01

 積まれた石組みその一つ一つが創り出す堅牢な城壁、その表面を覆う苔ですら、露を払うべくして生まれたかのようであり、またその壁は、一見規則正しくそびえ立つかと思いきや、不用意に侵入する外敵を間違いなく袋小路に誘うように、入り組んだ作りの城内路を作り上げている。
 そしてその中心に聳えたるは重厚長大な二の丸、天守閣だ。なにを隠そう、ここは難攻不落の名城と名高い北条氏政が城、小田原城である。
 雄大な相模湾を眼下に納め、日々多くの民で賑わう、東国でも有数の商業が盛んな町だ。
 その城の一角、小さな庭と、真新しい藁葺き屋根の小じんまりとした庵に氏政の一人娘が今日も今日とて暇を持て余していた。
 娘の名はあかねという。彼女がこの庵で過ごすこと早三月が過ぎようとしていた。
 町の活気さながら、城内もその余波を受け、部屋の襖から衝立、花器等、至る所に絢爛豪華な装飾が施されている。とはいえあかねもすっかり慣れ、調度品に目移りすることも今はなくなり、毎日毎日、茶、舞、琴、歌、など来るべき日とやらに備え稽古事をこなす日々だ。
 最初の頃は、物珍しさと、好奇心の方が勝っていたために、稽古事や緩やかな時間の流れに退屈に感じることはなかったが、スマートフォンのバッテリーが切れ、携帯ゲーム機もうんともすんとも言わなくなった頃から、次第に心細さと、物悲しい気持ちが徐々に湧き上がり、ついにはホームシックになっている現在である。
 先程、琴の稽古を終えたあかねは只今庵にひとりきりだ。口うるさい侍女も今は居ない。いつ誰が訪れても良いように、行儀よくすましていたが、窮屈さに耐えかねごろりと寝そべり手足を伸ばした。天井に向けていた視線を、部屋の隅に遣ると通学バッグが目に入り、うんと手を伸ばしてたぐり寄せた。中に入っているのは、電池の切れたスマートフォン、携帯ゲーム機、化粧ポーチ、ピアス…それに加え、あかねの苦手な古典の教科書だ。覗いてみても、元の場所に戻れるはずもなく、盛大にため息を付いたあかねは、携帯の後ろに張ってある友人とのプリクラを眺め、こみ上がるものを我慢していた。

「ほんと帰りたい…。暇だし、お菓子食べたい…。ケーキ、プリン、パフェ…うわぁぁああん!!」

 半泣きになりながらがばりと上半身を起こし、バランスの取れないぬいぐるみのように、またパタリと横に倒れた。頬を畳に付けると、暫くこの鳥かごの鳥のような生活がいつまで続くのかと嘆いた。

 あかねはその日いつも通りに下校した筈だったのだ。高台にある学校から、登校時には心臓破りと言われる傾斜を下っていた。
俗に言う歩きスマホをしていた為に視界は狭まり、足元の”何か”に気付かなかったのだ。それが運の尽きである。つまづき、浮遊感とともに体が投げ出されたかと思えば、そこは長閑な田舎町だった。
 眼前には、農作業をする人々、たまたま検地に来ていた北条家の家臣。突然現れた、異国の服を着た人間に大変な騒ぎとなった。村中の人が輪をなし、城からは騎馬隊を引き連れ兵らも赴く始末だ。そこには北条氏政も現れた。領民から、突如現れたあかねの仔細を聞くと、天のご先祖様からの授かりものだと勝手に勘違いし、城へ連れて来られ、現在に至るのである。
 あかねは自分のあるべき場所や、来てしまった推察をいくら氏政に説明しても、ちっとも聞く耳を持たなかった。娘になってくれと、あかねに頼み込んだのである。白いひげを携えた、ご高齢に手を握られればあかねも断ることができず、少しだけならと了承したのであった。
 うつ伏せになり、あかねは顔を伏せた。

「氏政のおじさん、本当私のこと娘って思ってるんだよなあ。こんなお姫様みたいな扱い、そりゃ大事にされてるって感じはあるけどさ…」

 まさか、戦国の世に来てまでもしっかりと教養を身につけ、更に長期に渡るとは思っていなかったあかねである。

「外出たいなあ…。庭は小さな池も、橋もあるし、花は綺麗だけど…。なんかこう、ゲームとかスリリングなことしたい。史上最大級に暇っ!」

 よいしょ、と立ち上がったあかねは、帯の緩みも気にせず廊下へ出た。
 今は新緑の季節だ。庭は青く彩られるのを待ちわびていたかのようで、太陽を求め広がった葉葉が作り出す金糸のような木漏れ日は、池の水面を笑うように揺れている。そよぐ風を大きく吸込めば寂しさも多少は落ち着いてくる気がした。歌人など居れば風流さを歌にもするのだろうが、あかねにとっては長閑過ぎる。寂しい気持ちは和らいでも、暇があるとその気持はまた噴泉のごとく湧き出てくるのだ。
 そうして、庭を眺め、ぼんやりしているとふと部屋の中から人の気配がした。どきりとして振り向くと、部屋の隅に柱のようにして立っている男が居る。一瞬おののくも、見知った者と分かったあかねは胸を撫で下ろした。
 彼は、北条氏政の忍で風魔小太郎という。小太郎は、氏政があかねと面会する時や要人との会合など、いつも氏政の後ろに控えている従者、用心棒的存在だ。侍女曰く、この風魔小太郎は伝説の忍と呼ばれるほどの腕前を持ち、他国からも恐れられているらしい。
 そう言われてしまえば、あかねも、色眼鏡で小太郎を見てしまうのだった。
 いや、色眼鏡で見なくとも、小太郎は他の家臣たちとすると十分異様だ。これまで一言も、本当に一言もその声を聞いたことが無く、また氏政は常に彼を侍らせているが、主と一度も言葉を交わさずとも、小太郎はいつも氏政の二歩、三歩と先を読み、主の手足となっているのだ。エスパーという言葉は彼に一番相応しい。
 そんな小太郎があかねの部屋に居るとは何事だろうか、普通なら廊下から一声掛けてもよい筈だが、やはり忍というのはいちいちご都合の登場でないと気がすまぬのだろうか。「いつの間にか参上」の登場は、そろそろ両手が足らなくなる回数だった。
 振り向いたあかねが一度まばたきをしただけで、もう側には小太郎が近づいていた。あかねの打ち掛けを持っている。上から着ろということらしい。
 外は日暮れ前の、熱を拐うような風が静かに吹いていた。

「あ、ありがとう…。小太郎、今日はどうしたの?氏政さん、私を呼んでるの?」

 小太郎は首を横に振ると、座敷に座り、あかねにも座れと促した。なんだなんだと、言われるがままあかねは打ち掛けの襟を掴み、小太郎の傍らに腰をおろした。小太郎は懐に手をいれると、白い小さな紙の包みを取り出し、手のひらの上で丁寧に広げた。

「うわあ!金平糖だ!どうしたの?」

 あかねが聞いても、小太郎は答えない。代わりに、食べろと手のひらに乗せた金平糖を更にあかねの方へ差し出した。

「いいの?嬉しい!ありがとう」

 あかねは一粒つまんで、口に放り込んだ。砂糖の味など数ヶ月ぶりだ。普段金平糖などあまり食べなかったが、こんなにも美味しい物だったのかと、単純なあかねはすぐ好物になりそうである。そうして、舌鼓を打っているあかねだったが、小太郎は一向に手を付けなかった。あかねが美味しそうに食べるのを黙って見ているだけだ。といっても、彼はいつも額から目の辺りまで、甲のような堅い金属の板で覆っているので、その表情も実際はわからない。あかねは、また一粒摘むと「小太郎」と呼び、彼の顔の前に掲げた。

「はいっ。口開けて」

 小太郎は、正面を向き固まったまま何も反応しない。主の気持ちはいくつも先を読めるのに、あかねのやらんとする事にはどうにも融通が効かないようだ。しびれを切らしたあかねは「これは、姫からの命です!」と職権を行使した。
 小太郎はゆっくりと、少々遠慮がちに口を開けた。その隙間から、あかねはぽんと放り投げた。

「おいしい?」

 小太郎はうつむきがちに頷くだけだ。口をもごもごさせ、あかねにまだ食うかと手を差し出し、聞いている。

「ううん。取っておく。また一緒に食べよう。氏政さんにもありがとうって言っておいてね」

 そう言ったところで小太郎は分かったと、また一度頷くと紙を下のように綺麗に包み、文机の上に置いた。
小太郎の身のこなしは、実に軽やかで静かだ。猫のような動きとでも言おうか、まったく音がしない。その様子にあかねは、初めて小太郎に抱きかかえられ、小田原城に連れて行かれた日のことを思い出した。
 実はあかねが、この戦国の世に来た初日、北条氏政はご先祖様より授かったと信じて疑わぬあかねを小太郎に小田原城まで運ばせたのである。もちろん、属に言う「お姫様抱っこ」というやつで、だ。あかねは女子高生といえど、体は成人女性のそれと変わらない。それを小太郎は軽々と抱え、生い茂る木々の間を風のようにくぐり抜け、小田原城まで連れ帰ったのだ。
 あかねはあの時の疾走感が、不安はありつつも少しだけ楽しかったのを思い出した。今は、日々の生活にも慣れた。もっと楽しむ心の余裕はある。
 振り返った小太郎にあかねはいたずらに笑みを浮かべた。小太郎が何かを察したように、若干半歩下がったように見える。

「小太郎、私、最近退屈でさ、外出たいんだよね。ここ来た時みたいにあのお姫様抱っこで外に連れてってくれないかな!」

 お転婆な、あかね姫に小太郎もたじたじである。腕を組んだ小太郎は悩む素振りを見せた。やはり氏政の頼みでないと、動いてはくれ無さそうだ。あかねは少し残念そうな表情で、やっぱだめかあと肩を落とすと、ふいにぽんと頭にその手が乗った。小太郎は、硬いながらも一度頷いた。

「いいの?やった!氏政さんに私からもお願いする!」

 お転婆なあかね姫と忍小太郎との約束が今ひとつ、交わされたのであった。

| TOP | NEXT