どちらも真実でどちらも嘘のように思えてくる。こんなことなら強引に垣根を割ってでも踏み込んで、確実にその場で真偽を確かめるべきだったと今更ながら後悔していた。
 同名の人物が城で働いてはいないかと僅かな可能性も考えたが、他に『ゆえ』という同じ名前は思い当たらない。ただ──

「一度、侍女の過去を洗い出してみるか…、どこで誰と繋がってる…?」

 煙管の灰を返すと、肘掛けに体重を掛け腰を上げた。すると小十郎は「政宗様」と諌めるような声を出し、主の傍らに積み上げられた帳面をじっと睨んでいた。

「Allright…、わかってる。こっちが先だ」

 戦の準備も重要なこととはいえ、毎回難儀なものだった。政宗は必要な物資は必要な分だけえいやーと持っていけばいいと考えているが、小十郎は断固としてその考えを正してくる。兵の数を頭に入れ、逗留日数に気を配り、荷はできるだけ最小限になるよう差配すること、そして士気をあげるのが大将の努めです。と、政宗が大舞台へ立つ度に右目は小姑になる。
 頁を捲り、各隊より申し受けた数量を改めて吟味していると、政宗は再び以前と同じように桁一つ違うのではないかと思う項目が目に入った。朱書用の筆を咥え、書き損じの紙を破り注釈して挟むと「小十郎」と声を掛けようとした。その時、留守政景が「失礼いたします」と顔を出した。困惑した様子で一礼すると小十郎の傍らに座した。

「どうした。政景、随分微妙な面しやがって」
「政宗様、義姫様が名を改められるとの事です。大殿もお亡くなりになった今、出家なさると」
「…へえ。虎哉和尚から名前もらってとっとと城から出ていって貰いたいもんだ。何なら今すぐにでも宮大工呼んでもいいぞ」
「政宗様、あまり軽はずみは言動は謹んでください」
「手向けに頭巾でも送ってやるか」

 ため息をつく小十郎をよそに、政宗は手にしていた帳面を取った山とは反対側へと積み直すと、手持ち無沙汰になった手で頭の後ろをがしがしと掻いた。義姫が出家するならもう少し早い時期でも良かった筈である。何故今の今ままで先延ばしにしていたのか…、或いは名前にでもこだわっていたのだろう。

「ったく、本当に父上のためなのかも疑わしいな。で、政景わざわざ伝えに来てくれたってのは、何か言伝があんだろ」
「は、義姫の名を持つ最後、親子水入らず食事をどうかと…仰っておいでです」

 政宗は顔を手で覆った。ため息が出てくる。名前と風貌が変わるだけで、その中身が一朝一夕で阿弥陀如来のような心を持ち合わせることは無い。出家し何某院を名乗っても、今日日先立たれた正室の殆どは、住まいも居場所も変わらぬ方が多い。その中でも熱心な信徒であればわざわざ建立した寺に籠もったり、懇意にしている寺へ世話になり朝晩経を上げたりもする。だが義姫は出家しても城で生活するだろうと政宗は推察していた。東の館に居続けることには変わりないのに、何が最後の食事だと吐き捨てたくなる。己の感情のままに返答したいとも思ったが、ふと輝宗の言葉が頭を過った。阿武隈川でのこと、大内定綱に刃を向けた際「そうして行きなさい」と言葉を残した。反する者や好まぬ者を誰も彼も裁くのではなく、許し、冷静に事を見極めることも必要だと父の死をもって初めて学んだ。
 義姫は正真正銘実母だ。政宗を産み、毛嫌いしながらもここまで育ててくれた。弟ばかりを偏愛する母あればこそ、ある意味今の政宗があると言っても過言ではない。政宗は小十郎へ視線を流すと腹心はゆるりと頷いている。今後の事を考え申し出は受けておけとの意味だ。政宗は目を細めた。

「政景、謹んでお受けしますと、伝えてくれ」

 政景は目尻に皺を寄せ、深々と頭を下げて出ていった。政宗はとうとう畳に身を投げると、天井を見つめたまま口を開いた。

「小十郎、代わってくれ」
「出来ません」
「なあ、休憩していいか」
「疑いのある人間を洗うのは構いませんが、あまりのめり込まないように気をつけて下さい」

 人の過去を詮索することは、いまいち褒められたものでもありませんので。政宗の行動は小十郎にバレていた。政宗はゆえが過去米沢にて本当に奉公していたのか、また奉公していたなら、そこから何か掴めはしないかと考えていた。ひとしきり古い給金の帳簿など調べようと思っていた。
 がばりと起き上がった政宗は、机の横に積み上がった山を一瞥し「この山は今日中に片付ける。見終わった分は書庫に保管してくれ」と言い執務室を出た。

 政宗はその足で、初穂を探した。
 あの日、城に戻った後政宗は動揺していた初穂に暫く付いていたが、彼女が不安気な様子を見せたのはそれきりで、この所一層仕事に励んでいた。朝はいつものように朝食を持ってくるし、何か針仕事はありますかと尋ねてくれたり、毎日部屋の掃除は欠かさない。昼はこの所軍備の調整に忙しい小十郎に代わって畑の整備、八つ時には何かしら菓子等準備してくれ、夕刻には再び食事の用意、そして臥所を整えたりなど忙しくしている。今の時間帯は、厨で八つ時の用意をしているかと思い、政宗は濡れ縁を辿らず中庭を横切って厨に入った。初穂の姿は無かったが、土間の小上がりには盆に土瓶と湯呑が乗せられ、かまどにはせいろが掛けてあった。まんじゅうでも作っているのだろう。甘い香りがふわりと蒸気に混じっている。暫く腰掛けて待っていると初穂は戻ってきた。入るなり驚いた様子で目を丸くしていた。

「政宗様…!」
「よう。今日はまんじゅうか」
「はい。もうすぐ上がりますのでお持ちいたします」

 初穂は、かまどに向かいせいろの蓋をとると、湯気を浴びながらできたてのまんじゅうを取り上げ始めた。

「少し…、作りすぎてしまいました」

 土間に立つ彼女の後ろ姿を眺めているのも悪くはなかった。寧ろいつまででも見ていられるような気がした。初穂は盆を掲げて振り返るとふふと笑っている。まんじゅうはこんもりと白い山を作っている。確かにこの量は…作りすぎだった。「こんなに食べきるか」「もちろん他の方へもおすそ分けでございます」と和やかに会話を続けていると、厨に近い濡れ縁の廊下から若い女中たちの話し声が届いた。

「ねえ、あの話、聞いてる?」
「あの小浜からの侍女の話でしょう」
「小次郎様とただならぬ仲だって」
「それ、本当なのかしら…」
「私もまさかとは思うけど、火のない所にって言うでしょ?第一、侍女の主が、政宗様をたぶらかしているんだから、無いとも限らないわよ。どんな手使ったのかしら」
「政宗様も珍しもの好きだから、あの目じゃないの。やだ、まさか妖術を使うとか…?政宗様付きになったのも、そのせい?」
「ちょっと、気味悪い事言わないでよ。とは言え仮にも謀反を働いた主従ともども、伊達家の子息につばをつけるなんて浅ましいったらないわね」

 黙って聞いていれば、好き勝手適当なことを言うものである。政宗は一喝してやろうと思った。厨を遠ざかる前にと腰を上げ、土間を出ようとした。ところが初穂は政宗の袖を引っ張っていた。

「政宗様…」
「ふざけんな。問いただす」
「良いのです!」

 初穂は政宗の腕を取っている。引き止める初穂を振りほどくことはできず、政宗は向き合った。「ご無礼をお許しください」と俯く初穂を促し、二人並んで腰掛けた。しかし先程の女中たちはいかにも以前から知っているといった口ぶりだった。ゆえの件は、政宗たちの他には小十郎、それに一部の黒脛巾しか知り得ないはずだ。それに加えて、一番に腹が立ったのは初穂との仲について邪推されている事だった。確かに、大内定綱の養女は始めこそ政宗を苛立たせる人間だったが、初穂は非力でも必死に臣下を守ろうとし、また…政宗にも等しく優しい心を持って接してくれた。そんな彼女を選んだのは政宗自身だ。それをとやかく言われることが無性に腹立たしい。

「初穂こっち向け」

 初穂は困ったように笑みを浮かべていた。「それは…、中にはよく思わない方もいらっしゃるでしょう」
 小十郎が受け取ったという名家からの書状は、見え透いた下心が散らばる文ばかりで、家の繁栄を目論む者ばかりだった。更に初穂は続けた。

「ああいう風に言われるのもいた仕方ありません。もしかしたら…その中には、本当に──」

 政宗は咄嗟に初穂の腕を掴み口を封じた。視界は真っ暗であるのに、頭の中は何も考えられず呼吸は止まり真っ白になった。初穂の後頭部には大きな手が押さえつけられるようにして添えられている。初穂はしばし身を任せていた。以前であったなら怖いと逃げ出したいと思っただろう。それが今は不思議と感じず寧ろ応えたかった。政宗の腕を縋るように掴むと時々荒々しく噛みつかれるような口づけに息が上がってくる。呼吸が次第に苦しくなり、初穂は思わずぎゅっと手に力を入れていた。それに気づいた政宗はようやく我に返った様子だった。肩を上下させた政宗は初穂の頬に一度口づけをすると、初穂の顔を両手で挟んだ。

「だーかーら、余計な心配してんじゃねえよ。分かったか」
「…っ、はい」
「(ったく、こんな事ならあの時無理矢理にでも…)」
「?政宗様…?」

 下から覗き込む初穂に政宗はなんでもねえ…と再びもたげそうな獣を押し留めて羽織を整えた。
 兎にも角にも、小次郎とゆえの謎の逢瀬、ゆえと不明な忍の行動、そして中野宗時の界隈を鑑みるに義姫は確実に水面下で策動していると思われる。
 政宗は、報告に来た黒脛巾の話を初穂にも伝えた。初穂は眉を寄せ事実を受け止めていた。初穂はゆえを信じていたかっただろうが、ここまでくれば何か隠し事があるのは明白で、彼女の不穏な行動の理由を初穂も知りたいと思ったからだ。それは政宗も同じである。小次郎が何を考えているのか何が起こっているのか、芽は早めに摘んでおきたかった。じきに戦も始まれば、政宗不在の最中城で騒動など起こっては戦に集中できない。

「しかし、こっちが知らないだけで、噂はあったみてえだな…。アンタは気づいてなかったのか」
「申し訳ありません…。まったくそんな素振りは感じませんでした。女中仕事をしている間もそのような話は一度も聞き及んではおりません。勿論、皆私の前では話せなかったでしょうが」
「まあ、アンタの侍女だからな。アンタの居るところじゃ与太話もできねえか…」

 初穂の膝の上で揃えられた手は、いつのまにか前掛けをぎゅっと握りしめていた。政宗はその上にそっと手を重ねた。顔を上げた初穂は頬を赤くしている。

「ゆえは昔ここで奉公していたと言ってただろ?古い給金の帳面や、女中の名簿をあたってみようと思ってな。手伝ってくれるか」
「もちろんでございます」

 二人は、出来上がったまんじゅうを小十郎と年配の女中に届けた後、書庫へ向かうことにした。濡れ縁の軒下から空を見上げると少し曇り始めている。薄く灰色の雲が覆い冷たい風が吹き始めた。また雪が降ってきそうである。明かりを持ってくればよかったと政宗は思ったが、書庫にも行灯くらいはあるだろうと思い引き返さなかった。
 ここは以前、初穂が遠藤基信とよく出入りしていた場所だ。政宗にも詰め寄られた…場所でもある。部屋の手前は新しい年の帳面、奥に古い帳面が種類ごとに分けられている。政宗は後ろ手に障子戸を閉めて奥に進んだ。この部屋は少々埃っぽく黴臭い。天井まである書棚から目的のものを探し始めた。
 一冊ずつ一寸ばかし引いては、表表紙の題目を確認し中を見開いていった。壁一面分終えたが彼女の名前は見当たらない。ゆえは十年ほど前に奉公していたと言っていたから、もしかすると蔵にあるのかもしれなかった。

「さすがに量があるな…」
「奉公されている方も多いですものね」
「ここを探して無いとなると、蔵まで見ねえとやっぱだめか」
「今日はひとまず、この辺りに致しましょう」

 夕餉の準備に取り掛かる頃合いだった。初穂も自身の仕事があるし、政宗もそろそろ帰らねば小十郎の小言をもらうだろう。板の間にあぐらをかいていた政宗は「また声をかける」と初穂に言い、腰を上げた。その時ふと、冷たい空気がすっと床を伝って足元に届いた。明らかに誰かが入口の戸を開けたのである。誰だろうと政宗は棚から顔を覗かせた。ところがそこに立っていたのは成実だった。なんとなく辺りを警戒するような素振りで棚をぐるりと見渡して、彼もまた探しものをしている様子だ。
 政宗は成実に声を掛けると思いきや「こっちにこい」と初穂の腕を引っ張って棚と棚の隙間に潜み、彼をしばし観察していた。初穂も政宗に抱かれたまま、成実の様子を伺った。輝宗の一件以降、二人の不仲が続いていることを知っていたし、成実が政宗や小十郎とあまり顔を会わさないことも聞いてはいるが、今尚その溝は埋まらないままであるらしい。初穂はそっと政宗を見上げた。成実を見つめている政宗は、一体何を思案しているのか全く検討もつかない。早まる鼓動に胸が痛くなる気がした。
 成実はひとつ、ふたつと棚を通り過ぎると、驚いたことに成実もまた、政宗と初穂が調べていた棚に留まった。その後、一通り帳面の中身を眺めるとさっさと退出してしまった。成実が去ったあと政宗は「そういう事かよ…」と小さく呟き、初穂は痛いほどきつく抱きしめられた。

「こりゃ、楽しみだ」

 政宗は不敵に笑っていたが、初穂は不安が増すばかりだった。