餅を火鉢で焼こうと思い、網を持ってくるよう女中に命じた。
炭が赤く白く灯っては消え、斑に弱弱しく燻る様はじつに儚い。火箸で炭を広げると同時に、己の侘しさを映したようにも思え、舞った火の粉には先日の戦を思い出した。
戦は、同盟を組んだ徳川家康軍と、対石田三成軍との前哨戦を請け負ったものだった。己を鼓舞して多くの兵を相手取り、六爪を血に染め、ついには大将首を討ち取った。
戦場では女房や子供の名前を呟きながら命乞いするものもいた。しかし、その叫びを耳にしたからといって、情を移す訳にもいかない。一瞬の迷いは命取りになる。斬らねば斬られる。政宗自身も己の妻、一葉の為、前線は是が非でも突破せねばならなかった。
政宗の室である一葉は、伊達、徳川の同盟を結ぶ際、その契りとして人質となっていたのである。
「一時、側室である一葉殿を岡崎へ預け置く様に」
家康がそう要求してきたのは、一度、歌会で顔を会わせ、一葉の歌に心底惚れたとのたまっていたからだろうと思った。もちろん政宗は反対していた。見くびってもらっては困る。伊達軍に同盟など必要ない。そう思い頑に断り続けていたが、状況は一変した。
敵対する石田三成は、政宗が豊臣秀吉を討ち、その死後、周辺諸国の大名をを束ね、兵力を集結させ挙兵の噂が立ち始めたのである。あの毛利ですら石田軍に加勢するのではとの報せも飛び交い、目を逸らせぬ状況となっていた。日ノ本中の大名を巻き込んでの大戦になるのは時間の問題で、現状有利に働く徳川に加勢をする事こそが、政宗が天下に一歩近づくことであった。
ちょうど昨年の晩秋、深く冷える夜のことだった。政宗は今の様に火鉢にあたり、徳川との同盟について一葉と二人、語っていた。一葉を家康の元へやらねばならぬやもしれぬ。そう伝えると、一葉は「左様でございますか」とだけ答え、政宗に体を傾けた。淡い灯りに照らされた髪が美しいと、政宗は手を伸ばし一葉の髪に指を通した。絹のようにはらりと落ちた一房をまた耳に掛ける仕草が、殊更目に焼き付いている。一度伏せた目を政宗に見据え、一葉は唇をゆっくりと動かし、言葉を紡いだ。
「わたくしは、政宗様のお役に立てるなら、戦場でも、地獄でもどこでも参ります」
柔和な笑みを浮かべ、一葉はいつも己に従順な言葉をくれる。慕い、寄り添う一葉は、心は側にとでも言う様に、政宗の胸にそっと手をふれた。
戦終わりの荒んだ政宗を暖かく出迎えてくれるのもいつも一葉である。政宗はその時ほど愛おしいと思わずにはいられない。腕の中にきつく収めれば、優しい香の香りに包まれる。愛してやまない我が妻を、天下の為とはいえ他所へ、家康の元へやるのは心苦しかった。
「少しの辛抱だ。すぐ迎えに行く」
政宗の言葉に一葉は「お待ち申し上げております。政宗様」と笑って見せたのだった。
ぱちと炭がはじけ、政宗はまた火箸を動かした。あの夜のことを、近頃こうやって思い出すのである。庭の葉も枯れ、落ち行くその様に心がそぞろになっているのだろうか。花弁が水面に落ち広がる波紋のように、政宗様、と透き通った落ちつく声も、白い肌も、あの香の匂いも、思い出してはため息が出た。
天下の為、日ノ本を治めるためとはいえ、一葉が居ない、それだけで日の移ろいは味気ない。政宗にとっても今が正念場であるの十分に承知していた。大局を見極め、同盟を結んだ家康との連携をとりつつ、しかし天下への野望の火を弱まらせることは決してなかった。一葉が城を離れて早一年、大事を成すには短く、愛しいものを想うには長すぎる―そう考え始めては、なんとも歯がゆい気持になった。
夕焼けは雲を金色に縁取って、ずっと眺めていたいほど美しい空模様だったが、季節により近頃は夜が訪れるのが早く、長くなっている。
「逢いてえな…」
ぽつりと呟いた言葉は、夕日と共に沈んで行った。
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それから間もなく、政宗は次の戦地へと赴いていた。
落ちきった枯葉の上を騎馬が列を成し進んで行く。目ざすは武田軍の要である真田幸村の隊であった。石田軍との戦が本格化する前に、武田は何としてでも抑えておきたい。家康のその言葉に、政宗も同じ考えであった。
高台にいれば、今にも雨を降らしそうな曇天に押しつぶされそうな程、空が低い。どんよりとしたその灰色の中に、緋色の登りがいくつもはためいていた。真田隊である。
家康の策は、後方から伊達軍が真田隊を攻め、その隙に家康が武田信玄の首を狙うというものだった。いつまでもあの甲斐の虎が、日ノ本のほぼ中央のあたりに陣取ってもらっては、都合が悪い。それについては家康も同じ考えであるようだった。
そして、政宗の目的はやはり真田幸村との決着である。真田幸村という人物は、唯一、己の血を滾らせる暑苦しい人間である。これまで幸村とは幾度も刃を交えていたが、尽く邪魔が入ったり、已む無く勝負を付けられぬ事態であったりと、一向に勝負が付かなかった。が、今まさにその舞台が用意されている。
武田軍攻略が済めば、ひとまずは徳川の覇権が及ぶ処も広がり、諸国への奇襲も身動きがしやすくなる。であればと、政宗は、一時家康との同盟解消を目論んでいた。同盟とは一時の、協力関係である。武田攻略後、家康との大所帯であれば、己の思うままに諸国を攻める事ができない。正直を言えば伺いを立てるのが面倒なのである。そして一番は、同盟を解消し、一葉を迎えに行くことだった。
雨の匂いを連れて、風が吹き抜ける。政宗は下界の荒野を見下ろし、息をついた。
「小十郎、背中は任せたぜ」
「承知いたしております」
政宗の号令と共に、騎馬は斜面を勢いよく滑り降り、深紅の旗を目ざし一気に加速した。地鳴りとも呼べるほど、蹄の音は増幅し、地を蹴る荒馬は敵陣に食い込だ。各所で雄叫びと刃のぶつかり合う音が、唸り出した雷鳴に共鳴していた。
政宗は、陣の大将、真田幸村の名を叫ぶと、幸村も威勢良く二本の槍を携えて目の前に現れた。見えた鼻から、相変わらず実直に口上を述べ、政宗がわざと煩わしそうな態度を見せるとすぐに表情に現れる。素直で誠実過ぎるのではなかろうか、本当にこの男はいつまで経っても初陣のような戦をしているのではなかろうか。会う度にそう思っていた。
「文句は言い終えたか?がっかりさせるような真似だけはしてくれるなよ、You see?」
「無論、某も貴殿と相見えること、これが最後に思うております」
「HA、上等だ」
「重々お覚悟なされよ、いざ!!」
どちらにも斬撃を受けるという考えは無く、休み無く刃を突き出し、かわし、渾身の力を振り絞って、一撃一撃を繰り出した。政宗の意識は真田幸村のその首、ただひとつである。互いに自軍の雄叫びも喚きも、雷鳴すらも耳には入らない。血気に満ち、ぎらぎらと己に向けられる鋭い眼光は、政宗の闘争本能を滾らせた。見据える幸村は、息を荒げ必死な面持ちでありながらも、愉しさすら垣間見えた。政宗も同じであった。
幾度もの手合わせで、大体幸村の次の一手は予想はついていた。突きを出した幸村は、ここぞという時には、必ずもう一方の槍を地に突き刺し、そちらに視線を向けさせた後、身体を捻ってまた突きを出す。我ながら、そのあまりの筋書き通りの動作に思わず、笑みがこぼれた。「何故笑っておられる!」その言葉まで予想できるのであるから、尚更である。
互いに一歩も譲らず、拮抗していた。しかし、それはほんの一瞬のできごとであった。政宗は訪れた契機に、身震いがした。あたりは静かで、聞こえるのは己の心音のみ、いや、もしかすればこれは幸村のものかもしれない。空震の如く肌に感じ、気は昂ぶっていた。
幸村が政宗に突き上げた槍のその間合い、反転しようとした幸村のその動作が、己の眼には実に緩慢に見えたのである。
背に汗が伝い、人差し指、中指、薬指、と力が入って、そこにだけ熱を持ったようだった。すかさず、わき腹から肩へ、腕を一気に振り上げた。爪が肉を喰らう感覚を掴み、迷わず抜ききった。ぐらりと幸村は体制を崩し、強張った表情を見せ、掠れた声が漏れた。
「まさ、む ね…どの、」
伏した幸村の呼吸は不規則で、鮮血は地に吸い込まれるように広がっていった。後はこの首を刎ねるばかりである。これまで聞こえなかった周りの喧騒が戻り始めていた。
見下ろした幸村のその首に一本だけを突きつけた。何か言い残すことはないか、そう言葉を発した時だった。遠くの方で落雷かと思しき爆発音が聞こえたのである。何事かと音のした方に視線を遣れば、藤色の一色がうねりを伴い、こちら側へ向かってきていた。「いし だ、どの」と、か細い声を聞き、思わず舌打ちをした。よくよくみれば「大一大万大吉」の旗印であったのだ。
家康は何をしてんだ。政宗は悪態をついた。その方向は明らかに、武田軍、徳川軍が現在交戦中であろう方角だからである。突如現れ、向かってくる一軍の先頭は間違いなく石田三成であった。
血溜まりに倒れ、虫の息である幸村と、それに止めを射そうとしている政宗を、三成は冷めた目で馬上から見下ろした。
「真田幸村、まだ息はあるようだな」
「家康はどうした、猿の腰巾着」
この言葉には逆上するだろうと思った政宗だったが、存外三成は冷静だった。馬を降り、兵に言伝ると、籠を持ってこさせ、中から誰かを引きずり出した。
出てきたのは、岡崎に居るはずの一葉であった。乱暴されたのか、頬には傷があり、後ろ手に縄に縛られている。三成は一葉の髪を掴み、露になった白い項に刃を当てた。
政宗は我が目を疑った。何故岡崎に居るはずの一葉を三成が連れているのか、突きつけられた切っ先は今にもその白い肌を血に染めんとしている。恐らく、三成は家康と政宗が武田に掛かっている頃を見計らって、岡崎城へ攻め入り、城から一葉を連れ出したに違いない。
今すぐ目の前の三成を八つ裂きにしたい衝動に駆られた。頭に血が上るどころではない。全身から三成への憎悪が押し寄せていた。死屍累々積み重なる場所へ一葉を連れてくる事など許せるはずが無かった。なんとか冷静を装って、政宗は再度、家康の所在を尋ねた。
「貴様らが戦をしている間、私が、大人しくしているとでも思ったか。岡崎に奇襲を掛けたと知ったあやつは城へ戻った。ともあれ、もはや手遅れだ」
「やってくれるぜ…」
「真田幸村から下がれ。その首、今取ってもらっては困る」
「水差しておきながら、随分と偉そうじゃねえか」
三成は一葉の髪を更に引っぱった。苦痛を浮かべた一葉に、政宗は堪らず、突きつけていた刀を鞘に納めた。一葉の首元には今だ、鈍い光が当てられている。
このように取り乱すのは、いつ以来だろうか。政宗は思わず自嘲した。父輝宗の思い出したくも無い、命令は、銃声は、己を掻きむしりたい衝動は二度と味わいたく無い。そうふと、思い出してしまえば、あの時の耳にこびりついた家臣らの声、水の音、この場の喧騒さえも全てが恐怖に変わった。
あれほど一葉に逢いたいと思っていたのに、それが戦場で成されるとは…政宗は歯噛みして、ぐらつきそうな視界に目を見開いた。
三成の要求をのまねば、あの刃は一葉に届くだろう。政宗は幸村から下がった。それを見て三成は介抱するよう兵士らに命じた。車に乗せられた幸村はそのまま本陣へと連れられて行く。また邪魔が入った。一体いつになればこの勝負がつくのか。事の重なりに苛立った政宗は三成に六爪を突き付けた。
「今度はてめえが相手してくれんのか、Ah?さっきから、その余裕ぶっこいた面ぁ気にくわねえ、一葉に突き付けた刀は俺に向けろ」
「その必要はない。体勢を立て直さねばならん。この女子は帰してやる」
一葉を立ち上がらせた三成は、政宗の元へ帰れと一葉の背を押し出した。よろめきながらも、おぼつかない足どりで、ほっとした表情を浮かべた一葉は「政宗様!」と駆け寄ってくる。聞きたかった声が、温もりがまた戻ってくる。
後数歩、その時だった。
何が起こったのか、理解するまでに時間を要した。政宗の後方では滅多に取り乱さない小十郎が、声を荒げ急いで掛けてくるのが分かる、遠くでは轟音と共にどこかで落雷があった。雷が空に走り、途端、雷雨となった。
足もとには、大粒の雨がぽつりぽつりと地面の色を変えて行く、のではなかった。竹をあしらった着物が、斬られ綻んだ口から溢れ出た鮮血と共に、大粒の雨に混ざってゆく様だった。
政宗はゆっくりと腰を降ろし、その肩を抱き上げた。腕には生暖かい、一葉の体温が止めどなく溢れている。震え、何度も手を滑らせながら、やっと一葉の手を握って、必死に名を呼んだ。
「一葉…、一葉っ!!!!」
「まさ、むねさま、お逢いしとうございました。本当に、ほんとうに、」
「一葉…、おい!しっかりしろ!」
「ご無事で、よう、ございました…。わたくしは、これからも、ずっと、ずっ… とっ」
細く浅い呼吸は一瞬のうちに、豪雨に飲み込まれて行った。美しいと言った髪も泥にまみれ、白い肌は温もりを失い、雨にうたれ青ざめて行く。辺りには血と薬莢の臭い、死臭しかない。豪雨は、政宗の腕からなにもかも奪いこぼれ落ちて行く。
亡骸を腕に抱え、政宗は一葉の言葉を反芻していた。俺もだ。と、心の中で答え、立ち上がった。濡れた分体が重い、或は濡れた分だけすこしは頭を冷やす事が出来ているのだろうか、そう考えたがそんなものは気休め程度でしかなかった。
目の前には、赤い雫を滴らせた刀を持ち、こちらもまた憎しみに駆られた男があった。殺気が一身にむけられ、三成は叫んだ。
「秀吉様を喪った私の気持など貴様には解かるまい!!」
ああ、そういうことかよ。復讐にしか生きる意味を見出さないような男に、この天下などくれてやるものかと政宗は刀を握りしめた。